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完全にアウト。ルビコン川を渡った反日国家の韓国

「百聞は一見に如かず」なので、この3枚のポスターを見て欲しい。



ポスターは韓国の対外広報を行う「VANK」が作成したのですが、放射能で汚染された日本のオリンピック会場を防護服を着た聖火ランナーが走る姿がデザインされています

 

女性
「どうして、こんなポスターを作ったと言っているの?」

 

「今回の五輪の最大関心事は放射能問題なので、警告のメッセージの意味を込めてとフェイスブックで言っているらしい」

 

「五輪のマークは必要ないでしょ」

 

「それも含めて、今回のポスターは完全な韓国からの攻撃なので、今までの慰安婦だとか、徴用工問題とは、かなり性質が違う問題です」

 

Name
「どういうふうに違うの?」

 

「慰安婦、徴用工問題については、屁理屈ながらも一応被害があったという前提での攻撃ですが、今回については東京オリンピックの破壊を狙ったものです」

 

「確かに、何の被害もないですよね。放射能汚染と言っていますけど……」

 

「そんなこともあり、韓国の日本大使館はホームページで空間線量率(放射能線量)の公開に踏み切りました。下の数字は、そこから取ったものです」

 

福島市 いわき市 東京 ソウル
0.130 0.059 0.037 0.121

(1/17 12時現在 /単位はマイクロシーベルト)

 

「福島市はやはり高めだけど、ソウルと余り変わらないし、東京はソウルの1/3以下か。逆に、隣国に対して、どうしてこういう嫌がらせができるのかしら。その神経が理解できないわ」

 

「私の分析だと、かなり歴史的に根が深い問題ではないかと思っています。だから、今後もこの手の攻撃が半島から続くことが予想されます」

 

「えっ、本当ですか !?」

 

「かつては誤解を解いての友好ができるだろうと考えたこともあったのですが、最近の考えは、それは不可能、解決のためには断交しかないだろうと思っています。それで表題に『ルビコン川を渡った』としたのです。」

ルビコン川はイタリアにある川です。B.C.49年にローマ内戦の時、カエサルが禁を破って軍隊を率いて「賽は投げられた」と言ってこの川を渡ったそうです。それ以来、後戻りができないような行動や決断の時に使われるようになったのが、「ルビコン川を渡る」です。

日本と半島の交流の歴史を改めて調べて見ると、良好な時代は殆どなく、対馬藩との交易はあったものの、国どうしの交易はなかったことが分かります

半島には、歴代いくつかの王朝が勃興しています。主だった王朝としては高句麗、百済、新羅、高麗、李氏朝鮮と続くのですが、友好的であったのは仏教を伝えてくれた百済ぐらいのものです

新羅と唐の連合軍と日本は7世紀に戦争(白村江の戦い)をしています。平安時代に高麗から使節が2度来ますが、国交を交わすことはありませんでした。李氏朝鮮の時に、秀吉の朝鮮出兵があります。江戸時代に新将軍就任の慶事に合わせて通信使の来日がありますが、交易は行われていません。そして、1910年の朝鮮併合となります。

日本は遣唐使を約260年間で10数回派遣していますということは、白村江の戦い以降、唐とは講和をしたのでしょう。その際に、半島を通る安全な陸路を使わずに、東シナ海を横切る危険な海路を使っています。そこから、新羅とは断絶のままだったことが分かります。

通信使であった人が書いた『日東壮遊歌(にっとうそうゆうか)』という本のことを石平氏が自著の『朝鮮通信使の真実』の中で紹介しています。
「(日本人は)穢れた愚かな血を持つ獣人間」
「日本人は人柄が軽率で凶悪であり、女は生まれながらに淫ら」
「面目は人間であっても、行いは犬と豚の如く」
聞くに堪えない、このような言葉が随所に散りばめられているとのことです。

併せて読みたい 【書評】「朝鮮通信使の真実」の感想

このような罵詈雑言が韓国の小学生からも出ているのです。そのことを紹介したのが評論家でもあり、拓殖大の教授の呉善花(おそんふぁ)氏です。
2005年のこと、仁川市のある駅構内で地元小中学生による「独島(竹島)」をテーマにしたポスター展があったそうです。日の丸を燃やしたり、踏みつけたり、日本列島を火あぶりの刑にしたりする絵とともに、「嘘つき民族日本人」「日本の奴ら皆殺し」「日本というゴミ、捨てられる日はいつなのか」といった言葉が書かれていたそうです(呉善花「反日教育で歪められた日本の統治」『別冊正論23』2015年3月 所収)。

反日構造は、中国から何千年もの間、何かにつけてプレッシャーをかけられ続け、本音では対等を望みつつも、常に中国の冊封体制の中に組み込まれ続けてきた中で形成されたものでしょう。日本は聖徳太子の時代から中国との対等外交を実現するべく行動し、独自の文化と国づくりを果たしたのです。そういったことに対する激しいコンプレックスが根底にあります。

石平氏は最後にこう締めくくっています――「通信使の時代から現代に至っても、半島の人々は何も変わっていない。われわれは彼らとの付き合いには気をつけないといけない、あるいはそもそも、彼らと一切付き合わないのはわれわれにとってのもっとも賢明な選択肢であるかもしれない。歴史の教訓からみれば、彼らとはやはり、関わってはいけないのである」(前掲書)

こう書くと、かつて韓流ブームがあったのですが、あれは一体何だったのだろうか、と思う人がいるかもしれません。それは、日本の経済力や国力が強かったから、関係が良好であったというだけです。

いじめっ子の心理と同じです。いじわるなスネ夫ですが、シャイアンには、いじわるをしません。理由は簡単、強いからです。日本の経済力が強い間は大丈夫ですが、自分たちと比べて遜色がないと思い始めると、いじめが始まります。

それは、歴史的に見れば明らかですし、中国の冊封体制に組み込まれ続けたのは、国力の点で常に中国が上だったからです。それが彼らの唯一判断基準です。経済的な優位に立つためには、経済交流をする必要はありません。そんなことをしたら、韓国が経済発展し、日本へのいやがらせが更に激しくなるからです

遠く付き合って、なるべく関わらない、江戸幕府の方針が一番正解だと思います。先人はすべて知り尽くしていたのだと、最近思うようになりました

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