「昨日の『産経』(10/9日付)には、2つの重要な問題に関する記事がありました」
「私の家では、新聞を取っていないので、すいません……」
「最近はそういう家庭が多いそうです。我々の時代は新聞は取るものという一つの強迫観念みたいなものがありましたけどね」
「無くても情報が取れてしまいますので、余り不自由を感じていないのです。それはそうと、2つの重要な問題というのは何ですか?」
「学術会議の問題と最高裁のあり方の問題です」
「難しそうな問題ですね。今日は両方とも、取り上げるのですか?」
「今日は最高裁の問題を取り上げたいと思っています。というのは、性同一性障害について判例変更をするのではないかと言われていますので、そちらを先に話題にしたいと思います」
「今までの流れを簡単に紹介してもらえますか」
「『性同一性障害特例法』というのがあり、性別変更の条件として適性手術を要件として定めたのですが、それは「差別的で違憲」という申し立てがあったのです」
「要するに、外見を変えずに女として認めろという主張ですか?」
「簡単に言えばそういうことですね。それについて申立人の弁論を最高裁が聞いて、結審しています。普通は5人ですが、15人の大法廷で審理をするので、判例変更の兆しと見られています」
「その「特例法」というのは、いつ頃定められたのですか?」
「2003年に成立しています。これにより、適性手術と家庭裁判所の審判があれば、戸籍の性別変更が認められるようになったのです」
「ここからが本論です ↓ 表紙写真は「Adobe Stock」提供です」
日本とアメリカは司法に対する考え方が違う
島田洋一氏は「最高裁のあり方根本的見直しを」(「正論」10.9日付)の中で、最高裁人事に国会が関与できない現状を指摘し、批判をしています。確かに、憲法によると最高裁の裁判長を内閣が指名し、その他の裁判官は内閣が任命します。ついでに言うと、下級裁判所の裁判官も内閣で任命します。島田氏が指摘するように、確かに国会が関与することが出来なくなっています。
実は彼が比較基準としているのが、アメリカです。確かにアメリカは最高裁人事に大統領も議会も関与できますので、「最高裁人事が政治闘争の最激戦地」(同上)と言われているのです。実際に、下のように判事は政党色によって分けられるのです(下図参照)。ただ、そのあたりについては、日本とアメリカの司法に対する考え方の違いから来ていることなのです。
(「毎日新聞」)
司法権の独立を守った国
島田洋一氏は憲法81条を根拠に「日本の最高裁は法文上、米最高裁以上に強大な権限を有する」と言っていますが、これは間違っています。81条は単に法令審査権を定めた条文です。つまり、法律などが憲法に適合するかどうかを最終的に判断することができるのは、裁判所だけだと言っているに過ぎません。法令審査権は他の機関はありませんので、そういう意味では「強大な権限」なのかもしれません。
最高裁も含めて、すべての裁判官の人事に国会が絡むことができないようにしたのは、政争に巻き込まれないようにしたためです。かつて大津事件(ロシア皇太子襲撃事件/1891年)というのがありました。警護の警察官が持っているサーベルで皇太子に切りつけた事件です。体面を重んじる政府は、被告人に対して死刑判決を求めましたが、それに屈せず大審院の裁判長の児島惟謙(いけん)は刑法の規定に基づいて無期懲役の判決を下したという歴史があります。
それ以来、司法権の独立は日本に於て、憲政上重要なテーマになったのです。
(「You Tube/粋なカエサル」)
日本は国会中心主義の国
憲法のような公的文書は重要な機関の順番に章立てをします。三権の順番を見ると、第4章が国会、第5章が内閣、第6章が司法となっています。そして、第4章の最初が憲法41条ですが、そこに「国会は国権の最高機関」という条文があります。この条文があるので、三権が均等に分立しているのではなく、国会を中心に据えたかたちを取っていることが分かります。その根拠は、国民主権です。三権のうち唯一国会だけが、主権者国民から選挙の洗礼を受けた議員によって構成されています。そのため、他の二権よりも上に位置付けられているのです。
島田氏は近々最高裁が判例変更をして、性同一性障害の人に対して適性手術を求める特例法に対して違憲判決を下す可能性が高いと見ている様です。仮に、違憲判決が出たからといって、それに国会が従う憲法上の義務はありません。あくまでも、それは司法の判断であって、国会はそれも一つの意見として捉えれば良いだけのことです。
(「スズトリ/スット図解でわかる「法律」トリビア」)
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