「マルクスがユダヤ人だったということは知っていますよね」
「ええ、前に教えて頂きましたから。お友達のエンゲルスもそうですよね。今日はマルクス主義の勉強ですか」
「その内容については、いろいろな方がすでに本や論文で発表しています。不思議に思っているのは、マルクスがそのような思想を持つに至った歴史的な背景や流れについて、殆ど語られていないのです」
「必要ないと思っているんじゃあないでしょうか?」
「そうかもしれないけど、真空地帯から思想が湧き出る訳ではありません。そこには、必然性があるはずです」
「つまり、マルクスが革命理論を打ち立てようとした動機ですね」
「そうですね。そうすると、ヨーロッパのユダヤ人施策と彼に影響を与えたフランス革命などを見ておく必要があります」
「そういった視点からの先行研究はあるのですか?」
「探した限りはないのです」
「ないというのは、不思議な気がしますけど」
「何故ないのか、考えてみました。私の予測では、専門分野と大いに関係があるのではと思っています」
「専門ですか?」
「マルクスの思想内容となれば哲学、社会思想が専門の人になります。ただ、社会背景となると、世界史を専門にしている方の仕事となります」
「一度に両方は書けないということですか?」
「そんなところだと思います。2つの視点から見て初めてマルクスの考えていたことが真に分かるのではないかと思っています。2回シリーズでいきたいと思います」
「ここからが本論です ↓ 表紙は「東洋経済オンライン」の提供です」
貸金業だけが認められた唯一の仕事であった
シェイクスピアの「ベニスの商人」の中で登場するユダヤ人の金貸しシャイロックは悪徳な金貸しとして描かれています。彼らがどの位の利子を取ったのか、資料が遺っています。「フランクフルトユダヤ人史」第1巻に13世紀から14世紀頃の課した利子のデータが掲載されています。それによると、10~86%。かなりのバラ付きがあるのですが、10%というのは例外的に低く、平均的な数字は50%位です。
ちなみに、日本では貸金業法によって年利15~20%という上限金利が定められています。住宅ローン金利であれば固定でも2%程度だと思います。そういった数字と比べると、かなりの高金利を取っていたことが分かります。
高収益を期待できるので、ユダヤ人に独占させなければ良いのにと思うかもしれませんが、当時のヨーロッパの人たちは、金融業は下賤の仕事と考えていたようです。日本の江戸時代に皆が触るお金を喜んで貰う商人を一番下の身分と考えたのと同じ感覚です。
神学者のトマス・アクィナス(1225-74)は「ユダヤ人の財産は全て高利貸しの結果」と書き残しています。
(「Filmarks」)
「人権宣言」がナポレオンによって広められる
高利貸しとゲットーはユダヤ人に与えられた宿命のようなものだったのです。上層ユダヤ人を除いて、活動範囲は極めて制限されていたのです。現代の言葉で言えば、職業選択の自由も居住・移転の自由もないまま、ヨーロッパ世界で何百年も生活をしていたのです。
その生活が転機を迎える事件が起きます。フランス革命(1789)です。国民議会は「人権宣言」を採択します。その1条には「人は自由かつ権利において平等なものとして生まれ、かつ生存する」と規定されました。ところが、この「人」の中にユダヤ人を入れて良いのか、議論となります。
最終的には、ユダヤ人を含めて、すべての市民の自由が認められることになります。そして、その考えがドイツにも及ぶことになります。ナポレオンの功績です。ナポレオンの占領・統治がドイツに及び、占領地域でのユダヤ人解放が行われます。ナポレオンの弟ジェロームが統治したドイツのウェストファーレン王国(1807-13)はユダヤ人大憲章を定めるのですが、ドイツで最初のユダヤ人解放令となります。
ナポレオンはユダヤ人たちに歓喜の渦の中で迎えられます。
(「twitter」)
ナポレオンの没落とともにユダヤ人も没落する
喜んだのもつかの間でした。ナポレオンの没落です。ナポレオンなき後のヨーロッパ世界の秩序をどうするか、討議が始まります。「会議は踊る」で有名なウイーン会議(1814-15)の中で、ユダヤ人の扱いをどうするかが話し合われました。
結論的に言うと、元に戻ってしまったのです。つまり、元の無権利状態に戻されてしまったのです。ユダヤ人たちは、多分絶望のどん底に落とされたと思ったことでしょう。そして、実はこの頃にマルクスがドイツで生まれているのです。(この話続く)
(「okke(オッケ)/You Tube」)
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