
「シンガポールに観光旅行に行ったことがありますが、前回の話をあらかじめ聞いていれば、違った見方が出来たのではないかと思いました」

「その国の歴史を知ると、別の角度からその国を見ることが出来ますよね」

「その辺りは人間と同じですよね」

「確かに、そう言われてみればそうですね。その人の経歴を知ることによって、改めて、その人の言葉の重みを感じることがありますからね」

「前回の話でショッキングだったのは、「涙の独立宣言」です。今まで、聞いたことがありませんでした」

「普通は「独立おめでとう」です。自然に涙が流れるほど酷い状況から盛り返したということですが、そこには学ぶべき何かがあるはずです」

「それはそうだと思います。出発点の考え方を知りたいですね」

「“人材こそ国家資本である”という、ある意味至極当たり前なことが出発点です」

「その当たり前を見失っているのが日本です」

「そうですね、今の政権は明治から続いていますが、人を将棋の駒のようなものと考えているところがあります。かつては、戦争に勝つための駒、今は経済発展のための駒です」

「ここからが本論です ↓ 表紙写真はリー氏の著書です」
国をつくるための「黄金のロードマップ」
何もない状態から国づくりを始めたのがシンガポールでした。リー・クアンユー政権が「絶望的独立」からわずか10年で国家の基盤をつくった“建国の設計図”は「(1)安全保障 → (2)経済基盤 → (3)国家システム → (4)人材育成」という順でした。リーは「まず生き延びること」「次に食べること」「最後に制度をつくる」という順序を打ち立て、そのロードマップに従って国づくりをします。国家の存立基盤をつくるために中央銀行を設立し、外務省を設置し、国連加盟に向けて外交交渉をすると同時に、マレーシアとの「水供給協定」の再締結に向けて動きます。水さえも自前で用意することができない国だったのです。
次に、国家がどうやって食べていくかです。当時の人口は200万人です。国内市場が小さすぎますので、自力で発展できません。工業団地(Jurong工業区)を整備し、経済開発庁(EDB)を創設して、日本・アメリカ・欧州企業を誘致したのです。外資の力を借りて、輸出によって利益を出そうと考えたのです。それと同時に国民の住居問題を最優先に考え、1965~75の10年間で約30万戸を建設しました。港湾、交通のインフラ整備、軍隊の創設、公務員制度の整備に着手します。
最初に「人と社会の安定」をはかり、最後に制度や教育を整備しています。これがシンガポールを成功に導いた黄金のロードマップです。なんだと思われるかもしれませんが、例えば明治維新は真逆のことをしています。江戸城無血開城をして政権が移譲された後も、「残党狩り」よろしく、東北、北海道の旧藩に戦いを仕掛けています(戊辰戦争)。その上で西欧制度の模倣から近代化を始めます。中央集権制度を採用したのですが、日本の地理的条件を考えれば、無謀な選択でした。中央集権が機能するためには、人・モノ・情報を迅速に運ぶ必要があります。中国のように大河があれば良いのですが、日本は山脈が背骨のように連なっており、川が急流で短く、むしろ物資など様々なものの往来を遮断する役割しか果たしません。電車さえ通っていない時代です。完全なミスです。何も考えずに、猿真似をしたことが分かります。これが、日本という国家が長期にわたって構造的な弱点を抱える原因となりました。

(「Special Life」)
「国家を動かすのは人間であり、人材こそ国家の基軸である」(リー)
リーの強みは「哲学による国家建設」でした。「1匹の狼に率いられた99匹の羊の軍隊は、1匹の羊に率いられた99匹のオオカミの軍隊に勝つ」のですが、シンガポールには「1匹の狼」がいて、日本にはいませんでした。日本の近代をつくった為政者たちは、自国の歴史・文化・地理・民衆生活への洞察よりも、西洋制度の模倣に走り、その制度自体を国家の中心に置いてしまいます。「制度を作れば、そこから人が育つ」という誤った考えが国家の根幹に据えられました。
それに対してリーは「国家を動かすのは制度ではなく人である。人材こそ国家の基軸である」という明確な哲学を持ち、人材育成を国家戦略の核心に置きました。特に、重視したのは、国家公務員と教員の養成です。日本の場合は、いずれも筆記試験と面接で決まります。シンガポールでは、筆記試験は能力の一部しか分からないという前提に立ち、選抜は様々な評価項目があり、しかもその選抜は中学からスタートします。主な評価項目としては、学力、論理的思考力、リーダーシップ、学校や地域での活動、社会貢献意欲などです。これらの指標に基づいて、子どもたちをスカウトします。上位1~2%の子どもを国家がスカウトし、奨学金を提供します。そして、国費で欧米のトップ大学に留学させるなど、経験を積ませて行政エリートを育てるのです。

(「Special Life」)
リーの哲学と日本の「失われた160年」
リーの哲学は一見シンプルですが、国家運営の本質を突いています。
- 国家を動かすのは制度ではなく優秀な人間
- 教育と行政は国家の生存戦略の中心
- 早期発見・早期育成・適材適所が国家運営の要
- 国家は平凡な人ではなく優れた人によって運営される
- 腐敗を徹底的に排除する厳格な統治
驚くべきことに、これらすべてが日本の歩みとは真逆です。明治国家は、
- “制度が人間を形づくる”という誤った信念、
- 人を育てる哲学の欠如、
- 人材発掘技術の欠如、単なる試験の点数だけで判断、
- 能力主義より形式主義、
- 人材を制度の従属物として扱う文化
これらによって、国家の人的基盤を自ら弱体化させていきました。制度が先行し、人材が後回しにされた結果、極限状況では“結果さえ出ればよい”という危険な発想が広がりました。その究極が特攻隊であり、6千人もの若い「未来」が失われたにもかかわらず、国家としての総括はいまだ不十分です。むしろ、近年は「大東亜戦争」という言葉が市民権を得たように使われるようになりました。「脱亜入欧」が維新期のスローガンなので、矛盾しています。しかも、朝鮮を植民地にしているため、当時の陸軍が使っていた「大東亜」は使えないので、GHQは禁止用語としたはずです。このように、その時々の気分で言葉を使うのが明治から続いている現在の政権の特徴です。
こうした「理念の欠如」と「人材軽視」は、明治以降160年にわたって連鎖し、今日の日本社会が抱えるさまざまな問題の根となっています。「失われた30年」とよく言われますが、実態は「失われた160年」と言うべきです。それが証拠に、明治以降、日本的な文化は何も生まれていません。我々が日本文化と呼んでいるものは、建築物や芸能も含めて江戸時代までに生み出されたものばかりです。日本的な良きものが徐々に消失しつつある現在、どこかでこの流れを止めなければなりません。

(「中日新聞」)
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