
「暑さ寒さも彼岸まで、とはよく言ったものですね。お彼岸を過ぎて、過ごしやすくなりました」

「クーラーなしで寝られるようになりましたからね」

「9月に入ってからも猛暑の勢いは衰えず、どうなっちゃうのかなと思っていましたが安心しました」

「ところで、朝ドラ「あんぱん」終わってしまいましたね」

「そこはかとなく、寂しい感じがしています」

「何か、学びはありましたか? 私は一つ謎が解けました」

「何ですか、謎って?」

「実は、私の父のことですが、終戦の時は25歳なので、当然戦争に行っているはずなのに、どこに行って、何をしていたのか、一切言わなかったのです」

「最後まで教えてくれなかったのですか?」

「結局、一言もしゃべることなく、あちらの世界に行ってしまいました」

「その謎がどうやって解けたのですか?」

「ドラマの中で八木社長(上等兵)が戦時中に敵兵を撃って、その人の財布の中から奥さんと子どもの写真が出てきたことを涙ながらに告白するシーンがあったのですが、多分そういった辛い経験をしていたのではないかと思いました」

「最近になって、当時のことを証言する人が出てきましたけど、出来るならば言いたくないし、思い出したくないとおっしゃっていましたものね」

「生々しい記憶がある間は、結局、戦争について総括が進まないのではないかと思っています」

「ここからが本論です ↓表紙写真は「ドラマログ」提供です」
戦争を総括する時代
終戦から80年経ちましたが、実はきちんとした総括が殆んどなされていないと思っています。未だに戦勝史観が横行している状況があります――日清戦争戦勝130年、日露戦争戦勝120年、こんな言葉が目に付くようになりました。勝ったから良いではないか、という安易な考えがそこにはあります。2つの戦争で合わせて約10万人の人が戦死しています。彼らの犠牲が報われた状況が何もないのに、戦勝だけを祝うというのはおかしいと思っています。そして、いずれも戦場の多くは朝鮮半島です。日本にとって,やむにやまれぬ戦争ではありませんでした。
近年、吉田裕氏によって『日本軍兵士』(中公新書、2017)、『続・日本軍兵士』(2025)なる表題の本が世に出ました。これらの書の特徴は、現場の兵士の状況を中心に書かれている点が従来の「戦争本」とは異なる点です。そんなこともあり、静かに確実に売れ続けているとのことです。
戦争をどのように総括するのかということですが、1つは、戦争を遂行した軍隊を組織的に分析して、そこからアプローチをはかるという方途があります。これについては、『失敗の本質』(中公文庫、1991)という名著があります。2つ目は、通史的に戦争を概観するというアプローチの仕方があります。最近になって保阪正康氏が『昭和陸軍の研究』(朝日文庫、2025)の上下巻を出版されています。上下合わせて1,400ページの大作です。そして、3つ目が、現場の兵士の状況を中心に戦争の状況を見つめようというものです。というように、3つの視点からそれぞれ書かれた書が、今年になってようやく出揃った、ということが言えると思います。
(「Yahoo!オークション-Yahoo! JAPAN」)
餓死、栄養失調死、伝染病死の方が戦死者よりも多かった
今回のブログでは、3つ目の視点から書かれた『日本軍兵士』、『続・日本軍兵士』で取り上げられていることを中心に戦争の実態を見つめたいと思います。吉田氏が着目しているのは、戦死以外の死です。具体的に言うと、病死、自殺死、特攻死、海没死です。そして、その数が、戦死者よりもかなり多いということです。そして、「生きて虜囚(りょしゅう)の辱めを受けない」という教えもあり、撤退・退却する際に仲間によって殺害される傷病兵も少なくなかったということです。
戦争をすれば戦死者が出るのは当たり前です。ただ、それより戦病死が多いとなると問題です。日中戦争以降敗戦まで軍人関係の戦没者が230万人いますが、その約6割は餓死、もしくは栄養失調死、伝染病による死であったと推定されるということです(藤原彰『餓死した英霊たち』)。どのような病気が多いのかということですが、南方戦線ではマラリア、脚気、中国戦線は結核、マラリアです。
特に日中戦争における戦病の大きな特徴は、「戦争栄養失調症」と言われる症状で苦しむ兵士が多かったということです。長期にわたる生鮮食料品の不足、心身の過労などが原因とみられます。そして、そういう中で精神病患者が増大しています。また、現地で盗みや強奪をした兵士に対する「厳重処分」(死刑)も各地で行われたようです。略式裁判によって現地で殺害された兵士もいたのです。
(「X」)
帝国陸海軍は、兵士に必要以上の負担を強いた
日本軍は、歩行の行軍を頑迷に守り続けたと言えます。ただ、単なる行軍ではありません。普通は、体重の35~40%が限界数値と言われていますが、47~60%の軍備を背負っての行軍でした。しかも、1日で20キロを歩行させるというものでした。それも道なき道を歩かせるのです。体力がない者は、1日で参ってしまうと思います。気が狂う者が出てきても仕方がないようなハードな行軍だったと思います。
精神病患者のデータが掲載されています。1937年の日中戦争開始時は0.93%ですが、41年は5.04%、43年が10.14%、44年に22.32%と急増しています。戦争末期は5人に1人が精神的におかしくなったということです。いつ終わるか分からない戦争。常に緊張感を持って日々送らなければならず、食料も満足にない。伝染病が蔓延し、精神病の発症者が増える、すべての大元の原因は食料不足による栄養不良です。「腹が減っては戦は出来ぬ」のに、軍の首脳部は食料の補給について軽視しました。栄養不良がマラリア、かっけ、水虫、たむしといった様々な病を呼び込んだのです。そういった疾患が、当然のように戦争後期に多く現れます。
本来は守らなければいけない年少者たちを戦闘員として使ったのが先の大戦の特徴です。1945年6月に「義勇兵役法」が公布されます。15-60歳までの男子と17-40歳までの女子が、あらたに義勇兵役に加わることになります。14歳から16歳の少年を育成する「海軍特別年少兵制度」があったのですが、戦局の悪化に伴って、急遽第一線に配置されることになります。結局、第1期3,200人のうち約2,000人、第二期3,700人のうち約1,200人が戦死をしています。育成する前に戦死させてしまったのです。特攻隊の約6,500人も未来ある青年たちでした。本来守るべき人たちを犠牲にしてでも守らなければいけないものが、本当にあったのでしょうか。美談で済ませて終わろうという雰囲気がありますが、なぜ、そういうことが起きてしまったのか、その原因を突き止める必要があると思っています。
(「Apple TV」)
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