「ウクライナの東部4州をロシアが併合してから今日(9/30)で1年経つのですね」
「ただ、4州併合したと言っても、侵攻直前に承認した東部2州ですら制圧していません。南部を含む4州は完全に不制圧です」
「現地では、住民投票が始まったとのこと。まだ、住んでいる人がいるんですね」
「住み慣れた町を出て行っても、生活する当てがないと考えれば、残る人もいると思います。そして、東部にはもともとロシア人が多くいましたからね」
「そうですよね。それと民族的には同じだし、言葉も良く似ていると言われています」
「標準語と方言の違いくらいしかないそうですよ。」
「であれば、もう少し仲良くすればいいのにと思いますけど……」
「近親憎悪のような感情が入っているような気がします。調べてみると、中世後期までロシアとウクライナ、そしてベラルーシは一体をなしていて、分化するのは14世紀以降です」
「ただ、分化したと言っても、対等に分化したと捉えていなかったのでしょ」
「19世紀においてもウクライナ語は小ロシア語と呼ばれ、下に見られていたようです」
「ただ、誰もがそういう状況を認めていた訳ではないのでしょ」
「勿論、そうです。特に、文化、芸術分野の人たちは、良いものは良いという感覚で捉えますからね。音楽(民謡、オペラ)や文学(詩)といった分野では、ロシアとの交流が普通にあったようです」
「文化、芸術分野は、国境は関係ないですからね。ここからが本論です ↓ 表紙写真は「毎日新聞」提供です」
ソ連邦崩壊に伴ってウクライナが独立
1991年にソ連邦が崩壊しますが、それに伴って、ウクライナは念願の独立を果たすこととなります。ソ連もロシアも連邦国家です。つまり多くの共和国を巨大な権力によって束ねている国であり、多民族国家です。ソ連経済の弱体化によって求心力が弱まり、いくつかの国が抜けていきました。その中にウクライナが入っていたということです。
ただ、そのことは彼らにとってシヨックだったと思います。仲間だと思っていたウクライナが連邦から離脱し、別の道を歩もうとしている。可愛さ余って憎さ百倍という心境になったのでしょう。ウクライナ独立直後から、ロシアからの様々な干渉が始まります。
そういうこともあって、東部ロシア系住民と西部ウクライナ系住民の対立が表面化し、東部のドネツク州を中心に分離運動が起きます。
(「www.pinterest.jp」)
クリミア半島をめぐる攻防
2014年にロシアはウクライナに軍事介入をして、クリミア半島をロシアに編入してしまいます。今でこそクリミア半島はロシアとの対立の象徴のような存在ですが、かつてはロシア、ウクライナ両国にとっての友好の象徴だったのです。
1954年にペレヤスラフ条約300周年を記念して、クリミア半島がウクライナに移管されています。ペレヤスラフ条約というのは、コサックとモスクワ公国が結んだ条約ですが、300年間、ロシアとウクライナは共に歩んで来たというお祝いの意味と、飛び地としてロシアに帰属したままよりも、将来の経済発展を考えてウクライナに移管した方が良いだろうという、当時のソ連指導部の判断がそこにはありました。
当時はソ連内の行政区画の変更に過ぎなかったものが、60年後に紛争の焦点の半島になってしまったということです。歴史の巡り合わせですね。
(「日本経済新聞」)
マイダン革命からゼレンスキー大統領誕生まで
現在のゼレンスキー大統領以前に、3人の大統領が誕生しています。そのうちの一人にヤヌコーヴィチ(2010~14)がいますが、彼は親露政策を進めた大統領です。そのことに対して野党や市民が反発をします。国内は騒乱状態となり、ヤヌコーヴィチは首都キーウを脱してロシアに亡命します。この混乱の最中に、ロシアのクリミア半島奪取があったのです。
その次に大統領になったのがポロシェンコ(2014~19)でした。前の大統領とは反対にEUとNATOの加盟を目指しますが、ロシアとはミンスク合意を結び東部2州の共和国の自治権を認めてしまいます。自治権という名の、ロシアへの事実上の割譲です。
2019年の大統領選挙に俳優出身でありユダヤ人のゼレンスキーが立候補します。彼はロシアに対する弱腰の姿勢を批判して選挙に圧勝します。この機をチャンスと見たのがロシアのプーチンです。彼は侵攻前に反ロシアの殺害リストを作らせていたことが分かっています。ゼレンスキー大統領をはじめ政治家、軍人、ジャーナリストなどロシアの統治を邪魔すると思われる者、約10万人をピックアップしていたようです。
首都キーウへ軍事侵攻した後、その10万人を粛清して、ウクライナを丸ごといただく計算だったようです。喜劇俳優上がりなので大したことはないと判断したのかもしれません。そのゼレンスキー大統領は国民を鼓舞して先頭に立って戦い、善戦どころか今やロシアを駆逐する勢いです。
(「ロイター」)
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