(この文章は3/15日に書きました)
子育てのノウハウが次世代に引き継がれなくなっている
日本で児童虐待の相談件数の統計をとり始めたのが平成2(1990)年です。その年が1,101件。そこから急増して、2013年度は66,701件となり、500人の死亡。さらにそこから、件数も犠牲者の数も増え続けています。現在では、児童相談所はその相談が余りにも多くて、対応しきれない程の状況だそうです。
児童虐待が起きる根底には、子供の躾と教育のノウハウやコツが世代間で上手く伝わっていないということが原因としてあると思われます。そして、そこには地域の教育力の弱体化ということがあるでしょう。そして、さらに家族の組織としての弱体化というのがあると思います。
あと児童虐待については、抱き癖がつくのでダッコをしてはいけないと言われて育てられた「スキンシップ不足世代」が、今35歳から55歳であり、ちょうど親の世代になっていることも関係しているのかなと思ったりもしています。ただ、それについては統計がないので実証はできません。
ところで、かつての時代は大家族制。子供たちを取り巻く地域の人間関係がありました。厳しい父、温かい声と手をかけてくれる母、甘やかしの祖母、遠くから見つめてくれた祖父と地域の人たち。大人たちがその持ち場で個性を発揮し、それが子供たちの中で血となり肉となり、個性として醸成されたのです。そのような人的環境の中で、人との接し方や社会での身のこなし方を自然に学んだものでした。
現代の子育ては、負担が殆どすべて親に掛かってしまっています。その負担に耐えきれず、思わず暴力を使ってしまい虐待に走るというケースが増えています。子供は時に大人が予想もしない行動をします。当事者に余裕があれば、それを受け止めることができますが、今は世の中全体にそれがなくなりつつあります。子育てが「孤育て」になってしまって、全体的に余裕がなくなっています。
アフリカには「子ども一人を育てるのに村一つ必要」という諺があります。人は人の間に入って、そのネットワークの中で個性を磨き、使命を知り能力を伸ばしていく存在です。子供を受け止める集団が大きければ大きいほど、その子にとって可能性が開けていくのは、言うまでもありません。そのような子育ての土壌が地域に築かれ、家庭や学校などとのネットワークと繋がっていることが重要です。
家庭を崩壊させようとする思想が社会に流れている
子供が最初に出会う「組織」が家庭です。実は、その家庭をどういうものとして考えるかは、国によっても時代によっても違います。つまり、そこにはその国の人たちの考え方が入っています。日本では、結婚すれば姓を一つにします。一つにしない国もあります。1つにして、旧姓が分かるようにする国もあります。それは考え方の違い、文化の違いです。
国連の女子差別撤回委員会は「夫婦同姓強制」について2003年、2009年、2016年に日本に対して勧告を行っていますが、男女平等とは全く関係がありません。なぜならば、女性の姓を名乗っても良いからです。そもそも、家族の問題をどう扱うのかは、国内自治の問題であり、その国の文化に絡む問題ですので、国際機関といえども口を挟む権限はありません。「理由なき容喙(ようかい)は拒否する」と日本政府も毅然とした対応をして欲しいと思っています。その点についてだけは、中国政府を見習って欲しいと思います。
日本では、そのことを制度として守るため、明治時代に民法を作成する時に「家」という項目を作りました。そして、この「家」は戸主(家長)と家族からなると規定したのです。一般的に、家制度と説明されていますが、日本独自の考え方に基づいたものです。制度そのものは無くなったのですが、その考え方が戸籍法の規定の中に受け継がれています。
ただ、こういった家制度を左翼の学者は、「家父長の奴隷団体」(高群逸枝『女性の歴史 上』講談社文庫.1972年/374ページ)と捉えています。昨年、この考え方の延長線上で夫婦別姓訴訟が提起されたり、国会でそれに関する質問が出されたりしました。
今は結婚しても旧姓のままで働くことができるような職場が増えていますので、ほとんど不都合はありません。それにも関わらず、裁判までするのは、その狙いが日本の家族制度の根底からの破壊にあるからです。そのため、「朝日」や「毎日」が一生懸命応援しているのです。
リーダーを決め、二人の「和」の力で家庭を築くのが基本
「家庭の価値が低く見られるようになりつつあるのは、いまや世界的傾向」(渡部昇一『国民の教育』扶桑社.2001年/81ページ)ですが、それをそのまま受け止める訳にはいかないと思います。
全く違ったところで生まれ育った人間が結婚をして家庭をもつ。家庭が「組織」である以上、どちらをリーダーとするかを決める必要があります。そして、もう一人はその秩序を守るべく行動しなければなりません。
例えば、労働組合は2人以上で結成できますが、仮に2人の場合でも委員長をどちらにするかを決めて、その秩序に従って行動することになるでしょう。副委員長が何かと委員長のような行動をしていれば、組合員は戸惑い、不安になり組合を離れる人が出るかもしれません。
家庭も人間が作る組織である以上、そこには様々なベクトルが働きます。理にかなわないことをすれば、無秩序が家庭を支配し、虐待、家庭内暴力、ひきこもりといった病的現象が起こりやすくなります。二人の「和」の力で家庭を上手く治めること、誰がリーダーであっても、お互いその「家族」のためという気持ちさえあれば、良い方向に回転していくでしょう。
とにかく、話し合いをしてリーダーを決め、お互いの協力のもと子育てが出来れば、大過のない家庭生活を築くことができると思います。
読んで頂きありがとうございました