「中核派のことを2紙が結構大きく扱っていますので、これを話題にしましょう」
「ちなみに、2紙というのは?」
「面白いことに『産経』と『東京』ですね。主な内容は、最高指導者の清水議長(83)が約半世紀ぶりに姿を現して記者会見をしたということです」
「半世紀というと50年ですか?その間は何をしていたのですか?」
「いわゆる「地下活動」ということですが、時宜(じぎ)を得ていれば勢力を拡大できますが、言っていることがピント外れであれば、いくら活動しても無駄です」
「だけど、時代は変わりましたね。ユーチューブでチャンネルを開設しているので、こういった「過激派」の人たちが作った動画を見ることができるのですね」
「どうですか? 見た感想は?」
「もっと難しい話が延々と続くのかなと思ったのですが、最初ナビゲーターの人がお笑いのようなタッチで出てきて、オリジナルバッジプレゼントと言うので、あそこで拍子抜けしました。ただ、言っていることは、プロレタリアート世界革命とか革命勝利、資本主義の破滅などで、勇ましい言葉が使われていました」
「憲法学会では、もう革命は終わったという立場なのは知っていましたか?」
「それは、どういう意味ですか?」
「憲法学会の通説は、8月革命説をとっていますので、終戦によって革命社会がそこで実現したという捉え方なんです」
「大学の憲法講義で何か習ったような気がします」
「確かに、終戦を境に普通選挙が実施され、それに基づいて民選の2院制が成立、そこを母体として政府が組織されるようになりました。男女平等が謳われ、6・3制の無償教育制度が保障され、社会保障制度も整備されるようになったのです。まさに、革命的な出来事が起きたので、これ以上の革命行動は必要ありません」
「確かに、そう言われれば、そうですね」
「学会の通説ということは、もう革命は日本では目標ではなくなったことを意味します。直ちに解散した方が良いということです」
「貴重な人生の時間ですからね、無駄なことにエネルギーを裂かない方が良いということですね」
「そうですね、本当に時宜が得た主張であれば、支持が社会で広がるはずです。日本共産党の支持率が2%程度ですからね」
「言っていることが、合っていないということでしょうか。ここからが本論です ↓」
八月革命説を検証する
八月革命説は宮澤俊儀氏(1923~1976)が提唱者ですが、いわゆる東大憲法学の流れの中で連綿と受け継がれていきます。芦部信喜氏(1923~1999)が『憲法』(岩波書店、2007年)の中で「国民主権を基本原理とする日本国憲法が明治憲法73条の改正手続きで成立したという理論上の矛盾を説明する最も適切な学説として、……宮澤俊儀の八月革命説を挙げることができる」(30ページ)と、支持する立場を表明しています。
東大憲法学の流れを汲む長谷部恭男氏は「八月革命説が『憲法の科学』であるとすれば、それが、戦後の憲法体制を戦前の国家体制と正当性根拠の点で切断された体制として受け入れ、コミットする人々から見て、明治憲法から現行憲法への移行が、いかに首尾一貫して説明されうるかを明らかにしているからである」(『憲法』新世社、2011年/52ページ)
革命の主体が占領軍であったことは別にして、革命の成果はすでに得られていると考えることも出来ます。実際に、日本共産党が戦前に掲げた「22年テーゼ(綱領草案)」の内容は、貴族院の廃止、18歳以上のすべての男女の普通選挙権、団結、出版、集会、ストライキの自由、憲兵、秘密警察の廃止、8時間労働制、失業保険を含む社会保障の充実、最低賃金制の実施、大土地所有の没収と小作地の耕作農民への引き渡し、累進所得税などによる税制の民主化、朝鮮、中国、台湾、樺太からの日本軍の完全撤退です。
これらの項目は、すべて現在実現されています(確認してみて下さい)。ということは、革命政党は歴史的使命を終えて解散しても良いということです。
ちょっと待って欲しい。資本主義経済の問題が残っているではないかと言われそうなので、そのことを次の項目で考えてみたいと思います。
資本主義経済に対する大いなる誤解
中核派の清水議長は先日の記者会見の中で「資本主義をぶっ倒す」(『東京』2021.1.28日付)と発言しています。この発言を聞くと、完全な勘違いをしていることが分かります。
政治体制は人間が人為的につくったものなので、倒すことができるのですが、資本主義の市場経済は人類の生活の中から形成されてきたものなので、それを「倒す」ことはできません。中学、あるいは高校の教科書の説明を、もしかしたら誤読したのかもしれません。あるいは、受けた教育が悪かったのかもしれません。
