「『産経』(5/9日付)にアメリカの歴史学者の「グローバル時代は終わった」と題してのインタビュー記事が載っていました」
「何か気になる内容がありましたか?」
「新型コロナは『真実を暴くウイルス』という言い方が面白いし、鋭いなと思いました」
「どのような真実とおっしゃっているのですか?」
「EUが機能しないこと、イタリアの無秩序、中国が虚言の国、日本は安全ではないなどですね」
「私はWHOと日本の政府が中国寄りということが分かりました」
「中国寄りというより、中国の工作が進んでいると見た方が正確だと思います。あと、グローバル化は民主主義に何ら寄与しなかった、と言っています」
「グローバル化は、時代的には冷戦終了後から始まったのですよね」
「世界はグローバル化という言葉に、一瞬夢を見たのですがね」
「高校の政治経済の授業だったと思います。時代はグローバル化の時代ですからね、と先生が嬉しそうに話していたことを今思い出しました」
「国境がなくなるということで、手をつなぐことを考える国もあれば、国境を乗り越えて勢力を拡大しようと考える国も出てくるということですね」
「国も人間も、同じということですね。ただ、腕力を振り回そうとすれば、友達は去っていくと思います」
「そういうことを考える力がないから、腕力を振り回そうとするのじゃあないでしょうか?」
「じゃあ、これからますますエスカレートするんじゃあないでしょうか?」
「今日は随分はっきり言いますね。まあ、私もそう思います。これからは、付き合う国をきちんと見定めて、内側を固める時代になるでしょう」
「アメリカン・ファーストとトランプが言いましたが、先見の明があったのかもしれませんね」
「それを聞いた時は何を言ってんのか、と思いましたが、そうかもしれませんね」
民主主義、平等のイデオロギーが広まることにより日本の弱体化が進む
「民主主義や平等が大好きで、グローバリズムと隣人愛を唱え、健康に注意しながらささやかな快楽で満足する。自分たちが<合理的><理性的><客観的>であることに深く満足している。こうした軽蔑すべき<終末の人間>の時代を、われわれは生きている」(適菜収『ニーチェの警鐘』講談社α新書.2012年/49ページ)ことを、深く自覚する必要があるかもしれません。ただ、何を言いたいのか良く分からないと思いますので、具体的に話をします。
人は無意識のうちに、自分なりのモノサシに基づいて判断し、行動をしています。その人の生き方の癖のようなものです。「無くて七癖」と言いますので、必ずありますが、頭が柔らかいうちに身についてしまうことが多いのです。癖はいろいろあります。思考の癖もあれば、生活や身体の使い方の癖など、いろいろあります。
戦後の思考の癖の代表的なものが、民主主義や平等、クリスチャンであれば隣人愛だと言っているのです。民主主義や平等は、日本が古来より大切にしてきた「和」と時にはバッティングします。その時にどうするかなのですが、こういう事例が最近ありました。
コンビニの奥でマスクをつけないで事務作業をしていた店員がいたそうです。それを見て「マスクをつけないのはとんでもない」ということで、市の衛生課に電話をした客がいたそうです。これは見方を変えれば、「和」と「平等」の争いです。
NHKが電話をした人に追跡調査をしました。電話をした人は福祉事務所に勤務をしている人だったそうですが、要するにこういう時期だったので、すべての人がマスクをつけるべきだという平等のモノサシに基づいて判断をしています。
「和」の考え方のイメージは石垣です。多少のでこぼこは許しましょうということです。マスクをしていないのは、何らかの事情があるはず、と見過ごすことができなかったということです。つまらないことかもしれませんが、日本の価値観より、戦後の「平等」のモノサシが定着しつつあるということです。
民族の滅びは、その民族がもっている文化や価値観が無くなることと並行して起きます。現に、人口減が続いていますが、大いに関係があるのです。
共産主義ウイルスは戦前に「天皇機関説」を通して撒かれた
昨日のブログで紹介した『あるユダヤ人の懺悔 日本人に謝りたい』(沢口企画.2019年)というモルデカイ氏の懺悔録によりますと、共産主義ウイルスが美濃部達吉の「天皇機関説」を通して撒かれています。
