
「前回の話の中で、「サービスの両極的価値」という話が特に印象に残っています。成る程と思いました」

「それは何よりです」

「両極的価値という言葉は、どなたかの言葉ですか?」

「私の造語です。意味は、分かりましたか?」

「そこはかとなく、分かったという感じです」

「感覚的に分かれば良いと思います。とにかく、サービスの価格というのは、相場があってないようなものです。それを理解して頂ければ充分です」

「相場がないということは、供給者側の都合で価格が決まってしまうことが多いということでしょうか?」

「価格は商品と同じように、需要と供給によって決まります。ただ、サービスというのは個別性が高いですから、どうしても提供者側に価格の主導権を握られがちとなります」

「市場が成熟していないからでしょうか?」

「そうですね。特に、新しい分野のサービス価格については、そういった傾向があります。例えば、床屋とか鉄道料金などは、相場料金を誰もが分かっています。こういうものは、供給者側が思ったようには価格を決めることはできません」

「成る程、ケースバイケースということですね」

「ここからが本論です ↓ 表紙は「Web大学 アカデミア」提供です
剰余価値論の前提とその時代的制約
マルクスの『資本論』で最も有名な理論の一つが「剰余価値論」です。これは労働者が資本家から搾取されているということを論証するために打ち立てられた理論です。今、仮に労働者を1時間1,000円で雇って、1,500円の製品を作ったとします。1時間の間に1,500円の価値が生み出されましたが、1,000円分の対価が支払われていますので、500円が生産工程で生みだされた価値となります。マルクスはこれを剰余価値と名付けたのです。
労働力そのものを商品とみなし、資本家はその労働力を自由に使用することができる。6時間働かせれば500円×6時間=3000円の剰余価値が生み出されたことになり、それが資本家の取り分、つまり搾取されたと言うのです。しかし、現実の社会では、そのように計算通りにはいかないこともあります。今は契約社会なので、予め時給1000円として契約したとします。ところが、実際には700円分の価値しか生み出すことが出来なかったとします。当然、こういうケースもあります。「価値は労働時間に比例する」と勝手に思い込んで剰余価値なる概念をつくったものの、必ずしもすべての場合に当てはまる訳ではないのです。
現代資本主義の主役は製造業ではなく、ITや金融、サービス産業です。ソフトウェア開発者が書いた数行のコードが莫大な価値を生むこともあれば、同じ時間働いても成果が乏しいケースもあります。つまり労働時間と生み出される価値の間に必然的な比例関係はなくなっています。マルクスの剰余価値論は、商品生産の場合ですら当てはまらないことがあります。ましてや、それを現代のサービス産業が主流の時代に当てはまると考えること自体がおかしなことです。
(「ピクテ・ジャパン」)
サービス労働と「価値」の測定問題
マルクスはアダム・スミスの労働価値説をベースに理論を組み立てていますが、サービス労働を考えると、労働価値説の限界はさらに明確になります。例えば、同じ一時間の講義でも、無名の講師と人気のカリスマ講師では報酬が何倍も違います。歌手や俳優の出演料、スポーツ選手の年俸も同じです。労働時間は同じでも「社会的評価」や「ブランド力」が価値を決定してしまいます。つまり、労働価値説では説明ができない場面が多くあるということです。
「付加価値の社会的性質」が重要です。つまり、価値というのは、単なる労働の量ではなくて、それが社会的にどのように評価されているかにかかっているのです。だから、需要と希少性、さらには人々の欲望によって左右されることになります。マルクスは商品に「使用価値」と「交換価値」があると分析しましたが、サービスの場合、この二つの価値はさらに流動的で主観的です。ある人にとっては何十万円を払う価値のあるコンサートも、他の人にとっては無価値です。
このように、サービス労働の価値は「相対的かつ個別的」なものです。しかも形を持たないがゆえに、その価値は体験や証券化(チケット、契約書など)によって可視化されるときに初めて成立します。マルクスの時代にはサービス経済はまだ副次的な存在でしたが、現代社会ではむしろ中心的な役割を果たしています。したがって、労働時間を基準に価値を測定する古典的なモデルは大きな修正を迫られていると言えるでしょう。
(「note」)
現代資本主義への応用と新たな分析枠組み
現代資本主義を理解するには、サービスや知識労働の特質を踏まえた新しい分析の枠組みが必要です。その象徴がプラットフォーム企業です。GAFAに代表される巨大IT企業は、従来型の「商品を売る資本家」ではなく、「情報やデータを基盤に価値を創出する存在」です。彼らのビジネスモデルでは、利用者が提供するデータや投稿、レビューといった一見「無償の労働」が、巨大な利益を生む資源に転化されます。
これは従来の剰余価値論では説明ができない分野です。なぜなら、そこでは「労働時間」という物差しで価値が測られないからです。むしろ、価値の源泉は「利用者が集積する情報」や「ネットワーク効果」にあり、そこから広告収入や課金サービスが展開されています。マルクスの理論を現代に応用するなら、こうしたデータ資本主義をどう位置付けるかが大きな課題になるでしょう。
また、無限に膨張する精神的欲望に応えるサービス経済は、物質的生産の枠を超えて社会を動かしています。欲望を煽り、体験を商品化する仕組みは、従来の「労働と商品」という図式を超える現象です。今後必要なのは、「サービス価値論」や「知識資本主義論」とも呼ぶべき新しい理論体系の構築です。
理論が理論として成り立つためには、すべてのケースにあてはまることが必要です。剰余価値論は商品生産のほんの一場面について当てはまるだけで、殆んどの場合は説明できません。要するに、今や理論の体をなしていないということです。特定の場合にだけ剰余価値説で説明でき、その時に資本家に利益を差し出すことができるということです。それを搾取と呼んで良いのかは分かりません。常に一方的に搾取されている場合だけではないからです。下の図は20万円の賃金をもらっている人が剰余価値を生み出していることを説明したものです。しかし、中には賃金以下の働きしかできないこともあります。15万円分の働きしかなく、資本家の善意に助けてもらうことも当然あるのです。
(「クリプトピックスわかりやすい経済学」)
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