
「『読売消滅』というショッキングな題名の本を買ってみました。書いた橋本氏は長年読売新聞に勤めていた人です」

「内部告発モノですか?」

「本人の意識の中に多少そういったものがあるかもしれません。しかし、内容的には大したことはありません。退職して、今までの腹いせに書いたような本です」

「あまり読んでも意味がないということですか?」

「そうですね。そもそも、表題と中身が合っていません。最近は表題の「インパクト力」で本を売ろうとする傾向があります」

「前に紹介した『縄文の奇跡』の時も、そんなことをおっしゃっていませんでしたか?」

「本の編集者は責任を持って表題を付けて欲しいと思います。そうでないと、本離れがさらに進むことになります」

「裏切られ続ければ、読者も構えるようになりますからね」

「そして、本を書く場合は、視点が大事なので様々な角度からアプローチして欲しいと思っています。新聞を話題にするならば、他国の新聞はどうなのかとか、新聞の部数が伸びた理由を歴史的に紐解いてみるとか、情報の社会的意義を問うとか、とにかく頭を使った工夫が必要です」

「そのような視点はなかったのですか?」

「ありませんね。自分が読売内で見聞きしてきたことを時系列に並べて、今後はどうなるでしょうかといった書き方になっています」

「それじゃあ、つまらないですね」

「ブックオフにすぐ売るつもりです」

「ここからが本論です ↓表紙は「スマート選挙ブログ」提供です」
日本の新聞社は国策新聞として発展した
明治藩閥政府が富国強兵政策をとり、隣国に対して武力行使を始めます。しかし、それは日本のそれまでの外交方針とは、180度異なるものでした。中国や朝鮮とは、ほぼ継続的に交易を続ける中で、良好な関係を維持してきたからです。江戸時代も中国とは長崎の出島、朝鮮とは対馬の宗氏を介して交易を続けてきました。朝鮮からは、将軍の代替わりの時などには通信使が来ていたのです。
そういった状況を目の前にして、どのような報道姿勢を採るかが問題となります。当時は瓦版ですが、普通に考えれば、批判的な言論を展開する責任が求められていると思いますが、日本の草創期の新聞各紙は批判どころか、迎合します。日清戦争が始まると、従軍記者を派遣し、現地の状況を報道したのです。日本軍の戦いを詳細に報道し、国民の戦意が高揚するような記事を書き続け、そして部数を伸ばし続けたのです。
戦国時代の合戦であれば、勝つた負けたの話で終始しても良いとは思いますが、国際社会はジグソーパズルのような社会です。戦争も一つの手段にすぎません。戦争に勝って賠償金と領土をもらったけれど、最終的に形勢が悪くなったということがあります。日清戦争がまさにそれです。勝つことだけしか頭がなかったため、全体像が見えてなかったのです。新聞の役目は、大所高所から日本の状況を報じ、国民にもその判断を仰ぐという姿勢が欲しいのですが、それは当初から出来ていませんでした。人も組織も「最初のかたち」を引きずるところがあります。日本の新聞各紙が権力に迎合する体質を持ちつつ、常に目先の現象面だけを追い掛けようとするのは、最初にそのようなDNAが注入されたことによるのです。

(「毎日新聞」)
宅配制度が圧倒的に多い発行部数を支える
日本の新聞市場が世界的に見て珍しいのは、以下の2点です。一つは、発行部数の圧倒的な多さです。部数が減ったと言っていますが、現状においても世界の発行部数ランキングにおいて、読売・朝日などの日本の全国紙が上位を独占していることは変わりはありません。読売新聞が552万部、朝日新聞が325万部、日経が130万、毎日124万、産経80万(2025年4月現在/いずれも概数)となっており、この巨大な部数を戸別配達制度が支えているのです。
新聞の宅配制度(戸別配達)は日本以外にも存在します。例えば、韓国にも宅配制度がありますが、日本のように「全発行部数の9割以上が宅配」という極めて高い比率を持つ国は世界でも稀です。多くの国では、駅の売店やコンビニでの「1部売り(即売)」が主流であったり、宅配があっても日本のような専売店ネットワークではなく、郵送や外部の配送業者に依存していたりします。
日本以外で宅配が普及している主な国としては、ドイツ、アメリカ、ノルウェー、デンマークといった北欧諸国です。ただ、日本のように「早朝、確実に玄関先(またはポスト)まで届く」という精度の高さは、世界的に見ても非常に珍しいサービス水準です。そして、どの国も急速なデジタル化の進展の中で、紙ベースでの発行が減っており、デジタル化をいかに進めるかが共通した課題になっています。

(「ジェイアンドユー」)
クロスオーナーシップの承認から「第四の権力」へ
日本の社会にとって問題だと思われるのは、新聞社が放送局を所有・経営する形態(クロスオーナーシップ)が認められていることです。日本の大手新聞5紙と在京民放5局が資本・人事面で深く結びついている現状は、世界的に見てかなり特異なことなのです。読売新聞と日本テレビ、朝日新聞とテレビ朝日、日本経済新聞とテレビ東京、産経新聞とフジテレビ、毎日新聞とTBSテレビという具合です。
こういったことは、アメリカでは許されていません。同一市場内での新聞社と放送局の兼営を禁止するルールがありますし、イギリスでは、通信法によって全国紙で20%以上のシェアを持つ新聞社が、主要な地上波放送局(チャンネル3など)の株式を20%以上保有することを禁止するなどの制限があります。要するに、新聞とテレビによって同じような世論が作られてしまうからです。
日本のテレビ放送が本格化するのが戦後の高度経済成長期に入ってからです。放送は電波という有限資源を使って、国家が監督する免許事業です。当然、「信頼できる主体」に免許を与えたいという意向の中から候補として浮かび上がったのが新聞社だったのです。報道経験もあり、組織基盤もあるということでしょう。そして何より日本の新聞社は権力に近いところにいて、戦前から権力に迎合していました。扱いやすいということだったと思われます。ただ、それは日本の伝統と文化、さらには多様な社会発展という点からすれば問題だったと思われます。次回は、その辺りについて書きたいと思います。

(「ネット転向組」)