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教科書に書かれている嘘シリーズ(1)―― 天皇主権

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日本の教育制度は中央集権制である。この制度には、長所短所それぞれあるが、最大の短所は、物事を多元的に見たり考えたりできなくなる子供を量産する可能性が高くなることである。21世紀のAIとの共存時代に必要なのは、様々な角度から物事を発想し、創造できる人材である。そのような人材が、この制度では輩出しにくいであろう

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学問は自然科学分野と社会科学分野に大きく2つに分かれ、それぞれ膨大な学問体系が構築されつつあるが、実は宇宙や自然、人間や社会のことなどについて殆ど解明されていないのが実態ではないだろうか。ある学者に言わせれば、すべての真理を100とすると、人類はその1%しか掴んでいないとのことである。

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真実と思っていたことが、実はそうではないということもこれからは出てくるだろう。大事なことは先入観を捨てて、虚心坦懐に物事を見て思考することである。特に社会科学分野の学問にとって、様々な意見を交わすことにより、誰もが納得でき、しかも後世の批判に耐えうるような学説が形成されることになる。少なくとも、ある特定の価値観なり学説を権威の衣(ころも)を着せて公教育という場で広めることは、厳に慎まなければならない。

振り返って日本の学校現場を見てみると、文科省の出す学習指導要領に基づいて作成された検定教科書を使わなければならないという縛りがある。その教科書が実際に市販され、多くの国民の批判に晒される中で作られ、現場の意見を踏まえてオープンに採択されているのならばまだしも、そうではない現実がある。だから、教科書採択を巡って不正事件が絶えず起きることになる。

教科書採択を巡っての不正事件は、教科書会社と教育委員会の癒着によって起こる事件であるが、実はもう一つの癒着がある。こちらの癒着は、文科省と憲法学会(東大憲法学)との学説的癒着である。何か法律に違反している訳ではないので、余計に始末が悪いと思っている。

具体的に指摘をすると、大日本帝国憲法(以下「明治憲法」)の天皇に関する記述である

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(heiwa.yomitan.jp)

中学公民、現代社会、政治経済の教科書には必ずと言って良いほど、明治憲法と日本国憲法の比較表が載っている。そこに「主権」という項目が設けてあり、明治憲法は天皇主権と書かれている。

明治憲法には天皇主権という言葉はないし、使ってもいない

そもそも主権という概念は、他国との領土争いや権力闘争、紛争、革命が絶えず起こったヨーロッパ世界がその混乱を整理するために17世紀頃に生み出した概念である
。日本の歴史を紐解けば分かるが、戦国時代のような大きな内乱と、小さな内乱が2.3あったという程度であるし、古代から連綿と朝廷は存在していた。そしてその統治の形態は、朝廷は実際の政治に関わることはせず家臣の者に任せるという、権威と権力を分けるという日本独特のやり方であった。そのような日本なので、主権などという言葉を使う必要がなかったのである。

その統治のやり方を明治以降も引き継ごうとしたのか、それとも新たな形態を導入しようとしたのか。その辺りの見極めのためにまず「王政復古の大号令」を見ることにする。その冒頭に「徳川内府、従前御委任ノ大政返上、将軍職辞退……」とあり、その文言から委任していた政権を朝廷に返上したことが分かる。

そしてその返上された政権を天皇自ら行使しようとしたのか、それとも別の誰かに委任したのか。それを確かめるために明治憲法を紐解くこととする。

鍵を握るのが、前文と55条である。前文に「朕か在廷(ざいてい)の大臣は朕か為に此の憲法を施行するの責(せめ)に任スへく…」という言葉と55条の「国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス」を併せ読むと、徳川が返上した政権を今度は国務大臣に委任していることが分かる。実際に「臣」というのは、古代からそういう役割を果たしてきた職制の名称である。

こういうのを天皇主権とは言わない。かつて司馬遼太郎は改めて明治憲法を読み直して「日本の天皇は皇帝ではなかった」(『「明治」という国家』日本放送出版協会、1989年/301ページ)と指摘している。文学者の透徹した目は明治憲法の本質を直感的に見抜いていたのである。

 ただ、そのことを東大憲法学の方たちは充分分かっていると思う。だから教科書の本文には書かない(書けない)で、表を作成してそこに天皇主権という言葉だけを入れているのである。ただ、子供たちを洗脳するにはそれで充分である。

だから明治憲法も日本国憲法も本質的な統治形態は何も変わっていないのである。実際に日本国憲法は明治憲法改正手続きによって成立している。両憲法とも第1章は「天皇」である。明治憲法の天皇は歴代の天皇がそうであったように、権力者として振る舞ったことは殆どなく、権威の象徴であろうとし続けた。戦後は主権者国民の象徴となった。本質的には、何も変わっていないということである。

ただそうなると、明治憲法を過去の穢れた遺物として葬り去りたい反日派としては不都合なのであろう。そこで天皇主権という憲法に書かれてもいない概念を持ち出して、国民主権の日本国憲法と対比させるようなことを考えたのであろう。

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