「2024年10月25日は、特攻隊実施80周年になります」
「そうなんですね。ある意味、特異な作戦だったので、それなりの検証が必要でしょうね」
「最近になって『日米史料による特攻作戦全史』の翻訳版が刊行されたそうです」
「ということは、特攻のことを調査・研究されている人がいるのですね」
「先月に広島の大学院の女子学生が回天のことで靖国会館で講演をするというので聞きに行きましたが、よく細かく調べたなと思いました」
「そういう方がいらっしゃるのですね」
「そうですね。若い女性でしたので、少し驚きました。会場のある人から、どうして回天に興味を持ったのですかという質問が出ていましたので、私のように感じていた人がいるんだなと思いました」
「ところで、何人くらいの方が特攻隊として出撃したのですか?」
「約6千人ですね」
「結構な数ですね」
「本来、国民の命を守るのが国の役目なのに、それが逆転してしまったのですね」
「2度とあってはならないという思いを胸に、顕彰と慰霊をすべきでしょうね」
「時の国家指導者に対しては批判の目を、そして命を捧げられた方には哀悼の意をということで、別々の態度が必要です」
「ごちゃ混ぜにしないで、峻別するということですね。ここからが本論です ↓ 表紙写真は「毎日新聞」提供です」
「皇国日本最大のイデオローグ」の活躍
平泉澄は東大文学部国史学科の教授ですが、「あの時代(昭和戦前期~戦中期)の日本において、平泉は社会的に最も大きな影響力をふるった」(立花隆『天皇と東大』文藝春秋)方で、(同上)です。当時の宮中、そして軍部、政界の中枢部に思想的影響を与えることになります。
なぜ、それ程までに影響を与えたのか。彼の過激な主張と当時の社会が上手くマッチングしてしまったということだと思います。歌にも流行りがあるように、思想や考えも流行りがあります。
平泉は当時の国史教科書による勉学を無益として退けます。こんなものを読んで年号や人名を暗記しても意味がないといいます。そして、歴史教育に必要なものは、「国史三千年を貫いて流れる所の精神を感得」(『国史学の骨髄』)することであると言います。その辺りの考えは、私も同感です。ただ、どういう「精神」を感得するかが問題となります。
連戦連勝を宿命づけられた軍隊ーーそこから悲劇が始まる
平泉にとって重要な歴史書は何なのかというと、『神皇正統記』、『日本書紀』、『大日本史』の3冊です。特に「大日本は神国なり」で始まる『神皇正統記』を第一の書と掲げています。この書があったから、明治維新の大業が成ったと言います。戦前を賛美する方は、明治維新以降を評価する傾向があります。
神武創業を合言葉にした明治維新を評価し、日本は神の国だから日本軍は天の兵隊でなければならず、向かうところ敵なしの連戦連勝を宿命づけられた軍隊というのが平泉の信念だったのでしょう。神武創業は合言葉だけだったということは、このブログの中で言ってきました。
平泉は、当時の軍隊から講演活動に何回か呼ばれています。「昭和9年になると、海軍大学校で講義を5回、陸軍士官学校で講義を4回、それぞれ数百人の学生に対しておこなったりもしている」(立花隆、同上)のです。陸軍は長州閥の流れを汲み、海軍は薩摩閥の流れを汲んでいたので、基本的に反目していたようなところがありますが、その両者を精神的に結び付ける力を持っていたのです。そんなこともあり、東条英機も彼の皇国史観に心酔していたのです。それだけ陸軍と海軍の講演に招かれるということは、政権上層部に彼の考えを強く支持する人がいたということです。
(「You Tube」)
1億総玉砕の危険もあったーーそ
戦局はミッドウェー海戦からおかしくなります。ただ、不戦の軍隊が負けることはない、というその結論に合わせるように無理な作戦が次から次に出され、さらに傷口を深めていくことになります。それと並行して、「陸軍省軍務局の上層部から、現場の実質的担当者である左官レベルの将校にいたるまで、平泉門下生が中心になっていった」(立花隆、同上)のです。軍隊は上命下達の典型的な組織です。砂地に水が沁みていくように、上から下までイデオロギー的に洗脳されていったのです。
イデオロギー的に洗脳されるということは、思考力が無くなることを意味します。単眼的になり、一つのことしか考えなくなります。新興宗教に入信したようなものです。日本人は農耕民族の「一所懸命」のDNAを受け継いでいるため、視野が狭くなる傾向がどうしてもあります。特殊詐欺に引っ掛かる人が多いのも、そのためです。神国日本のために命を捧げることこそが「悠久の大義」であると考え、ついに終戦間際の6月20日に義勇兵役法案が貴衆両院を通過します。その法案は、本土決戦をするためのものです。15~60歳までの男子と17~40歳までの女子は義勇戦闘隊に組み込まれ、米軍相手に玉砕戦を戦うというものです。沖縄で行った玉砕戦を本土で行おうとしたのです。
日本全体が熱病に罹ったように本土決戦を真面目に考えるようになった頃、天皇の意志が和平に傾きます。6/22の最高戦争指導会議で戦争終結に向けて実現努力せよと発言されます。ただ、一般的に知られているのは、8/9の御前会議での御聖断です。議論は深夜にまで及び、最後に天皇がポツダム宣言受諾を決断されたというものです。その期間、軍の上層部は何をしていたのか。特攻と回天が出撃を繰り返すなど、戦局打開のため無謀な作戦を取り続けていたのです。純粋無垢な若者たちの力を戦後復興に役立てようと、誰も思わなかったのです。
シラス者を置いたお陰で日本という国が守られたようなものです。現在の日本にはシラス者はいません。何かあると、180度変わってしまう国民性です。憲法を改正して、天皇をシラス者にする必要があるのです。
(「You Tube」)
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