「このブログは社会、経済、歴史、教育といった広い分野を扱っています。何かの分野に特化している訳ではありません」
「ブログというのは単発の記事なので、経済なら経済、教育なら教育というように一つの分野に絞った方が良いのではないかという考え方があると思います」
「多分、殆どのブログがそうだと思います。実際に「〇〇の教育日記」とか「△△の経済情報」というタイトルの付け方をしています」
「検索をする人は、自分の問題意識に基づいて検索をするはずですよね。そのように分野を特定した方が、訪問しやすいのではないかと思います」
「「日本の危機」という抽象的なテーマなので、入りづらいとは思います」
「今一歩、訪問者が伸びていませんものね。少し反省をして出直すということも考えたらどうですか?」
「初志貫徹でいきたいと思います。人気取りで発信しているのではなく、様々な面から「日本の危機」が進行している実態を認識していただきたいのと、解決の筋道を理解して欲しいと思っています」
「新聞、テレビなどによってマスコミが様々な角度から分析し、記事を発信していますが、それだけでは不充分ということですか?」
「玉石混交だと思っています。確かに、日本は情報が溢れかえるほどあります。ただ、中には悪意の情報を故意に流す方々もいるのです。日本は地政学的に極めて重要な位置にあります。様々な情報がすさまじい勢いで飛び交っているので、それに惑わされる方も当然います」
「最近言われている情報リテラシーの問題ですね」
「情報を見極める力を個々がつける必要があります。そういったことのお役に立てればと思っていますし、日本の危機は複合的に進んでいます。単眼的に考えると、判断を誤る場合があります。時には俯瞰的に、時には分析的に見ることが重要です。そういったモノの見方を身に付けて頂きたいと僭越ですが思っています」
「解散総選挙という話が出始めていますので、主な野党の浮沈の歴史や政策などについてお願いしたいと思います」
「そうですね、実は、中学や高校に公民科の科目がいくつかあるのですが、政党については、戦後の政党政治史の概略を扱って終わりという感じです。政策の中身について教えることはありません」
「余り踏み込まないのですね」
「その辺りの理由はよく分からないのですが、政治的中立を保つという事情があるのでしょう。政策の中身を言い出せば、教師の説明の仕方で政治的立場が分かってしまいます。そういうことを避けたいのかなと思っています」
「18歳になれば選挙権を行使出来るようになります。本来は、その判断材料と政策の見方や考え方を学校教育の中で教えなければ、誰が教えるのでしょうかという問題になってくると思いますけど……」
「扱い方は難しいですけれど、アクティブラーニングの素材としては最適だと思いますけどね。ここからが本論です」
大きな流れに逆らえば何事も上手くいかない
社民党が現在、消滅の危機に瀕しています。何故なのか。一言で言えば、日本のアイデンティテイを踏まえた政策を打ち出すことができなかったからです。分かりやすく言えば、大きな流れに逆行する政治活動をして沈没しそうになっているということです。
何事もそうですが、大きな流れがどこに向かっているかを見定める必要があります。それと違う方向に進んだ場合、一時的に良いことがあるかもしれませんが、長いスパンで見ると、結局衰退への途を歩むことになります。その辺りを、以下詳しく見ていきたいと思います。
社民党は解党手続きを進めるべき
昨年(2020)の11月に社民党は臨時党大会を開き、一部の議員や地方組織が立憲民主党に合流することを容認する議決案を可決します。国会議員4人については、党首の福島瑞穂参院議員だけが党に残り、他の3人は立憲民主党に合流することになったのです。
政党助成法の政党の要件は「国会議員5人以上」か「直近の国政選挙で得票率2%以上」というものです。1つ目の要件は満たしていませんが、2つ目の要件について、2019年の参院選比例区の得票率でギリギリ2%(2・09%)を超え、何とか政党要件を満たしている状態です。
ただ、仮に次の衆議院選挙で得票率が2%を切ったとしても、2022年までは政党として存続することはできますが、殆ど政治的影響力もなくなり、国会議員1人では実のある活動はできないでしょうし、支持者離れを起こしています。2022年の参議院選挙まで無理矢理活動するのではなく、社民党の本部や地方の職員の生活を考えて、きちんと解党手続きを進めるべきではないかと思っています。
