各紙、次のような表題をつけて1/19日付で一斉に社説を出しました。
「安定と価値の礎として」(「朝日」)
「激動期に適合する同盟に」(「毎日」)
「日米同盟強化へ不断の努力を」(「読売」)
「同盟発展が平和もたらす」(「産経」)
「『盾と矛』関係の変質」(「東京」)
「毎日」は「日本が再び戦禍を被ることがなかったのは、平和主義の理念だけでなく世界最強国との同盟が結果的に抑止力となったからだろう」として「同盟の維持と強化は最も現実的な選択であろう」と締めくくっています。
安保改定から60年目にあたっての社説なので、1960年を起点にして考えるのは分からないでもありませんが、日米安保条約が結ばれた地政学的な理由は、1949年の中国内戦の結果、共産党が政権を掌握して中華人民共和国が誕生したことと、1950年の朝鮮戦争の結果、北に共産主義政権が誕生したことです。
この2つのことによって、アメリカの対日政策が180度変わってしまいました。その時の「冷戦構造」は現在も続いています。戦争が終わってからわずか6年後に平和条約が結ばれ、結んだその日に安保条約を締結しています。ヨーロッパ戦線で暴れたドイツが2つに分断され、その統一が1990年であったことを考えれば、いかに急いで対応しようとしたかが分かると思います。
平和条約を結んでの講和があくまでもステップで、最大の目的は日米安保条約の締結であったことが分かります。
従って、安保条約を論ずる時は、51年の旧安保条約と60年の安保条約をセットにして論ずる必要があります。その視点から社説を書いているのは「産経」だけです――「昭和26年に結んだ旧条約と合わせ、新旧の安保条約は日米同盟体制の基盤となり、日本の独立と平和、そして自由を守ってきた」とした上で「当初は極東の、そして今はインド太平洋地域ひいては世界の平和と安定の礎としての役割を果たしている」と明解です。
相も変わらず憲法9条を基準に論じているのが「朝日」です――「憲法9条に示された理念が後退し続けていると言わざるをえない」、「日米安保を対立の枠組みにしてはならない」。
対立の枠組みになるかどうかは、相手との問題があるので、あらかじめ設定するわけにはいきません。9条の考え方はあくまでも平和についての一つの考え方であり、絶対的なものではありません。
「国滅びて憲法残る」では、意味がありません。平和の捉え方は、その時代背景や流れ、周辺国との政治力学の中で考えられるべきことです。世界の国すべてが『平和を愛する諸国民』であるならば、軍隊はいらないでしょう。戦争放棄で良いと思います。単純にいかないのが、現実政治の難しさです。恐怖心を与える位の軍備増強が、戦争抑止につながることもあります。だから、相手の出方や経済力、軍事力を分析する必要があるのです。
そして、今後は地上空間だけではなく、サイバー空間、宇宙空間を考えていく必要があります。そのことについて指摘しているのは、「産経」だけです。他紙は考えが及んでいません。「昔の名前で出ています」という歌がありますが、いつまでも昔の頭のままで社説を書いているようでは、情けないと思います。
共産主義というのは、真逆にモノを見る「癖」があります。正しい価値観は1つであり、共産主義による世界統一にこそ人類の幸せがある、と頑なに思っているところがあります。そんなところから、マルクス教と言う人もいます。
今後は、遮二無二宇宙への軍拡やサイバー攻撃を仕掛けてくるでしょう。宇宙空間を支配すれば、地上世界を支配できると考えて、宇宙開発計画や宇宙兵器の開発を進めてくるでしょう。
それらに対応するためには、高度な科学技術と人材の育成がどうしても必要です。「人は石垣人は城」と言ったのは、戦国武将の武田信玄です。21世紀の国防と国民の教育の問題は、連動して考える必要があります。
そして、グローバリズムと言うことを合言葉のように使うところがありますが、あくまでも経済や科学技術分野の話です。政治分野では、現実に国境が意識され、時にはそれをめぐっての争いがあります。そして全く無警戒、無原則に経済交流、科学技術交流をして良い時代ではありません。場合によっては、自国の首を絞めることにつながります。
1978年に日中友好条約が締結され、それを境に日本企業が中国に進出しました。身の回りにメイドイン・チャイナが増え始めたと思ったら、あっという間に世界2位の経済大国となり、軍拡路線をひた走るようになり、その脅威の足音が近くまで来ています。
中国の巨大化は、日本の企業が半ば育てたようなものです。政界人はもちろん、財界人も含めて、国民一人ひとりが国家意識と国防意識をもって行動する必要がある時代です。