
「日本の国を支配しているのが特権意識を持ったキャリア官僚であることが、何となく分かり始めたところではないでしょうか」

「前回、他国の官僚制との比較をしていましたが、日本の官僚制は特異なんですね」

「人事採用権が各省庁にあるという国は日本だけです。そして例えば、文科省に入省した場合は、一生文科省に務めることになります」

「何か、夢がない話ですよね。いろんな省庁で、様々な経験をしたいと思うのが普通ですよね。だって、G7の各国はそのような人事制度を採用しているのでしょ」

「そんなこともあって、最近は早期退職者も増えていますし、希望者が減っています」

「省庁別採用は若い人の感覚に合っていないと思います。若いうちはいろいろ経験したいと誰もが思いますからね。それをやめれば、また人気が出てくると思いますけど……」

「各省庁は人事採用権を手放さないでしょうね。囲い込み人事をしたいと思っていますからね」

「なぜ、そんなにこだわるのですか?」

「省庁が長年かかって築いた権益を組織をあげて守りたいという心理が働いていると思います」

「であれば、各省庁で採用試験をするべきでしょうね」

「それは手間がかかるのでやらないということです。共通の採用試験を受けさせて、点数の高い順番の人から希望する省庁に入れるというのも、何かおかしなシステムだと思います」

「変な優越感と変な劣等感を植えつけるだけだと思います」

「実はこのやり方は戦前から変わっていません。見直す時期にきたと思います」

「ここからが本論です ↓ 表紙画像は「リベラルアーツガイド」提供です」
省庁批判を避ける新聞社──記者クラブの力学
日本の報道機関が中央省庁の制度や人事の問題に切り込む記事をほとんど出さないのは、制度的な検閲や法的制約ではありません。実際には「記者クラブ制度」という慣行が、結果として批判的報道を抑制する仕組みになっているのです。
多くの新聞社や通信社は、霞が関の各省庁に常駐記者を置き、省庁側からのレク(非公式説明)や情報提供に依存しています。この情報の多くは「オフレコ」や「事前説明」という形で記者に提供され、記事の方向性に影響を与えています。こうした環境では、情報源との関係を壊すことが死活問題となるため、制度批判や本質的な構造改革の論調は避けられる傾向にあります。
つまり、批判すれば取材拒否や冷遇という「見えない圧力」が働くのです。その結果として、読者に届けられる情報は、省庁が望む範囲にとどまり、本質に踏み込まない「中立的」報道が量産されてしまうのです。「出る杭は引っこ抜かれて捨てられる」のが日本の社会です。省庁に目を付けられたら大変なことになります。「触らぬ神にたたりなし」なので、何も触れないようにするのが、新聞界の常識になってしまったのでしょう。「ペンは剣より強し」、されど官公庁に弱いのが、実は日本の新聞社なのです。
(「スマート選挙ブログ」)
報道機関と政府の「取引関係」──消費税軽減税率の裏側
もう一つの重要な背景が、報道機関と政府の間にある「利益の共有構造」です。代表的なのが、2019年の消費増税時に新聞に適用された軽減税率です。通常、消費税は10%に引き上げられましたが、新聞については「公共財」として8%のまま据え置かれました。
この措置によって、新聞社には事実上の“特別待遇”が与えられたことになります。これは、表向きは言論の多様性を守るためとされていますが、裏を返せば、財務省による財政運営や税制方針への強い論調が抑制される結果を生みだしています。
新聞各社は財務省を批判することで自らの経済的利益を損なうリスクを負うため、結果的に「沈黙」という選択肢を取りがちなのです。報道の自由が制度的に保証されていても、その自由を行使しない、あるいは行使できない空気が形成されているという点で、日本のメディアはある種の「自己規制」に陥っていると言えるでしょう。それから、自己規制から踏み込んで、積極的に財務省側に立って論説を展開している新聞社もあります。
(「Freee」)
なぜ省庁制度改革は議論されないのか──官民の共犯と文化的惰性
日本では、キャリア・ノンキャリア制度や省庁ごとの囲い込み採用といった非合理な公務員制度が、明治の時代から現在まで長年にわたって存続しています。戦前の高等文官試験(現在の国家公務員上級試験)が導入されたのが1887(明治20)年です。それから約140年経っていますが、同じ考え方の上に立った採用方式を堅持しています。AIが実用化されるような時代です。単純に試験で良い点数を取ったというだけで、キャリアとして優遇するのは今の時代感覚に合っていません。新聞社は世界標準という言い方をよくします。世界標準から見て、今の日本の官僚制について国民に向けて発信して欲しいと思っています。
様々な事情があるとは思いますが、とにかく官僚制の現状を本格的に批判し、改革の機運を高めるような報道は非常に少ないままです。これは制度改革の必要性を訴える声が政界や官界から上がりにくいだけでなく、メディア自身がその問題を可視化する努力をしてこなかったという意味で、官民の「共犯構造」が存在しているといえます。
報道機関はかつての高度成長期に官僚制度を支え、成功神話を共有してきました。結果として、記者や論説委員の多くが「官僚=有能で中立な存在」というステレオタイプを温存しがちです。さらに、省庁人事に切り込むには、ある程度の専門知識と継続的な取材が求められるため、日常の速報中心の報道サイクルにそぐわない面もあります。こうした文化的・構造的な壁を乗り越えるには、新聞社内の人材刷新、独立系メディアの活用といったことが考えられます。そして、われわれ読み手側も、そういった問題があることを念頭に置いた上で情報を得るということだと思います。少なくとも盲信はしないということだと思いますし、市民側の問題意識の高まりが大切だと思います。
(「E-hon」)
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