「ロシアのナワリヌイ氏が亡くなりましたね」
「彼は反体制派の象徴的存在として知られていましたので、ショッキングニュースが世界を駆け巡りました」
「当局の発表した死因が突然死症候群ですが、そのような病気があるのですか?」
「突然死症候群について調べてみたら、1歳未満の赤ん坊がかかる疾患とありました」
「40過ぎの大人はまず、そういうことはないということですね」
「心筋梗塞で突然亡くなるということはありますが、であれば親族や関係者に遺体と対面させても問題ないと思います」
「頑なに拒否したそうなので、絶対に怪しいということでしょう」
「『朝鮮日報日本語版』によると、彼のように不可解な死を遂げた人が2年前の侵攻以降50人以上いるとのことです」
「本当ですか! 私が知っているのは、プリゴジン氏くらいです。おそロシアという感じですね」
「こういう時は、政権は様々なかたちで暴発する可能性があります。用心をする必要があります」
「前に、このブログで紹介した北海道侵攻計画ですか?」
「「まさか」と思うことが起きるのが歴史ですからね」
「ここからが本論です ↓ 表題写真は「ロイター」提供です」
暗殺の歴史は共産革命の頃から
1917年にロシア革命が起き、この地上に初めて社会主義国が誕生します。この革命は、マルクスがシナリオを書いて、レーニンが演出したと言われています。10月革命後、ソビエト政権がただちに世界大戦からの離脱を表明したことと、「科学的社会主義」という魅力的なネーミングもあり、当時の世界の知識人は魅了されてしまいます。
それは日本とて例外ではありませんでした。当時のソビエト共産党がコミンテルンという世界組織をつくり、そこから革命を全世界に輸出しようと考えます。そのコミンテルン日本支部が1922年7月に発足します。これが日本共産党です。彼らは出自を隠していますが、非合法活動を資金的にもコミンテルンが支えます。
マルクスが説いたのはプロレタリアート独裁なので、本来は労働者の中から民主的な制度が作られるべきですが、何故かそれが共産党独裁に置き換わってしまいます。国家を共産党が支配する体制がつくられ、その体制を守るため「非常委員会」がつくられます。これが後のKGBですが、ここが主導して体制にとって不都合な人間を次々と暗殺をしていきます。警察よりも上の組織が行う行為を誰も止めることは出来ません。『共産主義黒書』は、3/4世紀の統治下での犠牲者数は2,000万人と言っています。ちなみにプーチンはKGB出身の大統領です。
(演説するレーニン/「東洋経済オンライン」)
シベリア抑留―—戦後に起きた悲劇
「戦争を知らない子供たち」という歌が今から50年位前に流行ったことがありました。それを作詞したのが北山修さんですが、先日亡くなられました。そんなこともあって、歌そのものも戦争の記録と共に忘れ去られようとしています。歴史の授業はあるものの、現代までたどり着けなくてアメリカと戦争をしたことを知らない子供たちが増えているそうです。ましてや、ソ連(現ロシア)と戦ったことを知っているのはほんの少数かもしれません。
8月15日に敗戦となりますが、その後ソ連は中立条約を破棄して、千島、樺太、朝鮮半島に侵攻して、約70万人の軍人と民間人を捕虜として拉致、抑留したのです。そのことについて教科書はまったく書いていませんが、抑留によって死亡した人は約4万6千人います。
なお、彼らはソ連の全土に設けられた約100か所の収容所に分散、抑留され過酷な労働に従事したのです。2022年に「ラーゲリより愛を込めて」が全国上映されて実態がようやく少し伝わりましたが、解明されていないことが多いのが実状です。
(「MBS毎日放送」)
スターリンを偉大な指導者として仰ぐ――プーチン
なぜ、ソ連が対日参戦をしたのか。1945年2月にクリミア半島で米・英・ソ3か国首脳によるヤルタ会談が行われており、そこでドイツが降伏して3か月以内のソ連参戦が密かに決められていたのです。その時点で、スターリンは捕虜とした日本人を労働者として働かせることを考えていたようです。そのことを明確に裏付ける資料はありませんが、何十万人という人間を国内100か所とも言われる収容所(ラーゲリ)に手際よく送り込んでいるからです。
そのスターリンを偉大な指導者として仰ぐのがプーチン大統領です。「ソ連崩壊は20世紀最大の地政学的悲劇」と公言して憚(はばか)りません。プーチンはソ連時代から徐々に版図が狭くなってきているのが不満で、それがウクライナ侵攻の根本的な動機になっています。ナワリヌイ氏はそこを徹底的に批判してきたのです。スターリンは反対者に対して暗殺で応え、68万人を処刑したと言われています。
ただ、そのことが分かったのは彼の死後です。現代は情報化時代、隠そうとしてもあっという間に世界に広がる時代です。その点はスターリンの「鉄のカーテン」の時代とは違うのです。
(「Wikibooks」)
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