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「新聞」の部数減が止まらない ―― 2軒に1軒は新聞を購読していない / 新聞の「立ち位置」の再考を

「新聞はとっていますか?」

女性

「いえ、とっていません。大分前に、止めてしまいました。主人が止めても良いかなって言うものですから……」

「特に不便は感じていないということですね」

女性

「主人も私も、読もうと思えば、職場で読めます。だから、何の不自由も感じていません」

「最近は、そういう方が多いと言いますね」

女性

「通勤電車の中で、新聞を読んでいる人は殆ど目にしなくなりましたからね」

「それを嘆かわしいと思うのか、時代の流れと捉えるのかということでしょうね」

女性

「2紙も取っている立場からすると、どう思うのですか?」

「寂しさが6割、諦めの境地が4割ということでしょうか」

女性

「寂しさの方が多いですね。その理由は、何ですか?」

「今日は鋭く突っ込んできますね。新聞には日本の共同体を支え、文化を発信して欲しいという期待もあるからです。ただ、今のスタンスでは難しいかなと思っています」

女性

「今のスタンスというのは、単に情報発信機能だけで満足してしまっている点ですね」

「しかも、上から目線で……」

女性

「それが部数減の大きな原因だと思っています。ここからが本論です ↓表紙写真は「株式会社エーディーエフ」提供です」

 新聞の部数減が止まらない

新聞協会に所属する新聞の総発行部数は、2000年に5,370万部だったのですが、2024年には2,709万部となりました。この1/4世紀の間に、ほぼ半分になってしまいました。かつては日本の茶の間や通勤電車の中で新聞が確たる存在感を示していましたが、今や電車の行き帰りで新聞を広げている人をめっきり見かけなくなりました。

2024年下半期、日本の新聞業界にとって衝撃的な事件がありました。全国紙とされてきた毎日新聞、産経新聞が、富山県からの宅配サービスだけでなく完全撤退を発表したのです。新聞販売店からの宅配なし、駅売店での購入も不可です。全国紙とは「全国どこでも宅配網を持つ新聞」という意味ですので、両紙はその前提が崩れることとなり、全国紙という「地位」から滑り落ちることとなりました。

毎日新聞、産経新聞に限らず他紙も軒並み部数を減らしています。2023年と2024年のデータが出ています。毎日・産経の発行部数では、全国に届ける宅配網を維持することはもはや計算上不可能と言われています。「地方撤退が他地域にも波及する」のは時間の問題と言われています。

新聞社 2023年 2024年 減少率
読売新聞 約612万部 約575万部 -6.0%
朝日新聞 約355万部 約333万部 -6.1%
毎日新聞 約161万部 約136万部 -15.5%
日本経済新聞 約141万部 約135万部 -4.5%
産経新聞 約90万部 約83万部 -7.9%

 

 2軒に1軒は新聞を購読していない

かつての時代は景品や無料サービスにつられて、他紙に乗り換えるということがありましたが、今は解約して無読者になる時代です。ライバルは他紙から「無読層」になったのです。そして、その一方で販売店が今まで強いられてきた「押し紙」(実際の販売者数を上回る新聞紙の仕入れ)が公然と出来にくくなったこともあり、実部数が明らかになり始めたと言われています。日本新聞協会に加盟している日刊紙は110紙ありますが、2024年の総発行部数2,709万部を日本の全世帯数5482.5万世帯で割ると、新聞普及率の49.4%が出ます。要するに、2軒に1軒は新聞を購読していないということが分かりますし、今や生活必需品ではなくなったということです。

どの新聞社も軒並み部数を減らしていますが、どの時期からそれが顕著となったのかということですが、実はここ10年です。20世紀の間は人口も増えていますし、経済も右肩上がりということで順調に部数を伸ばしています。それが頭打ちになったのが90年代後半から2010年頃です。プラトー状態が続いて、今は坂道を転がり始めるように部数減が続いている状態です。

全国紙の窮状は以上の通りですが、地方紙はどうかということですが、実は発行部数が約180万部という地方紙があります。180万部なので、全国紙の読売、朝日に次ぐ部数です。それは中日新聞です。新聞離れの流れは全国的なものなので、中日新聞も部数を減らしていることは確かですが、冠スポンサーを務めるプロ野球の中日ドラゴンズや地元イベントとの連携などの努力により、それを最小限度に抑えているということです。

(「Yahoo!ニュース-Yahoo! JAPAN」)

 これからの新聞の歩む道

新聞の前身は江戸時代の瓦版です。瓦版の登場は関ケ原の戦いの時が初めてだと言われています。「庶民の瓦版文化」が土台となり、幕末の錦絵新聞を経て、西洋式の近代新聞が明治になって発行されるようになります。この新聞が爆発的に発行部数を伸ばした原因は「戦争」でした。日本の新聞社は、ある意味、軍国主義と共に成長したと言っても良いかもしれません。

日露戦争(1904–05年)では、日本の新聞各社が従軍記者を派遣しました。これは欧米の戦争報道スタイルの模倣でもありました。前線の「勇ましい記事」や「兵士の美談」は部数拡大に直結しました。読売新聞は日露戦争前に十数万部規模でしたが、戦中には倍近くに増加。戦争は新聞界に「黄金時代」をもたらしました。朝日新聞、毎日新聞も、戦争によって経営基盤を強化したとも言えます。ただ、庶民も単に「軍国的熱狂」だけで新聞を読んだわけではなく、戦況や生活情報(米価・物価・徴兵制度)など現実的な情報源として利用していました。

敗戦後のGHQ占領下において、戦争責任追及の一環として、新聞経営者や記者の一部は公職追放の対象となりましたが、解体される新聞社はなく、基本的に民主主義の担い手として利用されます。そして逆に、戦時中に廃止された地方紙の復刊を許可しています。日本は新聞協会に加盟している新聞社が110もあり、「各県ごとに基幹紙がある」というように、世界有数の「地方紙大国」なのです。

ただ、これらのネットワーク網が充分生かされておらず、機能的な役割を果たしていません。これが全国紙、地方紙を含めて新聞業界が苦戦している大きな原因です。今の日本社会にとって必要なのは、共同体を形成していくための媒介と情報です。それを新聞が担うことが出来れば、再び部数は回復するでしょう。今は、単に情報提供をして終わりになっています。これでは、時代の中に埋没していく運命しか待っていません。要するに、御臨終ということです。そうなりたくなければ、自らの役割を再度見つめ直すことです。双方向発信が基本という考え方の中から、有益な情報については全国紙で取り上げるというお互いの役割分担と連携を進めることを考えた方が良いでしょう。全国紙、地方紙がそれぞれプライドを持って張り合うのではなく、お互いに有機的な連携をすることが出来、その中から新たな文化を生み出す位の構想を持つことができれば、そこから発展の可能性が出てくると思います。何を目標とするかです。

(「武蔵野美術大学出版局」)

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