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教科書検定どうあるべきかーーその歴史と各国の状況を見ながら問題点を探る

(この文章は3/25日に書きました)

教科書検定について、各紙一斉に報道しています。特に問題になっているのは、社会科歴史教科書です。いつも思うことですが、新聞社によって扱い方、見方、分析の角度、すべて大きく違います

 

女性
テレビでは余り報道しないですよね

 

政治的立場によって言い方が違ってきますし、近隣諸国がからんできたりするので、言い間違えると大変ということもあり、扱いにくいということだと思います

 

女性
今はコロナの問題がありますからね。

 

もしかしたら、勿怪(もっけ)の幸い、と思っているかもしれませんね。そして、マスコミは現象面を追い求めるのは得意なのですが、その根底の原理、原則に絡む問題について報道することが余りないのが特徴です

 

女性
具体的には、どういうことですか?

 

例えば、検定はそもそも必要なのか、検定をいつまでやるつもりなのか、検定の流れやどの段階で出版社や著者が分かるのか、検定の歴史や各国の検定状況などです

 

女性
検定の流れについては「朝日」が記事を載せています。検定そのもののあり方について「産経」が社説で問いかけている程度ですね。

 

ただ、その「産経」でも「検定本」がどのようなものなのか、報道していないですし、検定を今の文科省がいつまで継続していくつもりなのかとか、行う理由について取材して欲しいと思っています。

 

女性
ところで、素朴な疑問なんですが、検定をしている国はあるのですか

 

何を検定と考えるかが難しいのですが、先進国の中では、日本のように厳格に行っている国はありません。

 

女性
国レベルではなく、州レベルで行っている国はありますよね

 

州レベルで検定基準を設けて、検定を実施しているのはドイツです。とにかく、国レベルで基準を定めて、合格、不合格を判定しているのは日本だけです。

 

女性
そして今回は、ある会社の歴史本が不合格になったのですよね




 教科書検定の歴史

   1872(明治5)年に「学制」が発布されたものの、地方によっては義務教育を拒絶した地域もありました。現代人の感覚からすると信じられないかもしれませんが、戦前には学問などいらないという結構根強い「抵抗」が農村を中心にあったのです。現に私の母は、高等女学校に進学したいと親に言ったところ、「百姓女に学問はいらない」と一喝されたと言っていました。その話は、昭和の初期の頃の話です。それがある意味では、当時の常識だったのです。

話を「学制」発布時に戻します。義務教育について国民的合意がない状態でしたので、使われた「教科書」は欧米の教科書などを翻訳した書籍、寺子屋の伝統に基づく往来物、藩校の伝統に基づく漢籍などが混然として使用された模様です。
ただ、何でもよしとする訳にはいかないと思ったのでしょう。1880年には、駄目なものだけを発表して、それ以外の書を使うようにさせたようです。
文部省(当時)は臨時応急の措置として既存の一般図書の中から選んだ図書を、いわば標準的な教科書として推薦する一方、文部省自ら小学校教科書の編集出版を進め、教科書不足に対処したのです。

戦前・戦後の教科書制度の変遷の概要については、下の【表】をご覧いただきたいと思います。小学校を中心にして簡潔にまとめてみました。

1872年(明治5 )  自由発行
1880年 使用禁止書目発表
1881年 開申制(届出制)
1883年 認可制(許可制)
1886年 検定制(小・中学校)
1903年 国定制(小学校)
1943年 国定制(中学校)
1947年 検定制(小学校・中学校及び高等学校)

この戦前の教科書採択制度の歴史を概観すると、検定制度は1886年から1903年に至る20年間に満たない期間ということが分かりますが、歴史的には、この検定制度を戦後引き継いだことになっています

 教科書採択権の明文規定が存在しない

 日本の場合は、検定に合格した教科書の中から、さらに地方の教育委員会が採択して、その採択したものを各学校が現場で使うことになっています。
ただ、それについての法的根拠は「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」(以下、「地教行法」)の第23条第6号―—「教育委員会は、当該地方公共団体が処理する教育に関する事務で、次に掲げるものを管理し、及び執行する。…… 六 教科書その他の教材の取扱に関すること」としていますが、これはかなりの無理筋です

