「イスラエルとハマスですか? 戦争が始まってしまいましたね。死者が合わせて、2000人と言っています」
「ある意味、起こるべくして起きた戦争かもしれませんね」
「このブログで、イスラエルとパレスチナの問題について教えてもらっていたので、根深いものがあることは理解していました。それにしてもアメリカのイスラエル支持は早かったですね」
「ブリンケン国務長官が、今日(10/12)もうすでにイスラエルに到着しましたからね」
「素早いですね」
「民主党のバックにはユダヤ財閥が付いていますからね。在米ユダヤ人は500万人位いると思います」
「500万票は大きいですね。昔から、つながりが深いのですか?」
「イスラエルが1948年に建国した時に、間髪を入れずに承認したのがアメリカだったのです」
「日本はどういう立場ですか?日本政府はいつもの通り、明確なことを言っていないみたいですけど……」
「日本はパレスチナ自治政府に対する、最大の援助国なんですが、何となく沈黙していますよね」
「イスラエルとも友好関係を結んでいるので、どう出たら良いのか、困っているのではないでしょうか」
「イスラエル7、パレスチナ3位だと思います。ただ、そんなこと言う訳にはいきませんからね。ここからが本論です ↓ 表紙写真は『日本経済新聞』提供です」
パレスチナ問題の発生の原因はイギリスの「2枚舌」
このブログで5回、イスラエルについて発信していますが、簡単に概略を説明します。パレスチナという土地は、第一次世界大戦まではオスマン帝国の一部でした。その時代のパレスチナは、キリスト教徒、イスラム教徒、そしてわずかにユダヤ教徒たちが特に問題なく共生していました。
1914年に始まった第一次世界大戦は、イギリス、フランスの連合国とドイツ、オーストリアの同盟国の争いとなり、オスマン帝国は同盟国側につきます。イギリスは戦争に勝つためにユダヤ人の協力を得ようと、戦争に勝った場合パレスチナに国家の建設を許す約束をします。しかし、問題なのは、同じ約束をアラブ人とも交わしていたのです。パレスチナ問題の火種がここで蒔かれたのです。
(「ハフポスト」)
ヨーロッパを追い出されパレスチナに向かう
第一次世界大戦で戦勝国となったイギリスはパレスチナを手に入れますが、植民地としてではなく、国際連盟の委任を受けて統治をするという立場です。ユダヤ人たちはイギリスに約束(「バルフォア宣言」)を守るように要求します。イギリスはパレスチナへの入植を許可します。ただ、当初は殆ど入植、つまりパレスチナに移住するユダヤ人は殆どいなかったのです。すでに自分たちの生活環境がそれぞれの国において確立しているので、そこを離れたくない人が殆どだったのです。
それが転機となったのが、ナチスドイツの登場です。ヒトラーによる大量虐殺もあり、ユダヤ人たちはドイツ、そしてヨーロッパを離れ、パレスチナに向かいました。ただ、パレスチナにはアラブ系のパレスチナ人たちが住んでいたのです。
一つの土地に宗教も民族も違う両者が集うことになりました。その調整をイギリスは国連に任せてしまいます。
(「note」)
ハマスの台頭とそれを支援するイラン
国連が出してきたのが、パレスチナ分割案(1947年)です。イスラエルとパレスチナの分割比率は55対45でした。イスラエルはこの分割案を受け入れて、翌年に建国を宣言します。パレスチナ人と周辺のアラブ国は不満です。すぐに中東戦争が始まります。これが第四次まであり、すべてイスラエルが勝ちます。そしてイスラエルが勝つたびに、領土を広げていったのです。
その後、パレスチナ組織のPLOとイスラエルが和平合意します(オスロ合意/1993年)。アメリカのホワイトハウスでイスラエルのラビン首相とPLOのアラファト議長が握手を交わしたので、これで一件落着と思われたのですが、その後ラビン首相が暗殺され、アラファト議長が2004年に死亡しPLOが政治的影響力を無くしていきます。
その後、パレスチナ人の支持を拡大して勢力を伸ばしたのがハマスです。ハマスの意味は、イスラム抵抗運動の意味です。ハマスの今回の行動について専門家は、イスラエルに土地をどんどん奪われた上、サウジアラビアがイスラエルと国交正常化を果たし、追い詰められた気持ちになったのではないかということです。
そのハマスを側面援助したのがイランではないかと言われています。アラブ諸国がイスラエルに対してどこも弱腰なのを一番批判をしています。イランはペルシア人の国ですが、イスラエル憎しでハマスを応援しているのです。中東は世界の火薬庫と言われているように、宗教と民族が絡み合っています。今回のように一度戦闘になってしまうと、修復するのに大変な労力が必要となります。
(「日本経済新聞」)
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