天皇制打倒は、ドイツの法学界を牛耳っていたユダヤ人のイエリネックによって始められたのですが、狙いは法理論による国家の弱体化です。「特に君主制を骨抜きにする作戦である。このために利用されたのが美濃部達吉である。イエリネックは美濃部達吉に巧妙に天皇制破壊、弱体化の戦術を授けたのである」(モルデカイ 前掲書30ページ)。「君民共治は、日本の天皇と国民の間のみ存する理想的政治形態である。これがある限り、日本の共産主義化は困難と判断したユダヤ勢力は、『天皇制』を絶対悪として宣伝し始めたのである」(モルデカイ 前掲書33ページ)。
「天皇機関説」と天皇制打倒がどうつながるのか、ということについて説明したいと思いますが、提唱者の美濃部達吉は天皇制をなくそうなどとは思ってもみなかったと思います。知らず知らずのうちに利用されたということです。
実は「天皇制」というのは、日本の先人が、日本という国家を永続的に存続させるために編み出したシステムなのです。
その仕組みは、権威者としての天皇を国家の頂点に置き、その天皇を神話によって神と繋ぎます。ただ、実際の政治は時の権力者が担うという、神、天皇(権威)、権力者の三位一体の政治体制を構築したのです。
ところが「天皇機関説」というのは、その「神」と天皇を切り離す任務を帯びた学説であり、見方を変えれば「天皇制」を弱体化するためのイデオロギー攻撃の役目を帯びた学説だったのです。
天皇機関説というのは、要するに国家法人説のことです。国家を一つの法人として見立てるので、天皇が会長、首相は社長ということになるでしょうか。この説だと、会社の会長は誰がなっても良いことになります。会長の職は会長の血筋の者でなければならない、と考える方がおかしくなります。神と天皇の間を切ったために、論理的にこうなってしまうのです。
この流れが日本の憲法学会の主流となり、現在に至っています。極めて反政府的なのは、こういった理由からです。
世界はお花畑ではないことを思い知らされる時が来た
「恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意」(日本国憲法前文)するような時代ではないということです。
現に、沖縄県の尖閣周辺では、例年にも増して、中国から多くのプレッシャーを受けていますし、領海侵犯は2日連続(5/9現在)でありました。地元の新聞(八重山日報)は、ご覧のように切迫感をもって1面で報じているのですが、「朝日」「毎日」「東京」といった反日売国新聞は、何も報じず見て見ぬふりをしています。心ある企業は、そういった新聞社への広告掲載を止めて欲しいと思っています。広告もインターネットの時代だと思います。
グローバリズムの時代というのは、物流も人の流れも加速した時代です。コロナウイルスがまき散らされて強制的にシャットダウンをされ、思わず後ろを振り返ってみたら、時計が止まって、すべてがスローモーションとなって眼前に現れ、何がどうなっているのか、誰もがよく分かる世界に様変わりをしていたのです。
情報があっという間に駆け巡ります。だから、情報を抑えていることも分かってしまい、それを分析することによってさらに様々なことが分かります。そのため、「朝日」「毎日」「東京」がどういう新聞なのかが分かってしまいます。中国の共産党政府が何を考えているかが分かってしまいます。
地球の裏側のことが、瞬時に伝わってきます。ただ、その早さの受け止め方は国によって違うと思います。情報統制していればいる程、そのスピードは遅くなります。
「知っているはずがない」、「分からないだろう」という思い込みで判断、行動すると、時には失敗する時代となりました。SNSの情報を双方向で共有化する時代となり、いろいろなことが検索され、検証される時代です。
ただ、今改めて思い返すと、モノやサービスのやりとりに気を取られているうちに、立ち止まって考えることを忘れてしまっていたのかもしれません。
そのことを反省しつつ、コロナ終息後の国のあり方を考え始めなければいけない時期となりました。
読んで頂きありがとうございました