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「自由社」の教科書 / 虎の尾を踏んでしまったために「一発検定不合格」となる

「昨日のブログで明治憲法の起草者のことについて触れました」

女性

「伊藤博文と金子堅太郎でしたよね」

「あの2人を紹介したのは、彼らの論文があったからですが、実は最初の草案を書いたのは、井上毅(こわし)なのです」

女性

「名前は聞いたことがありますが、どういう人ですか?」

「明治憲法や皇室典範、教育勅語などの起草に関わるなど、日本近代の法的な骨組み作りに関わった重要人物の一人です。文部大臣も歴任しています」

女性

「その方を紹介する意図は何ですか?」

「自由社の教科書が検定不合格になりましたよね。その大きな理由が、井上毅を登場させ、明治憲法の考え方について語らせた記事があるため、と思っているからです」

女性

「それはまた、大胆な予測を。もしかして、歴史教科書をつくる会が発行した『教科書抹殺』の中に、そのような記述があったりするのですか?」

「いえ、それはありません。私の考えというか、推測です」

女性

「簡単に根拠を教えて下さい」

「反日勢力の公式シナリオみたいなものがあるのです。戦後が平和でよかったのは日本国憲法、特に9条のお陰、それに比べ戦前は天皇が支配する暗黒の戦争一色の時代。そこが一番重要ポイントで、そこをはずすと一発不合格にもっていくという考えだと思います」

女性

「その一発不合格というのは、何ですか?」

「2016年からスタートした制度で、検定意見がページ数の1.2倍以上あった場合は一発不合格にするという制度なのです。それ以下の場合は、修正して検定合格の道がありますが、不合格なので、その瞬間に教科書として世に出ることはなくなります」

女性

「よく考えると凄い制度ですね」

「密室ですべて処理できるのが利点です。経済的打撃を与えることもできますので、教科書市場から締め出すこともできます。共産主義者の発想だと思います」




 「文科省史観」にとって大事なポイント

「文科省史観」にとって大事なポイントがいくつかあります。その中で最も重要なことは、日本国憲法制定によって、戦後の新しい日本がスタートしたことが分かるような記述をすること。それに対して、明治憲法は暗黒の時代のスタートであったようなイメージをもたせるような記述を心掛ける。そして、明治憲法は前近代的な憲法であったことを印象付けるような記述を心掛ける、というものです。

 明治憲法の制定の頃の扱いについて、簡単に比較をしてみます。タイトルだけを紹介します。自由社は3ページなので大タイトルが2つになります。

<自由社>   3ページ   大日本帝国憲法と立憲国家

明治憲法草案を書いた井上毅

<山川出版>  2ページ   憲法制定と帝国議会

<学び舎>   2ページ   天皇主権の憲法

 自由社の教科書の記述のうち、「文科省史観」に引っ掛かりそうな記述は、「憲法を称賛した内外の声」、「憲法発布を喜ぶ国民」、「君主無答責」です。ちなみに、学び舎の教科書は、「だれも知らない」、「ドイツ帝国をモデルに」です。

仮にここまでは目をつぶることができたとしても、井上毅のページは容認できないと思ったことでしょう。何故か。真実ですが極めて都合の悪いことが書き込まれているからです。虎の尾を踏んだ瞬間だったのです。

 「しらす」、「うしはく」の記述が一発不合格を誘う

 井上毅は『古事記』をはじめ日本の古典を読み込み、「しらす」と「うしはく」を使い分けていることに気が付いたとあります。「しらす」者の天皇は権威者で君臨します。実際の政治、つまり「うしはく」を行うのは時の権力者です。権威と権力を分離するシステムを日本は古代の時代に確立していたのです。この考えを明治憲法に採り入れるべきと思うようになります。

自由社の「日本の伝統に基づく立憲君主制」という項目では「日本の国体は『天皇が知らす国』だという結論になり、憲法草案の第一条を『日本帝国ハ万世一系ノ天皇ノ治(シラ)ス所ナリ』とし、伊藤に提出しました。伊藤も井上の考えを理解しましたが、古語の『シラス』も英訳すれば『統治』と同じになるとし、『天皇之ヲ統治ス』と改めました」(検定不合格『新しい教科書』自由社.186ページ)

起草者の考えなので、修正する訳にもいきません

 なぜ、このような記述を認める訳にはいかないと思ったのでしょうか。一言で言えば、ここからすべての論理が崩れる可能性があるからです。つまり、堤の一穴になる可能性があるからです

「しらす」、「うしはく」といった概念は、英米法にも大陸法にもありません。日本独特の考え方です。それを認めてしまうと、天皇主権という言葉が使えませんので、反日勢力が戦争責任を問うことが出来なくなります。

