「今日は2月26日、2.26事件の日ですね」
「何か嬉しそうに言うけれど、記念日ではありませんからね」
「知ってますよ。軍事クーデターですよね」
「事件はわずか4日間で鎮圧されますが、事件の全貌がまだ完全に分かった訳ではないと思っています」
「それは、どういうことでしょうか?」
「従来の見方、考え方とは違った資料に基づいて、2019年8月にNHKスペシャル『全貌2.26事件』で放送されていますが、従来は陸軍が主導して2.26事件が引き起こしたというものでした」
「ところが、違っていたということですね」
「そうなんです。陸軍と海軍が結束していたのではないかという資料がつい最近出てきてしまったのです」
「陸軍と海軍、そういった軍部を抑えるシステムのようなものはなかったのですか?」
「現在の憲法には文民統制の仕組みがあるのですが、当時の明治憲法には用意されていなかったのですね。最大の欠陥と言われています」
「当時は、陸軍大臣、海軍大臣がいた訳ですが、彼らは総理大臣と同格扱いですものね」
「そうですね。内閣総理大臣と軍部の大臣が同格ですので、内閣総理大臣といえども軍部の大臣を抑えることは組織上できないということになります」
「今流の言葉で言えば、忖度は働かないということですね。当時のクーデターは、言ってみれば起こるべくして起こったと言えるかもしれませんね。現在はそういったクーデターが起きる可能性というのは、あるのですか?」
「怖いことを、さりげなく聞きますね。組織的には、ないというしかありません。自衛隊が当時の軍部ということになると思いますが、制服組のトップは防衛大臣の指揮下にありますので、自衛隊が単独で行動を起こすことは無理ではないかと思います」
「ここからが本論です ↓」
2.26事件についての従来の見解
2.26事件について、山川の「日本史教科書」を紐解いてみたいと思いますが、あくまでも陸軍の「皇道派」という一グループが決起して、首相官邸や警視庁を襲い、当時の重要閣僚9人を殺害するという事件という捉え方です――「首都には戒厳令が出された。このクーデターは、国家改造・軍部政権樹立をめざしたが、天皇が厳罰を指示したこともあり、反乱軍として鎮圧された」(『詳説日本史』山川出版社、2016年)。
その後は「統制派が皇道派を排除して陸軍内での主導権を確立し、陸軍の政治的発言力はいっそう強まった」(『詳説日本史』)とあります。
陸軍が主導して、海軍がサポートした決起だった
これが従来の見解だったのですが、「当事者である陸軍とは別に、海軍が独自の情報網を築いていたことが分かってきた」(NHKスペシャル)のです。つまり、従来考えられていたのは、陸軍「皇道派」単独行動説だったのですが、そうではなく、海軍も関わっていたし、それは事件発生後、昭和天皇が海軍の軍令部総長の伏見宮と会っていたことからも証明されるとしています。
天皇が一番恐れたことは、陸軍と海軍が結託をして、それを背後で伏見宮が指揮しているという構図です。実は、そういった動きもあったのです。小笠原海軍中将が事件発生直後、伏見宮を訪ね、決起部隊の主張に理解を示すように要請をしているのです。
結果的には、天皇の迅速な行動が燃え広がろうとしたクーデターの炎を消しました。決起部隊のシナリオは、海軍の同調者を巻き込みながら、陸軍大将の真崎甚三郎をトップに担ぎ、場合によっては伏見宮を新たな天皇として担ぐことまで考えていたフシがあります。
ところが、一向に事態が収拾しないため、天皇は陸軍の部隊に反乱軍鎮圧を命じます。この瞬間に、反乱軍は朝敵となってしまいます。理解を示していたグループ、様子見をしていた人たち、彼らが一斉に反乱軍とは関わりのない素振りをし始めたのです。結果的に、首相経験者4名、警官5名が犠牲となった「事件」として扱われ、123名が起訴、そのうちの19名が死刑となります。
昭和維新の実現のための決起
事件は「皇道派」という1つのグループの反乱であったというのが、大方の見方ですが、実際は当時の世界恐慌(1929年)の影響を受けて、国内の経済はかなり疲弊していたと思われます。企業は次々と倒産し、失業者は街にあふれていたことでしょう。農作物の価格の下落も激しく、自分の娘を身売りする家もあったということです。
そういう状況下にも関わらず、政党内閣は適切な政策を実行できず、そういったイライラ感が募っていた中で起きた事件だったのです。つまり単に権力を奪取するためのクーデターではなく、昭和維新という新しい日本の社会をつくるという目的があったのです。
だから当時の陸軍大将が「お前たちの気持ちはよくわかる」といった言葉を遺しているのです。ただ、この決起を起こした中心メンバーにとっての大誤算は昭和天皇が「賊軍」と認定してしまったことでしょう。そのため、事態は鎮圧に向かって一気に進むことになります。
2.26事件の真相解明がこれからも進むであろう
1993年に裁判記録の一部が公開されています。研究が進めば、首謀者も含めて参加者たちがどのような思いで決起したのかも分かる時がくると思います。
また、「渋谷税務署」の角に「2.26事件」に関わった人たちを供養するための慰霊塔が1965年に建立されています。現在では、青年将校たちの霊が若者たちを応援してくれるということで、恋愛成就スポットということで人気を呼んでいるとのことです。
これを機に、渋谷方面に行かれた時は、立ち寄って手を合わせて頂ければと思います。
なお、ミヤンマーのクーデターと比較をして論じる方もいますが、ミャンマーのそれは首謀者がトップになるための武力蜂起であったのに対して、「2.26事件」はあくまでも天皇あるいはそれに準ずる方をトップに据えた上で、政治刷新を図ろうとした点が違います。多分、そこには私利私欲ではなく、国のため、社会のため、家族のためという彼らなりの高尚な目的・目標があったと推察します。
そんなこともあり、慰霊塔が建てられたのだろうと思っています。
(「2.26事件慰霊塔」/東京とりっぷ)
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