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日本国憲法と明治憲法、本質的部分は何も変わらず / 憲法は日本の悠久の歴史を踏まえて解釈するもの

「NHKの大河ドラマ『麒麟が来る』を見ていますか?」

女性

「見ていますよ、いよいよ佳境に入ってきましたよね」

「幕府、そして将軍を必死で支えようとする明智光秀、ところが信長は幕府の存在意義を認めなくなってくる」

女性

「両者の間に亀裂が入り始める段階ですよね」

「そして、両者ともに天皇の家臣としての自覚をもっている。根底の部分では繋がっているが、政権を巡って考え方の違いがこれから出てくる場面です」

女性

「2人とも戦国の世を失くしたいという思いは同じ、方法論を巡って対立するのですね」

「光秀は室町幕府を中心に全国の武士がまとまる必要性を説きます。ところが、信長は合理主義的に物事を考えます。まとめる力のない幕府は利用価値がないし、存在価値などないと思い始めます」

女性

「そして、本能寺の変ということですね」

「まあ、そうなんですが、ここでその話を持ち出しのは、国家とは何かを考えて欲しいと思ったからです」

女性

「戦国の話が、どうして国家につながるのですか?」

「国家といった場合、2つの意味があります。権力そのものを指す場合と、それを含めてそこで生活する国民全体を言う場合があります」

女性

「よく、おっしゃっていますよね。国家の2面性、両面から考えなければダメだ、と」

「前者の意味でnation、後者の意味でcountryですね。光秀と信長は同じcountry に住みながら、nationをめぐって対立したということですね」

女性

「光秀は与党の立場、信長はさしずめ野党ということですね。両者は朝廷をなくそう、日本の国をなくそうと考えているわけではありませんものね」

「ただ、共産党は別です。彼らは、いつかは朝廷をなくし、自らがそこにとって代わることを考えています」

女性

「ここからが本論です ↓」

 西洋史観で日本の憲法を捉えようとする愚

憲法の基本書が多く出版されていますが、アプローチの仕方はどれも殆ど同じです。そもそもnationしか見ていません、そのため立憲主義という考え方を持ち出して、権力の制約に常に関心を払います。そして、その立憲主義の起源は西欧なので、定番のようにヨーロッパの政治史が持ち出されることになります

たぶん、これが憲法学会の「常識」ということなのでしょう。この考え方によって公民関係の教科書が作成されていますので、ほとんど同じような教科書が現場で使われることになります

例えば、中学公民の教科書(『東京書籍』)を見ると、「人権の歴史」でヨーロッパやアメリカの市民革命や人権宣言を扱い、「日本の人権思想の芽生え」ということで明治憲法、立憲主義、日本国憲法と扱うことになっています。この内容について、問題意識をもつ方は少ないかもしれません。そういうものだと、洗脳されている可能性があります。憲法学会や教科書に対する忖度も働いて、壮大なる「天動説現象」、ベーコンが言うところの「劇場のイドラ」だと思っています。

そもそも、日本の憲法のことなので、日本の歴史を紐解く必要があります。そのために、中学2年で歴史を学んでいるはずなのです。西洋の歴史から、すぐに日本の明治憲法に話が飛ぶのは、西洋の猿真似をして憲法を作ったと思っているフシがあります。

 西洋の模倣をして憲法を作ったのではない

ドイツの憲法を模倣して明治憲法を作成したかのように書いてある教科書が殆どですが、起草者の一人の金子堅太郎は「帝国憲法制定の精神」という文章の中で、それは違うという趣旨の文章を遺しています――「我が日本の憲法は、日本に二千五百有余年来継続して居る国体と云うものに基いて出来たのであって、欧米諸国の憲法の如く帝王の壓迫(あっぱく)に堪えずして貴族と人民が鋒(ほこ)を逆さまにして帝王に迫った結果出来た憲法と違う。又欧米諸国の如く人民が自由民権を主張する為に迫って制定せしめたものではない」。

簡単に言えば、西洋の猿真似憲法ではなく、日本のはるか昔からの歴史を踏まえて制定されたものなので、「外国の憲法と日本の憲法とを併せて同一の理論を以て解釈することは抑々(よくよく)誤って居ると私は確信する」と言っています。

「憲法発布以来世には日本の歴史も知らず又国体も弁(わきま)えず、徒(いたずら)に欧米の憲法の理論にのみ依って日本の憲法を解釈しようとするもののあるのは、独り日本憲法の精神を理解し能わざるのみならず、之を誤るものと私は信ずるものである

 日本の全体の歴史の中から国家権力の在り方を考える必要あり

先の2人の会話の例で言えば、幕府だけを見つめていたのでは、正しい在り方が正確には分かりません。朝廷も含めた国全体、つまりcountryからの視点が必要です。朝廷の意向、民衆の暮らしぶりがどうなのか、そういったことを踏まえてこそ幕府に求められる政治が決まってくると思います。全体から個を見て、個から全体を見ることにより、正確に物事を把握できるし、そのためにcountryの歴史を知る必要があるのです

憲法の基本書の中で、日本の歴史を踏まえて書かれたものは、私が知る限りにおいてありません。実際に、皆無だと思っています。そもそも、日本の歴史を踏まえなければいけないという問題意識すら憲法学会にはないと思います。

ヨーロッパは狭い国土に多くの民族がひしめき合って暮らしているため、ヨーロッパの歴史は戦争に次ぐ戦争の歴史を刻んできました。そのため、多くの権力を支配者に与え、そのもとで強力な国を作ろうとしてきたのです。その反動として民衆への弾圧があり、それに抵抗して権利という概念が形成されていったのです。

それに対して日本は四方を荒海に囲まれた島国であったため、さらには7世紀に唐・新羅連合軍との白村江の戦いがあったりして、国家意識に目覚めるのが西洋に比べてかなり早かったのです7世紀の天武天皇の時代には、現在の象徴天皇制の原型がすでに出来上がっていました。日本国史学会の代表である田中英道博士は「奈良時代、8世紀の日本は政治と宗教がともに天皇を中心に、世界に類例のない統一体をもって、一つの国家をつくり上げた」(田中英道『日本国民の源流』育鵬社、2020/118ページ)と指摘しています。中心になるためには、権力を捨て、権威の象徴になる必要があります。台風の目と同じ理屈です。権威と権力の分離原則が確立した瞬間です。


戦後になって象徴天皇制になったと思い込んでいる人がいるかもしれませんが、古代の時代から現在まで象徴天皇制は変わっていません。天皇が権力者として振舞おうとしたことはあっても、西洋の皇帝のように長く君臨した時代はありません。憲法学者の百地章氏も「明治憲法下でも、理論的に考えれば天皇は象徴であった」(『憲法の常識 常識の憲法』文藝春秋、2005年/77ページ)と言っています。

そして、現在の憲法は明治憲法の改正手続きを経て成立をしています。両者を全く別の対立したものと捉える考え方(「八月革命説」)もありますが、両者を連続的に捉えることが自然だと思います。なぜなら、根本的なことは何も変わっていないからです。

 

  明治憲法   日本国憲法
象徴天皇制  元首は天皇 象徴天皇制 元首は天皇
 国民主権   主権の規定なし
 空想的平和主義    ―――――
 三権分立   三権分立
 大臣に委任   総理大臣に委任

なお、主権という概念は、西洋近代法の概念です。そのような概念で日本の国体・政体を言い表すことは出来ないと判断した当時の起草者は判断し、その言葉を使っていません。天皇主権と説明している基本書が多いのですが、そのような言葉は明治憲法の中に使われていません。

読んでいただいて、ありがとうございました。

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