「前回、統帥権の干犯問題を取り上げましたが、大変な問題だったというのが分かりました」
「高校の日本史では、習わなかったのですか?」
「言葉は習ったと思いますが、余り良く意味が分かってなかったような気がします」
「山川の日本史を見てみたのですが、軍縮条約に調印をし、それに対して干犯問題ということで攻撃を受けたが、政府は枢密院の同意を取り付けて条約が批准され、それが浜口首相の狙撃事件を呼んだという記述の仕方です」
「その記述から、昨日のように戦争開戦や陸軍と海軍の対立まで関連付けることは難しいと思いました」
「だけど、そう考えることによって、統帥権問題は重要な問題だと改めて思ったでしょ」
「そうですね。明治憲法の解釈とも関わっているのですね」
「だから統帥権問題を中心に据えて、そこから明治憲法の発布から終戦まで、一つの軸にして説明することができます。ついでに言うと、日本はヒトラーのドイツと同盟を組みますが、陸軍が推進して、海軍は反対したのです」
「軍部が割れていたのですね。そういうことは教科書には書かれていませんでした」
「実は、本当はそういうところを細かく分析してこそ、教訓にすべきこと、学ぶべきことが出てくるのです」
「司馬氏はどうだったんですか?」
「彼は嗅覚も鋭いですけど、細かくよく調べています。彼の明治憲法の解釈は、下手な憲法学者より正確なのではないかとさえ思っています。何しろ、彼の蔵書は6万冊あったそうですからね。小説を書く時に、背景になった時代を徹底的に調べるため「古書店から関連する本が消える」(「日経」2022.1.1)とまで言われたようです」
「そういう方に教科書を書いて欲しかったですね」
「学者が寄り合い所帯で書くのも良いのですが、それだと教科書を読んでも流れが上手く掴めません。分かった人が通史を書くというのが良いと思います」
「検定を通らないのでは?」
「検定はもう無くしても良いのではないかと思います。現場で採択すれば良いと思います。今は、共通テストがありますので、それで歯止めになると思います。競争原理が働いて良いものが出来る可能性もあります」
「そうかもしれませんね。ここからが本論です ↓ なお、表紙のイラストは、ピクシブ百科事典の提供です」
「万世一系の天皇が統治する」――この解釈をめぐって3つの説あり
明治憲法の第一条は「大日本帝国は、万世一系の天皇が統治する」です。この「統治」をどう解釈するかをめぐって、3つの説があります。左翼の憲法学者たちは、天皇の戦争責任を言いたいがためなのか、天皇を国家の「枠内」に入れた存在と捉えた上で、主権説、機関説に分かれます。主権説が主流で、教科書には日本国憲法との比較表にして載せられることが多いと思います。ただ、明治憲法は主権という言葉を一度も使っていません。
主権という言葉は、階級国家を前提とし、国民と国家にどちらが最終的な政治権限があるのかという考えのもとで使われる言葉です。
機関説というのは、天皇機関説のことで美濃部達吉によって説かれました。もともとはドイツ法学で専ら説かれた国家法人説を日本に当てはめようとして編み出した学説です。
いずれも、天皇を国の最高責任者として捉えます。ただ、それは日本のそれまでの統治のあり方とは違います。皇室は日本の重鎮の役割を果たし、実際の政治は時の権力者が動かしてきました。権力と権威を分けるスタイルは7世紀の天武天皇の頃に成立したと言われています。明治維新があり、大政奉還で江戸幕府から朝廷にいったん権力が返還されますが、それを今度は内閣の各大臣に委任をします。その下りが第55条です――「国務各大臣は天皇を輔弼し其の責めに任す(ず)」。委任の中に、統帥権が入っていたことは、前回のブログで書いた通りです。
(「ホリショウのあれこれ文筆庫」)
日本の古来の統治 —— 西洋近代法で説明する言葉がない
日本の王朝は世界最古です。そして、現在も続いています。日本の場合は、どこの時代を切り取っても日本だということです。例えば、中国は現在は漢民族が統治していますが、清は満州民族、元はモンゴル民族が統治していました。そのため、法的根拠について歴史を遡ることは出来ません。ところが、日本の統治の基本的な考え方は、近代西洋法学が成立するかなり前の7世紀に成立していますので、近代法の概念で日本の統治を説明する言葉がないのです。
天皇は国家という体制には組み込まれない存在ということで、それを「国体」という言葉で表現したのですが、それの翻訳語はありません。明治憲法の起草者の一人の金子堅太郎はその辺りについて「外国人には国体と云う文字の真髄は分らない、何となれば2500年以上も万世一系の天皇が連綿として君臨せられる国は世界広しと言えども何処にもない。随って欧米の政治学者、憲法学者の頭には国体という文字の分る筈がない」(金子「帝国憲法制定の精神」)と書いています。
(「平成寺子屋 桜下村塾」)
国体は「シラス」、「ウシハク」によって説明できる
「シラス(治す)」と「ウシハク(領く)」は『古事記』の中で使われています。天照大御神が遣わした神が大国主命に「汝がウシハケル葦原の中つ国は、我が御子のシラス国である、と任命なさった」と言う下りがあります。現代語訳しますと、そなたが治めている葦原の国は、本来的には私の子供が治めるべきであるので、それを子供には伝え、そしてそのことをそなたにも伝える。何か異論はあるか、と聞く場面です。
大国主命は出雲に宮殿を建て、国土建設に邁進し、その努力が実って大変な賑わいとなります。その評判が天照大御神のもとにも届くようになり、それではということで自分の子供を派遣することにします。そこで使いの神が行って説得するのですが、なかなか上手くいきません。
大国主命は命を狙われたこともあり、様々な苦労を重ねていますので、はいと素直に言えません。ただ、最後には出雲の国を譲るという話です。多分、何らかの史実があり、統治のあり方とともに、それを神話のかたちにして後世に遺そうと考えたのだと思います。
「シラス(治す)」と「ウシハク(領く)」は言葉を換えると「権威と権力の分離」ということです。これは日本人の叡智です。仮に天皇が権力者として君臨していたならば、どこかで攻め滅ぼされていたでしょう。政治に直接関わらないという立場故に現在まで皇統が続いたのです。そして、シラス、ウシハクについて中学の公民教科書できちんと書いているのは、自由社の『新しい歴史教科書』だけです。
(「ニホンタビ」)
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