(「news.yahoo.co.jp」)
憲法をはさんで政党の「ねじれ現象」が発生
社民党の前身の日本社会党は1945年の秋に結党されていますので、長い歴史を背負った政党だということが分かります。戦後しばらくの時期は、「保守」と「革新」の対決を軸に展開してきた時代でした。「革新」の側のリーダーが社会党だったのです。ただ、「保守」、「革新」というのは、マスコミが勝手につけたネーミングであって学術用語ではありません。
戦後は敗戦の「がれき跡」から始まりました。戦後日本をどう立て直し、世界をリードするような国として発展するためにはどうすれば良いか、これが当時の命題でした。
日本の文化・伝統を守りながら、軍事的にはアメリカと同盟を結んで自由主義陣営の一員として生きていく道を考えたのが「保守」陣営です。それに対して、社会主義革命を模索しながら社会主義陣営の一員として生きていく道を考えたのが「革新」陣営です。「革新」という言葉の中には、まやかしが入っていて響きは良いのですが、本質的には「革命」路線を容認する政党グループです。こういうふうに書くと、国民の多くは「保守」側を選ぶと思うかもしれませんが、憲法問題が国民世論を屈折させることになります。
どういうことか。一般的に「保守」というのは護憲で、その反対勢力は改憲というのが定番です。ところが、日本の場合はそれが見事にねじれて、「保守」が改憲を唱え、その対抗勢力が護憲を唱えるという政治状況が生まれたのです。そして、それが現在も続いているという状況があります。
(「ivote Media」)
現実路線をとり始めてから社民党の衰退が始まる
社民党(社会党)はなぜ、衰退、消滅の道を辿ったのか。簡単に言えば、日本を階級社会と考えて、労働組合側に立って政治活動をすることが自分たちの目指す方向と思い込んだからです。ただ、戦後しばらくの間、国民の側にもそのように思った人たちが多かったのも事実です。冷戦が終結して、社会主義に未来はないと多くの国民が思い始めたことが、投票行動に表れ始めます。
実際に、冷戦時代の1960年代から80年代にかけては、社会党はコンスタントに衆議院選挙で100議席以上を得ていたのです。ソ連邦崩壊直前の1989年の参議院選挙では土井たか子委員長の「マドンナブーム」で改選議席数で自民党を上回る勝利を収めたこともありました。自民党は過半数割れを起こすという惨敗を喫し、55年体制以降で初めて自民党は改選第1党の座を社会党に奪われることになります。
冷戦終結後の1994年には、自民党、新党さきがけとの連立政権を組み、社会党の村山富市委員長が首相に就任しました。ただ、この政権(1994~95)がとった政策は安保容認をはじめとして保守党の立場に添った政策だったのです。そのため、社会党の支持者離れが起きることになります。
(「sankei.com」)
ただ、この間の経験の中で、冷戦崩壊後の世界を見据えて、現実的な政治路線を選択する道を模索し始めます。それが平成8年の党名変更につながります。その際に党内議論を充分していなかったのではないかと思います。ここから、坂道を転げるように党としての勢いがなくなるからです。
その辺りの数字が分かるような選挙をピックアップして表を作ってみました。大きく議席を減らしたのが1993年、1995年、1996年です。途中、持ち直していますが、2001年、03年と議席を更に減らし、その後低迷が続いて現在に至ります。
数字の推移から言えることは、何と言っても冷戦終結による影響が大きいことと、党名変更がプラスになっていないということが分かります。
年 | 選挙の種類 | 改選前議席数 | 改選後議席数 |
1993 | 衆議院 | 134 | 70 |
1995 | 参議院 | 41 | 16 |
1996 | 衆議院 | 30 | 15 |
1998 | 参議院 | 12 | 5 |
2000 | 衆議院 | 14 | 19 |
2001 | 参議院 | 7 | 3 |
2003 | 衆議院 | 18 | 6 |
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