「全ての小中学生に1人1台のパソコンを整備するという計画を知っていますか?」
「確か、GIGAスクール構想と名付けられた計画でしょ」
「ところで、GIGAというのは、ギガバイトからきているのですか?」
「結構、そう思っている人が多いのですが、実は「Global and Innovation Gateway for All」の略で、文字通り訳すと「誰一人取り残すことなく、すべての子供たちが世界の人たちと繋がり、学びの入り口に立つことができる」という意味となります」
「それを今春から加速するようにするとのことです」
「『今春から加速する』主体はどこですか?」
「えっ、どこですかと言われれば、各学校で取り組んで加速するのだと思っていますが……」
「いえ、それは大いなる誤解ですね。簡単に言えば、政府・文科省が先走っているだけのことです。気が付いたら日本のデジタル化が遅れ、それがコロナ禍で露呈し、令和5年度までに整備する方針を慌てて前倒ししただけと思っています。発想は、9月入学と同じで、「ついで発想」です」
「要するに、大変な事態が起きたので、タブレットの支給を急ごうということなのですね?」
「発想が、教育的ではありません。公共事業ならば、その発想で良いのですが、教育はまず教える主体の準備をまず進める、不登校や小規模校など、本当に必要な子供たちに対するオンライン教育に取り組むなど、段取りを踏まないと上手くいきません」
「端末を配れば良いということではないということですね」
「何も指導できなければ、単なるおもちゃになります。生徒はゲームをして学校で遊び出します。教員だからと言って、端末機器を使いこなせる訳ではありません」
「ICT支援員1万1千人を全国に派遣する計画と言っています」
「それでは足りないと思います。ウチの学校は2~3人のSEが常駐しています。1つの学校に1人は必要だと思います。それが無理なら、教員に対して研修を施すことを考えなければいけないでしょう」
「ここからが本論です ↓」
計画を3年前倒し――思考力が停止している文科省
物事には順番があります。何かを導入する場合、その扱い方が分かる人間を現場に配して、その上で導入しなければ何の役にも立たないことは、容易に分かることではないかと思います。
この辺りの文科省の認識について、「文科大臣メッセージ」の内容から探ってみたいと思います。文章は文科省の役人が書いているので、文科省の考え方がよく分かるからです。
「Society 5.0時代に生きる子供たちにとって、PC端末は鉛筆やノートと並ぶマストアイテムです。今や、仕事でも家庭でも、社会のあらゆる場所でICTの活用が日常のものとなっています。社会を生き抜く力を育み、子供たちの可能性を広げる場所である学校が、時代に取り残され、世界からも遅れたままではいられません。1人1台端末環境は、もはや令和の時代における学校の「スタンダード」であり、特別なことではありません。これまでの我が国の150年に及ぶ教育実践の蓄積の上に、最先端のICT教育を取り入れ、これまでの実践とICTとのベストミックスを図っていくことにより、これからの学校教育は劇的に変わります」
文章は、この後も続きますが、これだけでもかなり前のめりになっていることが分かると思います。「これまでの実践とICTとのベストミックスを図っていくことにより、これからの学校教育は劇的に変わります」と、何かPC端末には、まるで魔法の力があるかのような捉え方です。
であれば、何故今まで計画的に導入しなかったのかと、言いたくなります。
教育のデジタル化は国際的にかなり遅れている
文科省が多少あせっているように、日本のデジタル化は国際的に遅れてしまっています。「2018年の国際学力調査で世界トップ級になったエストニアは約20年前から全学校の教室にパソコンとネット環境を整備。広大な国土をもつオーストラリアも遠隔教育をするため、10年以上前から政府などが子供一人に一台の情報端末を配備してきた」(「教育ICT元年1人1台」『日経』2021.1.1日付)のです。
ただ、くれぐれも誤解しないで欲しいのは、そういった機器を導入した途端に生徒の学力が向上したり、教育効果が上がる訳ではありません。あくまでもツール、つまり一つの道具なので、使い方と使う側のスキルをアップすること、教員の教育力を高めることを考えなければ駄目だということです。
対面授業が一番ベストーー不登校生徒や小規模学校生徒に対してICT教育を考えられたし
私の勤務校では、昨年の4月から約1か月半、学校を全面休校にしてオンライン授業を配信しました。中高の生徒全員に1人1台の端末を貸与し、ほぼ時間割通りに授業内容を提供できたと思います。
まず朝はHR担任が「Zoom」を使って出席を確認しつつ健康チェックをした後、実際の授業に入ります。授業のやり方は「Zoom」配信の人もいれば、ビデオ編集したものを「ロイロノート」で配信したりです。そして、授業では、必ず配信された内容に関する課題を出して、それを提出させて平常点としてカウントします。ただ、中には提出しない者もいます。
実際に、中学生、高校生を相手にオンライン授業をしてみたのですが、対面授業ほどの効果は期待しない方が良いというのが率直な感想です。教材を配信すること自体、結構手間暇がかかります。複数クラスに時間割に基づいて配信するためには、あらかじめビデオを撮っておく必要がありますが、30分程度の授業配信のものを準備するのに、1時間から1.5時間くらいは掛かります。
聞く側の生徒の立場からすると、当たり前かもしれませんが、一人でその日の授業を聞かなければいけません。最初のうちは物珍しさもあって良いのですが、段々日にちが経つにつれて離脱していく者も出始めます。
すべての子供たちが普段の対面授業を前向きに捉えている訳ではありません。授業に集中しない者、いつまでもおしゃべりを続ける者、理解力がなく授業について来られない者、眠っている者などいろいろな生徒がいます。現実は学園ドラマに出てくるような生徒ばかりではありません。そういった生徒に対して叱咤激励をしながら、教師は日々の授業をこなしているのです。
生徒に端末を持たせて家で授業を受けさせた途端に、目が光り輝いて急に授業を聞く生徒に変身すると思っているのでしょうか。端末には、魔法の力は備わっていません。
まずは不登校の生徒、あるいは保健室登校の生徒、さらには遠隔地の生徒といった、本当に必要とする生徒に対してオンライン授業を配信することを考えるべきでしょう。
とにかく、デジタル人材が不足しているからといって、端末を学校で配れば、自動的に人材が育ってくるわけではありません。最近の行政は、条件反射のように動きますが、何事も冷静に腰の据わった取り組みをして欲しいと思っています。
読んでいただき、ありがとうございました。
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