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児童虐待・DV相談相次ぐ
文科省、中教審の描いている教育戦略はすでに破綻している
中央主権教育体制で21世紀の教育を乗り切ろうという発想自体が間違っています。安倍内閣は教育について、「無償化」というフレーズ以外に、明確な教育戦略を持ち合わせていません。
政府の態様を受けて、「主体的、対話的で深い学び」という、勝手に文科省が立てた「教育理念」に基づく教育方針が、文科省を通じて各地の教育委員会に流れ、学校現場に降りてきています。何故、大元の「教育理念」が国会で討議されることなく、勝手に決められて現場に降ろされていくのか。つまり、現場に全く関わっていない人達が合議の中から出してくる意見の中から採用したものが、どうして全国の現場を拘束するのか。そのようなものが、現場を説得的に動かす力に、なり得るはずがありません。
最近は、「主体的、対話的で深い学び」、アクティブラーニングということをしきりに言われていますが、少なくとも義務教育の現場で言うことではないと思います。せいぜい、高等教育の高学年か大学生に言うことだと思います。
不易流行、変えていけないものと、変えて良いもの
恐縮ですが、テニスに例えます。考え方は、机上の学問と同じです。両方ともフィールドは違いますが、何かを習うということについては、共通しているからです。そして、何かに例えて物事を単純化すると分かりやすいし、見えてくるものがあるからです。
テニスの教える順番を大まかに言います。
① フォームを教えて、簡単なボールを打たせる。簡単なボールというのは、フォームを固めるためのボールという意味です。その際に、どうしてこういう打ち方なのか、という理屈(理論)を説明します。
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② 打ち方の見本を見せる。各自の練習となりますが、合理的なフォームを身につけさせるために指導を繰り返し、へんな「癖」がつかないようにするために、細心の注意を払います。
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③ある程度フォームが固まった者に対して、ラリーや実践練習をさせ、公式試合に臨ませる。
以上の①~③の中で、指導者が最も気を使わなければいけないのは、①の指導です。ガラス細工を扱うように、丁寧に扱います。ここでフォームを崩してしまったならば、その後の練習が、殆どすべてと言って良いほど、無駄になるからです。
フォームというのは、型なので数学であれば公式、国語であれば字の形や読み方、書き方です。公式を覚えていないのに、練習問題をしても仕方がないという理屈は分かっていただけると思います。
翻って道徳の教科書を見ると、最初から③に入ってしまっています。この辺りは文科省の「対話的、主体的学び」の方針を受けているのでしょう。道徳の場合は、聞く姿勢と考える姿勢、生き方の型を教える必要があります。その上で、生き方の手本となるような事例、伝記を読ませます。そこで初めて心のフォームが固まり、社会で通じる座標軸が形成されていきます。
いきなり発言させて、自己流のフォームが認められてしまったならば、その子はその打ち方でそれ以降もボールを打つことになります。ということは「自分が思ったことを何が何でも断固実行すべきです」という意見が素晴らしいと褒められ、それが正しい生き方だと思い込み、「障がい者は社会の役に立たないので、この世から抹殺したい」と思い実行するということが今後もあり得るということです。自己流の発言、自己流のフォームの怖さです。
勝手な座標軸を心に描かれては大変ですので、手本となるべき人の生き方を教えます。どういう人が手本となるのかということですが、自分の志を立てて、それに向かって努力をし、そのことがある程度結果に現れ、そのことを社会が評価している人が良いと思います。
志というのは、単なる目標ではありません。それを達成することが、社会のためでもあるという、言わば崇高な目標のことです。崇高というのは、考え方次第で崇高となります。「プロ野球の選手」であれば単なる目標ですが、野球を通じて世界の人々に野球の楽しみ方を伝え、ひいては世界の人たちの友好の懸け橋になりたい、となれば崇高な目標となります。何事も紙一重なのです。
目標の再設定について、他人の意見を聞き、再度自分で考えて固める
あの人の生きたように、そのように子供たちに思わせるような生き方の手本を発信する必要があります。軍国主義とか、国粋主義というレッテル貼ったりしますが、どう受け止めるのかは、それこそ文科省が言うところの「主体的」問題です。軍人であろうと、侍であろうと関係ないと思います。与えられた境遇の中でどう生きたのかが問題なのです。柔道、剣道は武道だからダメ、その他のスポーツから、というように、あらかじめ制限をする必要はありません。
例えば、司馬遼太郎という大作家が『坂の上の雲』の主人公として選んだのが秋山好古です。日本騎兵の父と称された陸軍軍人ですが、粋な言葉を遺しています。そういう言葉を紹介して、生き方の手本とさせても良いでしょう。
「偉くなろうと思えば邪念を去れ、邪念があれば邪慾が出る。邪慾があっては大局が見えない。邪念を去るということは、偉くなる要訣だ」(松山の後輩白川大将に)
「今でこそドイツは勝っているようだが、ドイツ軍のやっている跡をみると、甚だ驕慢であり、自惚れが強すぎる。それのみならず作戦方面はよいが、外交が甚だまずい。きっと今に孤立に陥り不運な立場にたつだろう」(第一次世界大戦初期のドイツ軍快進撃に沸く陸軍部内に冷水を浴びせた) (いずれも2010公益財団法人 常盤同郷会ホームページより)
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