
「NHKの朝ドラ「ばけばけ」視ていますか?」

「視てますよ。舞台が熊本に移りましたね」

「本格的に富国強兵の時代に入って行く頃です」

「西洋に負けない、強い国を目指すのだというセリフがありましたね」

「ラフカディオ・ハーン(ヘブン先生)は“強い日本”ではなく、“優しい日本”を愛した人だったのです」

「皮肉にも彼が生きた時代は、日本は西洋に追いつけ追い越せを考えていたんですよね」

「彼は目指す方向が違うと思ったでしょうね」

「西洋の人から見た日本の良さを、日本人は理解できなかったのでしょうね」

「自分のことがよく分からないように、自分の国のことは分かっているようで分かっていないのです」

「そうなんですね。ここからが本論です ↓ 表紙は「鎌倉と江の島のはざまで」の提供です」
ハーンが見た「日本の楽園」と近代の岐路
ラフカディオ・ハーンは1850年ギリシア生まれのイギリス人です。1890(明治23)年に来日して、その後旧松江藩士の娘小泉節子と結婚し、日本に帰化して「小泉八雲」と名乗り、多くの作品を遺します。彼が心惹かれたのは、日本の壮大な建築や武威ではありませんでした。か弱い小さな虫たち、神社や寺の参道や遺跡、道端の地蔵や道祖神、日本家屋の障子や梁、日本庭園、庶民の何気ない生活習慣や用具などの風景でした。
日本人以上に日本を愛した西洋人だと言われています。というか、西洋から来たからこそ、日本の特質が理解できたと思います。自分の特徴や特性は自分ではなかなか気付けません。同じように、自分の国の良さは、内部にいる者には気づきにくい。外部からの視線が、無意識の価値を照らし出します。
ハーンは「先の見えない猪突猛進的な産業化が日本の人々の楽園を駄目にしてしまった」(「虫の演奏家」『日本の心』所収/講談社学術文庫、1990)と記しています。彼が来日する前年に大日本帝国憲法が制定され、翌90年には議会政治が開設されました。まもなく日清戦争が起き、日本は戦争に次ぐ戦争の時代に足を踏み入れていきます。ハーンの抱いた違和感は、単なる郷愁ではありませんでした。文明の進路に対する問い掛けだったと思います。

(「八雲会」)
維新という制度革命――文化構造の再編
ハーンがこよなく愛した日本的な多くのものは、千数百年の律令の時代の中で醸成されたものです。明治維新を境に、今までの日本とは違う日本になっていきます。もともと、日本は神仏習合の国ですが、神仏分離令(1868年)が出され、各地で廃仏毀釈が起こります。城郭打ちこわし令(1870年~)や廃城令(1873年)が出され、多くの城や支城が破壊されます。一種の“文化大革命”が起きたのです。
そのような大変革を長州、薩摩といった外様藩の下級武士たちが何故成し遂げられたのか、ある意味不思議ですが、イギリスの力を借りたのです。1840年にアヘン戦争が勃発します。清とイギリスの戦争ですが、清は武力で屈服させられ、香港が割譲されます。ジャーディン・マセソン商会は、その香港を拠点に船舶や運輸、金融といった国際複合企業として成長します。このマセソン商会が幕末に日本に進出し、討幕派の薩摩や長州に武器を売却したことで知られています。
幕府の長州征伐が失敗に終わったのも、戊辰戦争で常に薩長が有利に戦いを進められたのも、すべてイギリスの商社からの武器輸入がもたらしたものです。そのマセソン商会と長州との繋がりは1863年です。1858年に修好通商条約が結ばれ、一攫千金を狙う外国商人たちが横浜に事務所を構えるようになります。マセソン商会もその一つですが、そこに長州の若き侍たちが訪ねてきます。伊藤博文、井上馨、井上勝、遠藤謹助、山尾庸三、いわゆる「長州ファイブ」です。彼らは英国留学を頼みに来たのです。彼らを支援すれば、後々大きな利益として返ってくるかもしれないといった計算が働いたのでしょう。マセソン商会はその要請を快諾します。長州とイギリスの商社との結びつきは、こんなことから生まれたのです。維新は国内の変革であると同時に、国際資本と結びついた近代化でもありました。制度の再編は、政治のみならず文化の構造にも及んだのです。

(「日本の城ーjapan castle」)
失われた面影と日本人の変容
渡辺京二氏の『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー、2005)という著作があります。「逝きし世」というのは、日本文明が明治を境に終わってしまい、その日本の「面影」・「風景」を辿るという意味で付けたと思われます。幕末から明治期にかけて多くの外国人が日本を訪れ、その彼らが日本や日本人についての記録を遺しています。それを渡辺氏が丹念に紐解いてまとめたのが『逝きし世の面影』なのです。1999年度に和辻哲郎文化賞を受賞しています。
多くの西洋人は日本人の礼儀正しさ、柔和さ、子どもを大切にする文化に驚いています。チェンバレンは「古い日本は妖精の棲む小さくてかわいらしい不思議の国」(同上)、アーノルドは「地上で天国あるいは極楽にもっとも近づいている国」(同上)と表現しています。ボーヴォワールは日本訪問の前に、オーストラリア、ジャワ、タイ、中国と歴訪したが、日本が一番素晴らしく、それは美術、演劇、自然ではなく人々そのものだと言っています――「顔つきはいきいきとして愛想よく、才走った風があり、女たちはにこやかで小意気、陽気で桜色」、「驚くべき奇妙な風習をもつ一民族と接触することとなった最初の数日間の街や田園風景」(同上)。
およそ共通するのは、美術、風景、人々のやさしさ、礼儀といったところです。アンベールは江戸庶民の特徴として「陽気で気質がさっぱりしていて、物事に拘泥しない。子供のように天真爛漫」(同上)と言っています。そして日本人は子どもを大切にするので、子どもにとって天国であると述べています。
多くの外国人が来訪して様々な感想を述べた時代から約160年経ちました。昨日も放火殺人事件が起き、今や日本で1年間に起きる刑法犯は約77万件にのぼります。子供の虐待はこの間、年間22~23万件で推移しています。子供の数が減っているのに、虐待は減っていません。近代化の過程で、私たちは何を得て、何を失ったのでしょうか。明治維新は国家を強くしたかもしれませんが、無くしてはいけないものを失ったのではないか――その問いを避けることはできません。

(「犯罪白書」)
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