確かに、資本主義経済が産業革命を経て成立したように書いてありますが、忽然と歴史の舞台に資本主義経済が登場したということではありません。
長い貨幣経済の歴史があり、そのうち市場が設けられ、商品も豊富に出回るようになります。それらは、資本主義経済の萌芽的な動きとして見る必要があるのです。つまり、資本主義経済というのは、人類の文明史とともに歩んできて、その市場を拡大してきただけなのです。
人間も成長をするに従って、子供、青年、大人と呼び方を変えます。経済のネーミングも同じです。立派になった経済の発達段階を資本主義経済とネーミングしているに過ぎません。
そのうち機械工業が発達して大量生産が可能になると、必要のための生産から売るための生産、利益を得るための生産に変わってきます。経済が質的に変わった瞬間です。それを資本主義経済と呼んでいるだけの話なので、誰か、あるいはどこかの国がそういった制度を作ったからそのシステムが動き始めた訳ではありません。
市場経済は人間の生活が生み出したものなので、人間がモノやサービスを欲する限り、存続するものです。政治体制は作り物なので、権力を握った者が簡単に変えることができます。ところが、経済というのは、生き物なので、それを完全にコントロールすることは不可能です。不可能であることは、1991年のソ連邦の崩壊によってすでに実証されたことです。
たまに、資本主義経済の次はという命題を立てたりする人がいますが、モノとサービスと人間の欲求がある限り、資本主義経済はかたちを変えながら続いていくものだと思っています。
資本主義経済は「生の経済」、社会主義経済は「死の経済」
経済は生き物ということは、よく言われることです。それでは、生き物であるという証拠はどこにあるのか。それは「波動」にあります。「波動」が生きている証拠となります。海や湖は波があります。生きている人間の脳波や脈をとれば、波形として表れます。
この波を「敵視」して、コントロールしようとするのが社会主義経済の発想ですが、これは「無謀な挑戦」であったことをソ連邦の失敗から学び取る必要があります。
このような失敗から教訓をくみ取ろうとせず、世界には統制経済を実行しようとする国も現実にありますし、日本共産党は「生産手段の社会化」を言っています。生産手段というのは、具体的に土地、工場、機械設備ですが、それを社会化、つまり国有化してしまえば経済は窒息状態に向かって進むことになります。自由闊達な競争が無くなるからです。
そもそも現在はサービス経済の時代であり、世界的に見ると、すでにその金額ベースで有形資産よりも無形資産が上回っています。世界のトップ10の企業の顔ぶれをインターネットで検索してみて下さい。その中に製造業が何社入っているか、確認してみて下さい。IT関連企業が上位を占めており、完全にデータ、情報社会に移行していることが分かると思います。つまり、「生産手段の社会化」という主張が時代遅れの主張であることがお分かりだと思います。
そして、実はそういったことをすべて、日本共産党の不破哲三氏は分かっていると思います。ただ、「今さらジロー」(ちょっと古い)なのです。まさか、ここまで風呂敷を広げて閉店はできません。多くの党員に今まで様々なことを言ってきた責任もあります。何とか取り繕おうとしているのが、現在の段階だと思います。
それが証拠に、かつては民主連合政府を1970年代の遅くない時期につくると言っていました。当時は強気でした。今は、社会主義日本の見通しを質問されると、100年後か200年後かなと言っています。頭の中では、「無理」という結論が出ているのです。日本共産党と中核派の違いは、トップが革命は無理と思っているか、思っていないかの違いだけです。そして、両者に共通しているのは、具体的な政策が全くないことです。
共産党に関して言えば、かつての「22年テーゼ」の様なものはありません。安保の放棄といった戦略的な政策、あるいは「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」といった抽象的な言い方しかしていません。というか、言えないというのが実際のところだと思います。そして、「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」社会は資本主義社会でこそ可能なスローガンです。まさに、5G革命でそういったことの道筋も見えるかもしれません。すべての先入観と思い込みを廃して、虚心坦懐に物事を見ることをお薦めいたします。
読んでいただき、ありがとうございました。
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