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戦後80年をどう評価するか ―― 経済成長の陰で見落とされた「国家の理念」と共同体の空洞化 / 経済的パフォーマンスは基準にはならない

  • 2026年3月31日
  • 歴史
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「『文藝春秋』の今月号に辻田真佐憲氏の「『戦後』の正体」という論文が掲載されています。連載企画の第1回目ということで、読んでみました」

女性

「辻田氏は最近注目を浴びている近現代史家ですよね」

「そうですね。ただ、第1回目を読んだ感想としては、歴史は通史を踏まえて語らないと正確に論じることはできないとつくづく思いました」

女性

「内容的に不満だったということですか?」

「詳細は本論に書きますが、明治維新を基軸に考えてしまっています。明治維新以降現代までを俯瞰的視点だと思い込んでおられます。これでは正確に日本の歴史を語ることはできません」

女性

「それは、どうしてですか?」

「簡単に言うと、明治以降は私に言わせれば、日本であって日本でない時代がそこから始まっているからです」

女性

「日本の伝統と文化の礎を築いた時代は飛鳥時代とよく言っておられますものね」

「そうですね。そこを基準にして日本という国を見つめないと、天皇の在り方一つとってみても、正確に論じることはできません」

女性

「それから、何を基準として考えるかが大事ですよね」

「そうですね、サッカーで言うと、単純に勝ち負けで判断するのか、試合でのパフォーマンスを評価するのか、ということでしょうね」

女性

「点数に繋がらなかったけれど、ファイト溢れるプレーでサポーターが熱狂することがありますからね」

「そこに集った観客が満足できる試合だったかどうかで判断されるものだと思います」

女性

「ここからが本論です ↓ 表紙の写真は「テレ朝NEWS-テレビ朝日」提供です」

 経済的パフォーマンスは基準にはならない

辻田氏は経済的パフォーマンスを基準に戦後史を評価しようとしています。「本当にすごかった戦後日本」という項目を立てて、「戦後50年の1995年。いまから思えば、日本はいまだ堂々たる経済大国であった」「1人当たりのGDPは世界第三位に位置し、名目GDPも約5.5兆ドルに達していた。……」と絶賛しています。点数さえ入り、試合に勝てばそれで良いという感覚です

経済が基準なので、「失われた30年」以前の戦後史は「本来あるべき日本」だそうです。果たして、そのような単純な見方で歴史を語って良いのでしょうか。

国家は単なる経済装置ではなく、理念に基づいて構築された組織体です。従って、歴史を評価する際には、その理念や統治構造を読み解く必要があります。経済指標だけで歴史を語ることは、サッカーの試合をスコアだけで評価をするようなものです。そんなことはサッカーを知らない人でも分かることなので、敢えて文章にする価値も意味もありません。

サッカーの評論家は、一般の人が気付きにくいことを取り上げます。選手の動きや戦術、試合全体の流れや構造を読み解きます。新しい視点が提示されることにより、サッカーという競技の理解が深まり、違った楽しみ方を教えてくれます。歴史家を名乗るならば、表層的な数値ではなく、構造や理念に踏み込んだ分析的な視点が求められるのです

(「note」)

 高度成長は「結果」であって「本質」ではない

経済の指標で歴史を見ているため、戦後すぐの時期の高度経済成長期を評価しています――「戦後の成功神話は、日本国憲法を神聖不可侵とする左派だけでなく、……右派からも、実のところ広く支持されてきた」。その時代は「本来あるべき日本」であり、「取り戻されるべき黄金期」だと言います。浅薄な歴史観としか言いようがありません。

そもそも何故、高度経済成長が成し遂げられたのでしょうか。複数の要因が偶然重なったからです。戦前日本は軍人官僚と内務官僚が支配する国でした。議会はありましたが、協賛機関で国政に影響力を与えることはありませんでした。天皇は権威の檻に閉じ込められ、身動きができない状態でした。敗戦となり、GHQが行ったことは陸軍省、海軍省、内務省の解体でした。彼らは日本を支配していた組織がどこなのか分かっていたのです。

敗戦を期に、それまで日本を支配していた三つの省が解体され、それ以外の省庁が横並びになりました。そして、GHQ主導の民主化政策(財閥解体、農地解放、労働組合の育成)によって社会構造が再編され、格差の是正にむけて動き出しました。新しい憲法が制定されたこともあり、解放感が日本中に広がることになります。空襲によって国土は焼け野原となり、インフラや建築の需要はもとより、生活物資の需要は高まる一方でした。生活をする上では最悪の状態でしたが、経済的には絶好の条件だったのです。

さらに、アメリカ占領軍が駐留したため、防衛費を考える必要がありません。すべて国土復興と国民生活向上のために予算が使えました。そして、1950年から始まる朝鮮戦争による特需もありました。為替レートは1ドル=360円の円安固定レートも、日本の輸出産業にとって追い風となりました。このように、高度経済成長は複合的な外部条件によって支えられた「結果」に過ぎません。それをもって「本来あるべき日本」とするのは、歴史の本質を見誤る元です。

(「ライブドアブログ」)

 「勝利の実感」を共有できなかった社会

仮に試合に勝ったとしても、その勝利が観客全体のものになっていなければ、それは真の勝利とは言えません。サッカーの醍醐味は、勝敗を超えて、その場にいる人たちがサッカーを通じて一体となり、高揚感を共有することにあります。

戦後日本において問題なのは、まさにこの点です。経済的には成功と言って良いのかもしれませんが、多くの国民が「日本丸の一員」としての実感や、「この国に生まれて良かった」と思える気持ちを十分に持てなかったのではないでしょうか。

人間が社会の中で健全に生きるためには、孤立させないということと、本人の進路を定めるということです。この2つが揃って、人間は主体的に学び、働くことができるのです。特に重要なのが、子どもの時期です。大人になればある程度人間関係を構築し、自己を確立することができますが、子どもの場合はそういう訳にはいきません。2重3重のサポートが必要です。

結論から言うと、文部省はそういった視点で教育を捉えてはいません。だから、不登校が増え、子供の自殺も増えるのです。そんなことも少子化の遠因となっています。得点は入ったものの、観客全体に配慮していなかったのが戦後80年の問題です。単純に経済の指標だけで歴史を語ってはいけない理由です。

(「ニュースがわかるオンライン」)

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