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立憲の党首は野田氏で決まる ―— 全候補者すべて共産党との関係を封印 / 立憲主義も共産主義も西洋史観が産み出した考え

「立憲民主党の党首が野田氏に決まりましたね」

女性

「私はどちらかと言うと泉さんが好みだったので、今までで良かったのにと思っています」

「(笑)そうだったんですね。男性3人の中で一番女性受けするかもしれません。泉代表は特に大きなミスもなく頑張っていた印象があるのですが、意外に大きな差がつきましたね」

女性

「何か原因があるのですか?」

「野田氏は一度首相を経験していることもありますし、言動が安定しています。政権を執るという言葉に立憲の議員が反応して票を入れたのだと思っています」

女性

「もしかしたら「日本の顔」になるかもしれないということを考えたということですか?」

「そうじゃないかと言うのが私の見立てです」

女性

「政権を取ると言っても、単独では無理なので、当然どこの政党と組むのかという問題が出て来ますよね」

「おっしゃる通りです」

女性

「立憲の場合は、近しい政党がないという印象を持っています」

「だから共産党からオファーコールが出ると、つい引き寄せられていたというのが今までの立憲の姿だったのです」

女性

「野田党首になって、変わりますか?」

「「立憲共産党」というレッテルを貼られないように慎重に行動すると思います」

女性

「ここからが本論です ↓表紙写真は「読売新聞オンライン」提供です

 全候補者すべて共産党との関係を封印

立憲民主党の党首選挙期間中、意識して共産党との関係を全ての候補者が封印していたように思えました。枝野前代表の時に共産党との間で「限定的閣外協力」を取り付けて、衆議院総選挙に臨み惨敗をした記憶があるからだと思います。だからそんなこともあって、部分的な協定程度なら可能だが、「包括的な連携は難しい」という結論になったのだと思われます。

共産党からすれば、自分の考えに近い政党なので、一番親近感を持っていると思います。とにかく、立憲を引き入れなければ、その後の展開が難しいと思っているため、何回でもオファーを送ることになります。

紅一点の候補者の吉田晴美氏は、東京8区の選挙区で石原伸晃氏を打ち破って当選を果たした方です。バイタリティを感じさせる歯切れのよい話し方、年齢よりも若く見える外観など、選挙には強いだろうなと思われます。今回、共産党に近しい考え方の議員の票が一番多く彼女に集まったと見ています。

(「読売新聞オンライン」)

 立憲主義も共産主義も西洋史観が産み出した考え

立憲民主党が共産党に親しみを感じるのは、国家観が同じだからです国家と国民を対立的に捉えるという点では同じです。そのように捉えた上で、国家と国民を社会契約関係が結ばれているという想定の下で、権利や義務を考えるという思考回路を持ちます。

立憲主義というのは、国家が暴走しないように、常に監視をしなければいけないという考え方が前提です。その際の指標が憲法ということになります。そこまでの考え方は、共産党も同じです。

共産党は権力に対する監視を肯定します。そして、国家が人民の国家でない限り、それは打ち倒す対象となります。良いとか悪いとか、契約を守るとか守らないとかは関係なく、人民の政府以外は認めないし、すべてが革命で打倒する対象と考えます。政党活動の内容も革命の気運を高めるような動きとなります。大衆活動の中では、どうしても現政府批判が先に来ます。その批判者を恒久的な批判者に仕立てて、共産党の支持基盤を拡大しようとするのです。ただ、だからと言って、自分たちが政権を取った後の具体的政策がある訳ではありません彼らは社会主義日本・共産主義日本が具体的にどういう体制の社会なのかを述べたことはありません。目の前の政権を打ち倒すことだけを自己目的化して活動をしている政党です。

(「東銀座出版社」)

 日本と西欧とは国づくりの考え方が違う

立憲民主党と共産党が根本的に誤解しているのは、日本も西欧と同じ国づくりをしてきたと思い込んでいるところです。西欧は前述のように国と国民を対立的に捉えますが、日本の場合は家族主義的国家観の下、国づくりをしましたので、立憲主義という言葉は本来的に馴染まない言葉です。

今の日本の原型をつくったのは聖徳太子です。十七条憲法の第一条は有名な「和を以て貴しとなす」です。その後半部分に「上和(やわら)ぎ下睦(むつ)びて事を諭(あげつらう)にかなう時は、則ち事理自ずから通ず」という文言があります。ここで言う「下」というのは、自分の手下の者という意味ではなく、組織の一番下の者という意味です。国で言えば民となります。上の者が胸襟を開いて民と仲良く議論すれば何事も解決すると言っています。

民を「おおみたから」と呼んで、同じ屋根の下に住む仲間であり、家族と見做します。日本に農奴が存在しない大きな理由です。明治政府が江戸時代について、士農工商という言葉と共に封建制度という言葉で説明しプロパガンダを流しましたが、封建の意味は土地と人民の支配という意味です。武士が持っていたのは徴税権だけです。農民は田畑の所有権を有していましたし、自由に江戸や大坂の町に行くことが出来たのです。そのような考え方の国では、立憲主義という考えが入り込む余地は基本的にないのです。

(「ヒューマンアカデミー」)

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