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人生100年時代の基礎は小学校の体育にあり ―― 学校体育の位置づけを考える必要あり / 外遊びをしなくなった子供たち

「人生100年時代と言われるようになりました。たまには、健康問題を話題にしましょうか」

女性

「大事なのは健康寿命ですものね」

「そうですね、平均寿命が専ら話題になりますが、大事なのは健康寿命なんです。ところで、男女それぞれ何歳か分かりますか?」

女性

「確かな数字は覚えていませんが、平均寿命から10歳くらい引いた数でしょ」

「大体合っていますが、正確な数字を調べてみました。男性72.68歳(平均寿命81.41歳)、女性75.38(平均寿命87.45歳)というのが厚労省が発表した2019年時点でのデータです」

女性

「ということは、不健康な期間が、男性は8.7歳、女性は12.1歳となりますが、結構長いですね」

「これをいかに縮めるかが問題です」

女性

「どうすれば、良いですか?」

「思いつくのは、健康教育でしょうか。そして、国民の間に、健康習慣と運動習慣をいかに定着させるかでしょうね」

女性

「健康は授かるものという考えから、少しずつ健康は努力して手に入れるものというように意識の変化が見られますよね」

「健康関連食品や商品の売り上げが伸びています。健康志向の高まりの反映と言われています」

女性

「実は、私はサプリメント愛好家なのです。ついつい買ってしまって、家計簿つける時に後悔したりするのです」

「私はジム会員ですが、週に何回か利用しています」

女性

「えっ、それは初耳でした。ちなみに、いくら位払っているのですか?」

「私の通っているジムは月3980円ですね。何回行っても同じ値段です。駅の近くに最近コンビニジムが開店しましたが2980円だそうです」

女性

「何ですか、そのコンビニジムって?」

「勤め帰りにそのままの服装でマシーンを利用して、終わったら帰るという24時間利用可能をコンセプトにしているみたいです」

女性

「成る程、40代になったら考えたいと思います。ここからが本論です ↓ なお、表紙写真は「保育士バンク」提供です」

 近視になる人が増えている

スマホの普及によって、近視になる人が増えているそうです。近視は近くのものばかり見ているとそれに合わせて眼球が変形し、元に戻らなくて起こるものです。眼球も一種の「筋肉」のため、若い時の方が柔軟なので、若い人ほど変形しやすい。つまり近視になりやすく、逆に大人になると変形しにくいので近視にはならないと言われてきました。ところが、ここ数年は大人になって初めて近視になる人が増えているとのことです。

スマホでゲームを長時間したり、パソコンの画面を長時間見ての業務、さらにはコロナ禍での外出自粛などが近視増大の原因とみられています。東京医科歯科大学の大野京子教授は「近視が進めば緑内障や網膜剥離などになりやすく、失明につながる恐れもある」(『日経』2023.1.28日付)と言います。

子供の近視も増えています。文科省の学校保健統計調査(2021年度)によると、裸眼視力1.0未満の子供が、6歳で23%、11歳で50%です。特に将来は何らかのスポーツで勝負したいと思っている人は、視力を低下させないように注意して生活をする必要があります。

スマホゲームはやらないに越したことはありませんが、する場合でも時間を決めて、終わった後は目のストレッチをして下さい。やり方は顔の前に手を伸ばしてから親指を立てます。その親指と、その10m以上離れた延長線上の1点を5秒間隔で交互に見つめます。10~15回位行います。近い所と遠い所、交互に見つめることによって目の筋肉をほぐす効果があるのです。

 外遊びをしなくなった子供たち

「子供」は複数形です。これは、集団で群れをなして遊ぶのが本来的な姿だという意味もあります。遊びをしなくなれば、さまざまな「歪み」を身体の内外に抱えることになります。人間も動物の一種です。まさに動くことによって、健全な生活を手に入れることができるように作られているからです。

人は子供時代に、遊びを通して体力と運動能力を向上させます。それが少なくなれば、当然、走ったり、ボールを投げたり、跳んだりという能力も伸びません。そして、そのことは、各種データに現れています。

「子供」時代に運動に親しんで、ある程度筋肉をつくっていれば、高い確率で健康寿命を伸ばすことに繋がります。年をとってからも運動を再開することが比較的容易にできるからです。ところが、そういった基礎的な体力づくりが不足していれば、健康のためと思って運動をしようとしても体が思うように動きません。手遅れということです。

(「コノビー」)

 学校体育の位置づけを考える必要あり

子供たちの外遊びの絶対量が減っているのに対応して、学校体育の位置づけを考える必要があります。学校5日制が導入され、さらに英語が入ってきたために体育の時間が絶対的に少なくなっています。文科省が定めている標準時間数を見ると、小1~小4は年間105時間なので、週3時間の配当ですが、小5、小6は90時間配当になっています。英語の導入に伴って90時間に減ったのです。そして、その英語が70時間配当(週2時間)ですが、そんなに時間数は変わりません。

人生100年時代、日本語で完結できる人生を歩む人が殆んど、日本語の習得には時間が掛かる、今の子供たちが大人になる頃は自動翻訳機が普及している、子供の体力が落ちている、などを考えれば英語の時間を削ってでも、体育の時間を増やすべきだと思います。英語は必要を感じてから勉強しても間に合いますが、体力は間に合いません。

現在、少子化で騒いでいますが、子供を産み育てるためには体力が必要です。健康な母胎に健康な子供が宿ります。健康と体力は自分の努力で掴み取るものということを身をもって教えることが、学校教育では必要です。特に、小学校の段階で教えることが重要です。しかも、体育の時間だけが教員と子供が同じ目線で交流できる時間だと思います。信頼関係の醸成にもなります。体育のプログラムを上手く組めば、クラス内の人間関係の改善にも役立ちます。単なる運動ではなく、授業の組み立て方によっては有機的な効果が期待できます。

文科省は頭の中で観念的に考えて終わりにしないで、現場に出向いて質、量ともに子供にとってどのような体育授業が良いのか研究して欲しいと思います。

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