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「左右の対立」を乗り超えて ―― 明治以降に始まった思想的対立 / 「真の保守」のあり方とは

「右翼、左翼がわかる心理テストというのがあるの、知っていました?」

女性

「何ですか、それ?」

「12の簡単な質問に答えるだけで、AIが判定してくれるのです」

女性

「例えば、どういう質問ですか? 」

「政治的、思想的質問は皆無です。普段、どのように思って過ごしているかを探るような質問です。例えば、「人生はズボラなほうが幸せ」「困っている友達は助けたくなる」「人とは視線を合わせないように会話する」といった質問です」

女性

「面白いですね。それをイエス、ノーで答えるのですか?」

「5段階のイエス、ノーで答えます」

女性

「それで結果はどうだったのですか?」

「右翼というより、どちらかというと左翼と診断されました」

女性

「結果的には違うような気がしますけどね……」

「人間の持っている価値観を単純な設問で判断しようとすること自体が無理ではないかと思います」

女性

「なるほど、ここからが本論です ↓ 表紙写真は「PIXTA」提供です」

 日本における左翼思想の流入と展開

左翼、あるいは左派とは、政治においては一般に「より平等な社会を目指し、社会変革を志向する立場」を指します。 穏健なリベラルから、社会主義、共産主義、無政府主義に至るまで、幅広い思想潮流があります。

日本に左翼思想が持ち込まれたのは、明治時代です。イギリスのロックやフランスのモンテスキューといった思想家の社会契約論が紹介され、これが自由民権運動の理論的基盤となりました。この時点では、左翼思想という明確な自覚はなく、あくまでも近代国家形成のための思想の移入という捉え方だったと思います

そのような啓蒙思想が政治的な色彩を帯びてくるのは、大正デモクラシーの時代に入ってからです。1917(大正6)年、世界で最初のロシア革命が起き、衝撃が全世界を走り抜けます。社会主義・共産主義の波が世界に広がり、その考え方が日本にも入ってきました。1922(大正11)年にコミンテルン日本支部として日本共産党が結成されました。コミンテルンというのは、ソ連が社会主義の考え方を広めるためにつくった国際組織です。この動きを警戒した政府は、1925(大正14)年に治安維持法を制定して、共産主義思想に対する取り締まりを強化したのです。

(「note」/大正デモクラシー)

 右翼・左翼という概念の起源と意味の変化

一方の右翼とは、一般に左翼の対立概念として理解されています。ただし、左右の区分は、国や時代によって異なり、必ずしも明確な定義がある訳ではありません。言えることは、お互い影響を与えながら、その思想内容を変化してきたことです。

「右翼」「左翼」の言葉の由来は、18世紀末のフランス革命期にまで遡ります。国王の法案拒否権をめぐって議会が真っ二つに対立をし、議長席から見て右側の議場に拒否権賛成派が座り、左側に拒否権反対派が座ったことが、これらの呼称の語源になっています。

この区別は、やがて保守派、体制派=右翼、改革派(進歩派) =左翼という理解へと広がっていきました。ただし、それは大雑把な目安です。現代社会が複雑化するにつれ、多様な価値感が交錯し、単純な二分法では整理できない事例も増えています。従って、左右の分類はあくまでも目安であり、個々の立場や背景を踏まえた理解が必要です

(「note」)

 日本における思想的対立の歴史と「真の保守」の姿

日本において、左右の対立構造が明確に意識されるようになったのは、明治時代以降のことです。藩閥政府に批判的な勢力が自由民権運動を組織し、議会を拠点に反政府運動を展開しました。これに対して、政府の「富国強兵」路線を支持する層が保守派として台頭してきます。

しかし、保守派が支持した政治勢力は、やがて軍国主義に舵を切り、多くの国民を戦争の泥沼に陥れました。この明治維新から敗戦までを導いた流れをそのまま肯定することはできません。むしろ、保守派が目指すべきは、明治のエセ保守の時代ではなく、それ以前の日本に根差した伝統・文化への回帰であるべきです。

エセ保守の時代には、天皇を政治利用しました最初の五箇条の御誓文が典型です。戊辰戦争の途中で、戦いを有利に進めるため、まだ若干15歳の明治天皇に五箇条の御誓文を諸侯たちが居並ぶ場所で読み上げさせたのです。教育勅語や軍人勅諭に神武天皇の名前を用いて、その権威を利用しましたが、天皇に統治権者としての地位を与えることはしませんでした。天皇を隠れ蓑にしながら、自分たちの利権を拡大し、外に於ては侵略主義を拡大していったのです

明治維新期以降の日本は日本でなくなり始めた時代です。日本に合わない中央集権型国家の導入と、西洋の猿真似路線によって成立しました。戦前の軍国主義に対して厳しく批判する左翼の立場と、本来の日本文化を重視する真の保守が交差するところに、両者の「和解」の道があるように思います。日本はもともと「和」の国ですし、明治以前は思想的な対立などなかったのです。朝鮮や中国とも交易もあり、良き関係が築けていたのです。国外も含めて、すべての対立が明治以降から始まっています。お互い日本人として、明治以前の「本来の日本の姿」を共に目指すことができれば、左右の対立も解消していくはずです。

(「世界の民謡・童謡」)

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