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中国の思想的土壌を明らかにする ―― 孔子、孟子、韓非子など/ 生き馬の目を抜く国であることを自覚されたし

「中国について、ずっと不思議だなと思っていることがあります」

女性

「何でしょうか?」

「中国というのは、時代を遡れば遡るほど、魅力的なんですが、その古代から時代が経てば経つほど、魅力が無くなっていきます。逆なら分かるのですが、何故なのかというのが、結構前からの疑問なんです」

女性

「そう言われれば、そうかもしれません。論語や孟子の言葉は「漢文」の授業で習いましたが、結構教訓的な内容もありますよね」

「人生の勉強にもなるような説話が多くありますよね」

女性

「実は私、『中国古典一日一言』という本を愛読しているのです」

「えっ、そうだったんですか?」

女性

「ちょうど1年分あるんですよ。真面目に熟読している訳ではないのですが、枕元に置いて今日の反省、明日のアドバイスということで、例えば今日だったら6月21日のところを開いて、その1ページ分を読むのです」

「そういうふうに中国の古典を利用している方が、こんな身近にいたとは……」

女性

「たまに、ぴったりのアドバイスになることもあるんですよ」

「そういった古典は中国の春秋戦国時代の約500年間で多くが生み出されています」

女性

「その時代に集中したのは何故なのですか?」

「2つの理由があって、1つは春秋戦国時代というのは、各国が覇権を争った時代ですが富国強兵のための考えが求められたというのと、もう1つは、その後は統一王朝が次々と誕生しますが、基本的に言論弾圧をします」

女性

「新しい考え方が出にくくなってしまったのですね」

「一番有名な話が隋の始皇帝による「焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)」です。実用書以外の本を焼き捨てて、儒教の学者百数十人を生き埋めにして殺してしまいましたからね」

女性

「凄まじい話ですね」

「一般的に複数王朝の乱立期には、富国強兵のための施策ということで言論活動が活発になるのですが、統一国家、統一王朝が成立すると言論弾圧が起きています」

女性

「だから、今の中国の状態は、中国史の流れだけを見れば、別におかしなことではないということですね」

「彼らの感覚からすると、香港の言論統制は当然なんです。だから、日本も含めて西欧人は何を言っているのだろうという感じだと思います」

女性

「テレビに映る中国の報道官は、お前らの頭はおかしいのではないか、という表情をしていますものね」

「話が合わないし、価値観を共有できません。どうすれば良いかという問題になっています。ここからが本論です ↓」

 性善説から性悪説、そして法治主義が生まれる

孔子、孟子、荀子(じゅんし)、韓非子(かんぴし)の思想が順番に出てきますこれがある意味、象徴的かもしれないと思っています。つまり、人に対しての見方が、信から不信、そして罰則へと発展しているからです。実際の中国社会において、様々な考えのもと多くの実践が行われ、さらにそれに基づいて考えの修正が行われたことでしょう。順番が大事と言ったのは、そういうことです。

孔子は儒家の祖ですが、彼の考えは、ある意味理想主義的かもしれません。孔子が説いたのは仁と礼です。仁と言うのは、心のあり様(よう)を表します。人への思いやり、人への愛ということです。礼は行いも含めて、外見を整えることです。そういった2つのことを指導者も民衆も行えば、国は自ずと治まると説いたのです。

孔子はそのような考えを採用して欲しいと思い、諸国をまわり仕官を試みますが、どの国の王もその考え方を採用することはありませんでした。簡単に言えば、人間の見方が甘すぎるということでしょう。あなたのような甘い見方では、とても国を統治などできません、と諸国の王は語ったことと思います。民族の特性や品性は、わずか2000年くらいで変わるものではありません。今の中国を見ていれば、諸国の王の考え方の方が正しいと思います。

(「二宮&山川 ICTライブラリ」)

 孟子の「易姓革命」の論理がもっともらしく使われている

その孔子の仁の教えを受け継いだのが孟子ですが、彼は人間は生まれながら善なる人間であるといった性善説を唱えます。ただ、孟子は易姓革命を唱えるのですが、この思想がその後の中国で都合よく使われていきます。これは指導者に人徳がない場合は、天の命に従ってその者を交代させても構わないという理屈です。ちなみに、日本では、この思想は危険思想ということで、入らないようにしたのです。

易姓革命は、思想というようなものではなく、単なる屁理屈であり方便です。ただ、孟子が唱えたという冠が付いた瞬間に思想となり、権威が出ただけです。これが企業の乗っ取りに使われたりするのです。中国に進出して企業経営が軌道に乗り始めると、ターゲットにされることになります。経営者を交代させることによる乗っ取りの時の理屈が、この易姓革命です。

今はメディアが発達しているので、中国の報道官の表情や言葉を直接聞くことができますが、彼だけが特殊ではなく、中国ではあの報道官の言い方や表情、考え方が標準だということを中国に進出する日本企業はよく自覚をした方が良いと思います。

 (You Tube)

  日本のヤオハンは、何の心構え的な準備もなく中国に進出して、結局破綻をする

もともとこの会社は、明治の時代の青果商「八百半」が出発点です。業務拡張の末、1973年には(株) 八百半デパートにまで成長、1982年には名古屋証券取引所第二部に株式上場します。さらに、1988年にはヤオハン香港が香港証券取引所に株式上場、11月には(株)杉山商事を吸収合併、1989年にはヤオハン・インターナショナル・ホールディングスを設立します。資金調達をして、カナダやイギリスにも出店をします。1994年にはヤオハン・インターナショナル・ホールディングスが香港証券取引所に株式の上場が行われます1995年には、アジア一の巨大百貨店、上海第一八百半百貨店の開店となります。そして、翌年の1996年に国際流通グループ・ヤオハンの総本部を上海に移転します。ここから、暗転が始まります。

何があったか、その詳細は当人たちでないと分かりませんが、ヤオハンの店舗は静岡県内を中心に最盛期は57店舗ありました。その店舗のお客さんのことだけを考えていれば、経営破綻はなかったと思われます。結局、1997年に事実上の倒産をし、2011年には最後の「ヤオハン」の店も「マックスバリュ」となり、「ヤオハン」の屋号もこの地上から姿を消すことになります(ヤオハンについての情報は「ウィキペディア」による)。上海に総本部を移転した翌年に倒産です。金融業ならともかく、物流業です。それこそ10円単位のモノを扱うような会社、確かにホールディングスにしたと言われれば、それまでかもしれませんが、何をどうすればそんなに短期間で倒産するのか、というのが疑問として残ります。

黄文雄氏は『崩壊のシナリオ』の中で「中国に進出して企業経営がうまくいくと、逆に危険が高まる。企業の背後にある力を見計らって、スキあらば乗っ取ってやろうと考えている輩がいくらでもいるから、気がついたら中国のものになっていたという事態がしばしば起こる」(62ページ)と言っています。

例えば、トヨタのような巨大企業で本社が日本にあれば乗っ取ることなど出来ないし、彼らも考えることをしませんが、ようやく香港の株式市場に上場できる程度で、しかも中国に総本部を移したとなれば狙わない方がバカということなんでしょう。それが、彼らの感覚だということです。

彼らにとっての『三国志』の世界が、舞台を移しながら、現在もなお続いているということです。くれぐれもご用心を。


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