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なぜ日本の歴史は、こんなにも分かりにくく、つまらないのか ―― 明治維新から憲法まで、つながらない日本史 / 歴史哲学がない日本

  • 2026年1月24日
  • 歴史
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「前回に引き続いて、保守について考えていきたいと思います」

女性

「保守点検なら得意ですが、あまり難しい話は苦手です」

「日本の先人たちが一生懸命考えて遺したものや、日本の文化や伝統、郷土料理がきちんと受け継がれなくなりつつあります」

女性

「前回は、その最も重要な統治のことを話題にしたと思います。素朴な疑問ですが、なぜ、そういったことに対して誰も気が付かないのでしょうか?」

「学問体系の問題が大いに関係しています」

女性

「どういうことですか? 簡単に説明して下さい」

「例えば「保守」という問題を扱うとしたら、政治学か近現代史ですよね」

女性

「まあ、そうでしょうね」

「政治学にしても近現代史で扱うにしても、明治維新を原点として考えますので、どうしても、そこが「保守」の出発点になりがちです」

女性

「成る程、原点をマイナスと捉えることは出来ませんものね」

「本来、その原点そのものを見直さなければいけないのです。自分の足許がよく分かっていないため、「保守は、今、何を問題にしたらいいのか、まったく見えなくなってしまった」ような状況です(佐伯啓思「日本における保守とは何か」『正論』2023.3月号)」

女性

「今回は、日本の歴史学の問題について触れたいと思います」

「ここからが本論です ↓ 表紙は「社会科講師の流儀」の提供です」

 なぜ日本史が分かりにくく、つまらなく感じるのか

日本史が「分かりにくい」「つまらない」と感じるのは、学ぶ側の理解力や関心の問題ではありません。全体像が見えないまま、細かなテーマの掘り下げだけが積み重ねられてきたからです。多くの読者の関心は、歴史の大きな流れだと思われます。ところが、日本の歴史研究の特徴は、古代・中世・近世・近代・近現代といった時代区分ごとに細分化され、それぞれが独立した研究領域として扱われてきました

学会においても、その枠組みがそのまま踏襲されています。こうした体制は、個々の事象を精緻に分析するという点では有効ですが、時代を横断するテーマを扱う場合は、大きな制約を受けることになります

では、なぜ日本ではこのような研究体制がつくられたのでしょうか。そして、この「構造」は、どこから始まったのでしょうか。結論から言えば、その起点は明治維新期にあります

(「刀剣ワールド」)

 明治国家がつくった歴史研究の枠組み

明治維新によって、政権が交代しています。新たな政権は自らの行為を正当化するために、前政権を否定的に捉え、時にはそれを社会に流します。前政権の関係者はすでに発言力を失くしていますので、反論は困難です。その結果、社会には新政権の一方的な主張、つまりプロパガンダだけが流布することになり、やがてそれが「常識」となります。日本の場合は、それが学校教育と新聞という強力な媒体を通して行われました。そのため、新たな歴史観が国民意識の深層にまで染み込んだのです。

明治の藩閥政府が次に行ったのは、自分たちの歴史を正当化することでした。戊辰戦争が終結した1869(明治2)年から歴史書の編纂を開始し、1889年に『復古記』全15冊を刊行します。それと同時に、その考えを流布する組織として東京帝国大学に「維新史料編纂局」を設置し、この歴史観を制度的に支える体制を整えました。これが後に東京大学史料編纂所に改組され、現在の史学会の母体となります。

歴史が政権批判にならないためには、どうすれば良いのか。簡単です。遠くを見つめることを出来なくすれば良いのです。目の前の史料だけを一生懸命調べて終わるような学問にすれば、新しいことは何も発見されません新しい発見というのは、何か比較検討をすることによって出てきます。視野を狭める措置を取ったのです。日本の場合、歴史学は文学部や教育学部の一学科という非常に低い位置付けです。世界の主要な大学が歴史学部として扱っているのとは、極めて対照的ですが、それは“視野を狭める”ための措置だったのです。

この「戦略」は、現在に至るまで有効に機能しています。その結果、明治維新を無条件に称揚する言説が残り、「保守とは何か」という基本的な問いすら、十分に議論できない状況が続いているのです。

(「TRANS.Biz」)

 歴史哲学なき歴史学がもたらしたもの

歴史哲学、法哲学、教育哲学という言葉があります。この場合の哲学は、理念、法則という意味です。歴史哲学という言葉が存在する以上、単なる史料解読、事実発見に留まらないで、それを踏まえた国家理念なり歴史法則について発信する責務を負っています。

例えば、天皇や憲法、さらには前回に話題になった「保守」の問題については、どうしてもマクロの視点が必要となります。「天皇はどうあるべきか」という命題に対して、古代に大王から天皇に名称変更になった時代背景、さらに帝国憲法での位置付け、そして、現行憲法下での役割までを通貫して意見を組み立てる必要があります。古代から近世にかけて日本という国がどのような統治原理と社会構造を持っていたのかを踏まえてこそ、近代以降の変化を正しく評価できます。

明治維新も同様です。それ以前の歴史を踏まえて検証しないと、その評価は必ず歪みます。政権交代が正しいものであったかどうかの判断・検証・審判は、最終的に歴史家に委ねられますが、その際には、法学、政治学、社会学といった隣接する学問分野の知見を総動員し、国家の制度や権力構造を総合的に分析する力量が求められます

本来、歴史学は国家基盤を検証する中核的学問です。政治・経済・外交・文化といった諸問題を総合的に扱うための土台となる学問領域です。歴史学部がないということは、日本は歴史哲学を持っていないということを意味します。「保守」の問題に限らず、天皇や憲法さらには明治維新について、大所高所からの意見発信が殆どなく、議論が混迷しているのは、そのためです。

(「shutterstock」)

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