さらに、現在の憲法と明治憲法は「しらす」者の変更がないのだから、本質的に何も変わっていないということになります。明治憲法も日本国憲法も第一章は天皇です。憲法は重要な順番に並べますので、両方とも最初に規定があるということが、そういったことを認める強い根拠ともなります。

 立憲主義の根拠条文は第10章の「最高法規」ですが、「地方自治」の章より後ろにあり、日本国憲法の扱いは余り重くありません。以上のことを総合すると、立憲主義が大原則だということが言えなくなる恐れが出てきます。憲法学会の反発が予想されます 。何らかの忖度もしくは、強力なアプローチがあったのでしょう。

今月号の『正論』(2020.6月号)に「文科省批判と再検定要求の前に」と題した「本誌編集部」が書いた無署名論文が掲載されています。なぜ無署名なのか、よく分かりませんが、余り良いことだとは思っていません。

それはともかくとして、文章の内容は、文科省を批判する前に、教科書編集を反省しなさい。守るところは守り、直しても良いところは直せば事態はここまでに至らなかっただろうというものです。例えば、「校正をはじめ教科書編集がきちんと機能していれば、こんなことにならなかったのではないか」、「教科書づくりの実務に通じた経験者に乏しいという弱点が露呈した」、こういう感じで、文章全体がなぜか冷たく突き放しています。

ただ、今回の検定は「出来レース」が真相です。編集をしっかり行っても、屁理屈をつけて、不合格にさせられたと思っています理屈というものは何にでも付くものです。文科省を信頼したい気持ちは分かりますが、文科省教科書調査官の本質的な狙いを見誤っていると思います。そして、検定の言葉や用語のやり取りといった枝葉末梢的なことを問題にするのではなく、教科書検定そのものの問題について巨視的な視点から取り上げることが、オピニオン雑誌には求められていると思います。




 不合格にすべき教科書を合格にする文科省

 今回、改めて「学び舎」の中学の歴史教科書を見ましたが凄まじい内容に驚くばかりです。「学び舎の教科書は東京を中心とした元中学校教員らが中心となって執筆されたが、共産党や朝日新聞記者らと親しい関係者が多い」(「自虐史観の背後で蠢(うごめ)く奴ら」『THEMIS』2020.5月号)とのことです。

「土地を奪われた朝鮮の農民」「パンを、平和を、土地を」「独立マンセー」「鉄道爆破から始まった」「赤紙が来た」「餓死、玉砕、特攻隊」「町は火の海」などです。これらはすべて、途中の文章に入っている言葉ではなく、大見出しの言葉です

 この教科書でどうやって授業をするのか、考えてしまいます。「さて、皆さん、今日は『町は火の海』について勉強します」、「『独立マンセー』ですよ。マンセーはどういう意味かわかりますか?」とか言って始めるんでしょうね。そうだ、と言われそうですが、所詮は実際にあったことを忠実に説明することはできません。必ず、教員の脚色と偏見が入ります。

そのような批判をかわす狙いがあるのかどうかは分かりませんが、第二次世界大戦に関わる箇所の殆どが読み物風になっています。「空襲が迫ってきた」「学童疎開に行く子・行けない子」「炎の中を逃げまどう」「暗闇の海に沈む子どもたち」「戦火に追われる住民たち」という感じです。戦争の悲惨さをこれでもか、これでもかというふうに書き連ねています。

 教科書というのは、何回も読むに耐えるような内容の文章とすべきです。1度読めば、もういいやという文章では、教科書に載せる意味もありません。反日という理由だけで、合格させたような代物です

そして、試験問題をどうやって作るのか、向学のためにお聞きしたいものだと思っています。定番の歴史用語が使われていないからです。論述形式しか作成できないように思いますが、採点基準はどうしているのでしょうか。

 この教科書では高校入試では多分点数が取れないと思いますので、採用する学校は私立の一貫校に限られると思っています。中学は学び舎の教科書を使って反日精神を叩き込み、高校では山川の教科書を使って、受験勉強をさせるということでしょうか

 政権を混乱させるための種まきのつもりで、反日勢力がこのような教科書をつくっているのだと思います。問題なのは、『THEMIS』も指摘していますが、保守本流の安倍政権のもとで起こっていることです。つまり、ここからさらにこれが悪しき方向に加速する可能性が高いということです

 グローバル時代は今回のコロナ禍を境に終焉を迎えます。もう時代は、国境をあからさまにオープンにする時代ではありません。

 鎖国政策をした江戸時代は平和でした。開国をした途端に世界のトラブルに巻き込まれるようになりました。その結果、悲惨な戦争が起きたと言うならば、国境を閉ざそう、中国と断交、韓国と断交と言って欲しいと思います

 それが主張できないのならば、戦争の悲惨さを教科書にしつこく書く行為は単なる愉快犯と受け取られても仕方がないかもしれません。そして、そのような教科書を合格させてしまう。検定制度そのものをなくした方が良いと思います

読んで頂きありがとうございました




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