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日本的保守とは何か ―― 出でよ「日本派」の保守  / 明治以降に成立した体制下で生まれた日本文化は一つもない

  • 2026年1月22日
  • 歴史
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「保守とは何かということを、改めて考えてみたいと思います」

女性

「しばしば話題になるテーマですね」

「識者がそれなりの論をその都度発信していますが、立ち位置が間違っているため、議論が錯綜としています」

女性

「どこが正しい立ち位置とお考えですか?」

「日本のかたちが作られるのは、古代の飛鳥時代です。そこから江戸時代までの千百年間に日本の伝統、文化が形成されます。「保守」は、そこを基軸に考えるべきです」

女性

「明治時代に自由民権運動が広がり、議会政治が行われる中で、今で言う“保守”と“リベラル”との対立が生まれます。そちらを「保守」と考えてはいけないのですか?」

「結局、明治維新をどう評価するかにかかっていると思います」

女性

「維新によって新しい政権が誕生しますが、その流れを受け継いだ政党が保守本流だと思っていました」

「一般的な理解はそうですね」

女性

「そうではないと?」

「藩閥政府は日本文化を破壊した側です。廃仏毀釈によって全国各地の寺や仏像が破壊されました。薩摩藩内の1,616あった寺はすべて焼き払われ、高知藩では751の寺院が211に減少しました。1873年には廃城令や城郭取壊令が出され、193の城が破壊されました」

女性

「なぜ、そのようなことをしたのですか?」

「江戸時代までの文化を毛嫌いしての感情的な運動です。中国の文化革命のようなことが明治になった途端に始まったのです」

女性

「それがなぜ止まったのですか?」

「たまたま東大に教師として招かれていたフェノロサが日本美術に衝撃を受け、文部省に保存を働きかけたのです。簡単に言えば、バカなことをするなということです」

女性

「ここからが本論です ↓ 表紙写真は「ヒューマンアカデミー」提供です」

 保守主義の原点と、日本文化の断絶

「保守主義の父」と言われるエドマンド・バークは、長い歴史を経て形成された文化や制度には、計り知れない智慧(ちえ)が宿っており、それ自体に尊重すべき価値があると考えました。問題は、彼の言う「尊重すべき価値」を具体的にどのように捉えるかということです。すなわち、日本の伝統とは何か、という問いが不可欠になります。

日本は世界的に見ても特異な伝統と文化を形成してきた国です2025年の外国人観光客は4千万人を突破し、1日あたり10万人以上がこの日本に押し寄せています。何が彼らを惹きつけているのでしょうか。彼らの目的の多くは、どの国にもない日本的な文化や伝統を観賞・体験したいというものです。実は、それらの殆どすべては、江戸時代までに形成されたものばかりです。明治以降は、日本的な文化は何一つ形成されていません。むしろ、冒頭の2人の会話にあったように、伝統的な日本文化の“破壊者”として立ち現れています。

明治時代に成立した政治体制は、敗戦を挟んで基本的な構造を維持したまま現在に至っていますこの体制が持っているDNAは日本文化の破壊です。隙あらば消し去りたいと考えています。政権の“本音”が最も端的に表れるのが学校教育、とりわけ教科書の内容です。学校の「音楽」の中で、日本の楽器を扱うことはありません。歌舞伎、狂言、茶道、花道、方言、郷土料理といった日本的なものや郷土的なものは学校教育の外に追い出され、その一方で英語は小学校3年生から習うようになっています。歴史は「歴史総合」になり、近現代以降を扱うだけです。古代に日本のアイデンティティが形成されていますが、それを消し去ろうとしています。歴史の書き換えをしながら、少しずつ日本を改良する作戦だと思われます。

(「Record China」)

 三島由紀夫が訴えた「日本的保守」の核心

2025年は、三島由紀夫生誕100周年の年でした。しかし、彼の主張が今日において十分に理解されているとは言い難い状況にあります。三島が訴えたのは、単なる復古主義ではなく、日本の原点への立ち返りでした。彼の檄文の一部を紹介します――「戰後の日本が、經濟的繁榮にうつつを拔かし、國の大本を忘れ、國民精神を失ひ、本を正さずして末に走り、……(略)……國家百年の大計は外國に委ね、敗戰の汚辱は拂拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と傳統(でんとう)を瀆(けが)してゆくのを、齒嚙みをしながら見てゐなければならなかつた」。

自由、民主主義、平和といった概念を自民党から共産党まで使います。それらは明治以降、日本に流入してきた概念であり、力による政治を前提にしています。力を行使する権力者に対抗する概念として出てきたのが、「自由、民主主義、平和を守れ」だったのです。逆に言うと、これらの言葉が飛び交っているうちは、自由も民主主義も平和も危ういということなのです。

三島が鋭く突いたのは、平和と民主主義を掲げる戦後日本の欺瞞でした。当時は冷戦下でした。その旗を掲げるということは、力勝負の世界を認め、いずれかの陣営に与(くみ)することを意味していました。その欺瞞を説いたのです。彼に言わせれば、日本の伝統的な文化概念の核心にあるものは、「わび・さび」や「みやび」にせよ、かつて天皇を中心に家族的にまとまっていた時代の精神です。その時代を志向するのが真の保守であり、そこに戻ることを彼は訴えたのです。

(「日本経済新聞」)

 「日本派」なき保守と、近代の限界

現在、国会に議席を有する政党は、保守を標榜するか否かに関わらず、明治維新以降の時代を基軸に物事を判断しています。リベラルと言われていても、その時の政治状況によって保守だと思われていた政党と共同したりすることができるのは、そのためです。立憲民主党と公明党が、今回「中道改革連合」なる“新党”を立ち上げました。過去の両党の経緯を踏まえると意外に映るものの、 “拠って立つ基盤”は同じなので、不思議ではないということです。

自由民権運動が起き、憲法の内容をどうするかということで、イギリス派とドイツ派に分かれて論争となります。明治十四年の政変と言われていますが、結局ドイツ派が勝利をして伊藤博文らがドイツに留学します。しかし、これもおかしな話で、どうして日本派がいなかったのかということです。日本は7世紀に憲法を制定し、律令制度を基盤とした長い統治の歴史を有しています。そもそも、明治に入ってからも「神祇官-太政官」制度を使っていますが、その発祥は古代飛鳥の時代です。制度だけ使って、その理念や精神について学ぼうという姿勢が一切なかったのです。

そのことをドイツの歴史法学者ルドルフ・フォン・グナイストから留学時に指摘されます。「憲法は民族精神の発露であり、その国の歴史に立脚していなければならない」と。伊藤博文はその言葉を聞いて、帰国後日本の古典を調べますが、結果的には“つけ刃”で終わってしまいます。帝国憲法が和洋折衷の中途半端な憲法となったのは、このためです。

この構造は現在の保守にも引き継がれています。日本の保守は、明治以降の時代を基盤にしているため、「日本派」が不在なのです。アメリカには共和党のような「アメリカ派」があり、イギリスの保守党は「イギリス派」です。ところが、日本の保守は「アメリカ派」と「中国派」というように、他国との関係性を軸に自らを定義してきました。もっとも、最近は「中国派」が少なくなったため、その影響でパンダが日本からいなくなるという事態が起きています。古き日本の伝統を輩出した時代を基軸にし、日本ファーストを標榜する真の保守政党の登場が待たれます。なお、百田氏の保守党は明治以降の時代を基盤に考えていますので、日本ファーストの政党とは言い難いでしょう。

(「You Tube」)

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