「大学共通テストの申し込みが始まりましたが、受験料はいくらか知っていますか?」
「いえ、知らないですけれど、話題にするということは高いということですか?」
「ピンポンパンツです」
「あのを、それは私の特許なんですけど……」
「3教科以上で18000円、2教科以下の場合は12000円です」
「確かに、高いですね。マスコミ、新聞社はどこも話題にしないですけど、どうしてそんなに高いのですか?予備校の模試が4、5千円でできるのですから、少なくともその位の価格まで抑えられると思いますけどね」
「価格はセンター試験の時と同じですね。共通テストと言いながら、内容的にはセンター試験と同じ、だから価格も同じで良いだろう、誰も問題にする人はいないだろうから、という感じがします」
「菅総理が携帯の通信料が高いと言って問題視していましたが、共通テストの価格設定についても、どこかで論議して欲しいですよね」
「ところで共通テストの受験者は何万人か、知っていますか?」
「すいません、数字系統はからっきし苦手なのです」
「日本人の特性みたいなものなのですよ。出された数字に素直に従う、それが公的機関であれば忖度が働いて、間違いないだろうと思って誰も問題視しない。受験料1.8万に58万人をかけると、およそ100億円になります。人件費、印刷代や会場費など経費はかかるかもしれないですが、そんなに必要はないでしょう」
「今、反省をしました。子供たちと家計のために、少し問題意識をもちたいと思います」
「河野大臣が「行政改革目安箱」を設けましたよね。ただ、そこへの投稿件数が4千件を超えてパンクしたので、内閣府に「規制改革ホットライン」を設けたそうです。そこに意見として出してみて下さい」
「分かりました。だけど、取り上げられるかどうか分からないですよね」
「それはそうですね。だから、新聞社に電話して話題にして欲しい旨の要望をするとか、放送局に電話するなど、工夫してみて下さい」
「分かりました。頑張ってみます。ここからが本論です ↓」
規制改革の時代――身の回りのことについて総点検しよう
不必要な規制が多くあります。自由社会と言いながら、どうでも良いようなルールに縛られていることがあります。組閣をした時の記者会見について、河野大臣が深夜にまで及ぶ会見は無駄、各省庁で分かれて会見をしていれば、短時間で終わり、今頃は家で寝ている、と発言されました。言われて、国民はそういう慣例があったことを初めて知りましたが、他にいろいろあるのではないでしょうか。
菅内閣は政策運営のメインに規制改革を据えると言っています。その心意気は良いと思います。菅首相は、9月17日の午後に河野太郎行政改革・規制改革相を閣僚の中で最初に呼んだそうです。そこに菅首相の気持ちがこもっていると思います。ただ、その後がいけません。自身のツイッターで「行政改革目安箱(縦割り110番)」を新設されたのですが、公的なものの内容を自身のツイッターを受け入れ窓口にするのは、いかがなものか。結局投稿件数が4000件を超えてしまったため、一時停止をしてしまいました。熱意は買いますが、何事も組織的な対応をお願いしたいと思います。
今回、デジタル庁が立ち上げられることになりました。日本のデジタル化が進まなかったのは、それの旗振り人がいなかったからです。人は、未知の分野の技術を積極的に取り入れようとはしないものです。自分が習った技術で対応することを真っ先に考えるものだからです。デジタル庁の立ち上げについては、基本的に賛成ですが、問題なのは、どの程度の権限をもたせるのかということでしょう。「省」ではなく「庁」なので、「旗振り」ができるのか一抹の不安があります。
規制改革を阻む人たち
『日経新聞』に「規制改革」についての記事(2020.9.18日付)が掲載されていました。その中で、LINEアプリで住民票を取り寄せられるサービスに対して、総務省から待ったをかけられた中島社長の言葉を紹介しています――「国の規制は民間のアイデアや技術を阻害する。規制を解いてくれればイノベーションはもっと前進するのに」。
その記事の中で、九州大学大学院の篠崎彰彦教授の話を紹介しています――「取り逃がした成長力を取り戻すには、今からでも医療や教育など公的サービスを民間にもっと開放すべきだ」
そして、自身が習った技術で対応できないことに対して、それを規制しようとする人がいます。いわゆる「岩盤規制」というものは、そういうものではないでしょうか。デジタル庁が機能すると、また様相が変わってくるのではないかと思っています。
教科書検定制度――教育界の規制の最たるもの
教育界における規制の最たるものは、教科書検定制度だと思っています。考えてみれば、日本全国、少なくとも公立学校は検定教科書を使って、同じような教育課程のもとで児童・生徒たちは教育を受けています。それを当たり前と考える人がいるかもしれませんが、世界的には極めて珍しいことです。
何事もナンバーワンの国がどうしているのか、まずそこを見たいと思います。アメリカは検定制度も検定教科書もありません。学校現場の教員が、子供たちの状況に見合った教科書を選ぶのです。800ページくらい厚い教科書を使う先生もいるようです。今流行りのアクティブラーニングを中心に据えるような授業をするのならば、そのくらいの分量の教科書の方が良いでしょう。今の教科書では何も調べることができません。図書館やインターネットで調べさせてということから始めているようですが、すべての児童・生徒が上手く調べられる訳ではないのです。
そして、アメリカでは教育課程は州によって違います。高校の修業年限も違います。3年という州もあれば、4年というところもあります。21世紀はAIの時代です。AIが人間のライバルとして立ちはだかる時代です。「画一、一律、一斉棒暗記」教育によって生み出された人材は、AIに凌駕される可能性があります。多くの人と違った発想をする人間、普通の人とは違う角度から物事を見る事ができる人間を意識的に育てる時代なのです。
検定教科書をなくしてどうするのか、ということですが、なくすことによって多くの民間の出版社が「教科書市場」に参入することができます。それが大事なのです。中には、思いもつかないような教科書を作る会社が現れるかもしれません。それは、日本の国民にとって良いことだと思います。少なくとも、今のように教科書会社が数社に限定され、そこに参入しようとすると教科書検定制度がひとつの障害になって立ちはだかったり、何か変な見えざる規制があったりしています。
大学共通テストが今年度よりスタートします。文科省は指導要領を省令というかたちで発表しています。その二つがあるのですから、後は各大学がどのような一般入試を行っているかを分析します。
共通テストを含めての入試分析、文科省によって示された標準的な教育課程、そこに各学校の校風や地域や父母の願いを組み入れて独自の教育課程を学校長の責任の下に作ればよいだけです。できた教育課程にあった教科書を今度は選定すれば良いのです。
現在は、真逆のことをしているのです。最初に教科書を選定してしまうので、自ずと教育課程がほぼ決まり、地域や父母の創意工夫を生かした教育実践活動はどうしても二の次になってしまいます。各学校で独自に何か考えようにも、最初に制約ありきというのが、今の現状だと思います。
検定教科書が無くなれば、教科書検定官は必要なくなりますし、それに伴う事務的手続きもいらなくなりますので、その分の経費が節約できます。教科書選定に絡んでの様々なトラブルもなくなります。近隣諸国条項という理不尽なものに束縛されることはなくなります。学校や地方によって様々な教科書による内容豊富な教育実践が全国で展開する可能性があります。
※近隣諸国条項…「日本国の教科用図書検定基準に定められている「近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされていること」という規定のこと (フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)。この条項があるため、中国や韓国から日本の教科書内容(特に歴史教科書)に対して干渉されることになる。
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