 戦前の中央集権的画一的な教育行政の反省のもと、地域に根付いた教育行政を住民本位に展開させるために戦後新たに設置されたのが公選制の教育委員会です。そして、1947年に制定された教育基本法第10条(教育行政)に基づいて、教育委員会の基本的任務は、教育の条件整備を行うこととされたのです。その理念は、2006年の改正教育基本法にも受け継がれています
したがって、これらの考え方を教科書採択に当てはめるならば、教科書採択については、権利の主体者である子供の代弁者である教師が教科書を選ぶべきでしょうし、現に私立学校では、現場の教科担当者によって教科書が採択されています。教育委員会の基本的な仕事は、あくまでも条件整備なので、教師に代わって教科書を採択することではありません

そのような考え方は、ILO・ユネスコの「教員の地位に関する勧告」(1966 年)の中においてもすでに確認されています――「教員は生徒に最も適した教材および方法を判断するための格別の資格を与えられたものであるから、……教材の選択と採用、教科書の選択、教育方法の採用などについて不可欠の役割を与えられるべきである」(第61項)としています。なお、このことについては、日本教育学会もその考え方を明らかにしています(1955年及び1956年)。




 亡国の教育が予想される

かつて日本共産党の志賀義男衆議院議員は、自身の著書(1952年)の中で「何も武装闘争する必要はない。共産党が作った教科書で、社会主義革命を信奉する日教組の教師が、みっちり反日教育を施せば、3.40年後にその青少年が日本の支配者となり指導者となる。教育で共産革命は達成できる」と書いたことがあります。まさに、そのような事態になっています

日教組の組織率が落ちたのは、少し目論見が違ったかもしれませんが、それ以外のシナリオは順調に推移しているのではないでしょうか。「ゆとり教育、子供の権利、ジェンダフリー、総合教育」―—これらはソ連の集団教育を作ったマカレンコとクルスプカヤたちの思想からきているワードです(撃論 2012年第7号)。

「産経」が一番の問題とした「従軍慰安婦」の問題や「検定一発不合格」のことについて「朝日」は全く触れていません。「朝日」にとっては、納得のいく検定だったのでしょう。ただ、自分たちの考えに沿った言説が入れば、それは良い検定。その逆は悪い検定というのでは、殆どジャーナリストとしては失格です。結果ではなく、教育にとっての検定の意義、必要性を含めて論ずる姿勢がなければ、公器としての新聞の役割を果たしていないと思います

そもそも価値観が多様化した現代において、教育現場を知らない、しかも教員免許も持っていない行政官の官庁である文科省が、全国一律の教育のための教科書を作ろうという発想自体が危険です。まさに、共産主義的発想です。

21世紀の令和の時代は、縦のものを横に見ることができる人材を意識的に養成する必要があります。リンゴが落ちたのを見て、もったいないとか、食べたいとか、ジャムにするとか、そういう一般的なことしか思い浮かぶような人間ではなく、万有引力の法則というトンデモナイ発想をする人間が欲しいのです

画一した検定教科書からは、そのような卓越した才能は育ちにくいと思います現場の教員が、子供たちの実態に合わせて教科書と教材を選んで教える、当たり前のことを当たり前にできるようにするのが文科省の役割だと思います

 アメリカのように「自由発行、自由採択」で全く問題がないと思います。各出版社が教科書として発行したものを各都道府県あるいは市町村レベルである程度の数に絞って(絞らなくても良い。絞る場合は、現場の教員や一般の住民も入った採択委員会を立ち上げる。)、それに基づいて現場の学校の教員が決めれば良いと思います。私立学校では、教科書会社から直接送られてきた中から、現場の教員が話し合って選んでいます。そのやり方で特に問題は起きていません。そして、問題がある教科書であれば、やがては淘汰されていくでしょう。

文科省がある特定の教科書を狙い撃ちして事前に「採択市場」から排除しています。そのような「密室検定」では意味がありません。まるで共産主義国家です。今のシステムならば、ない方が良いでしょう。カネと労力の無駄です

読んで頂きありがとうございました

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