
「今日は「国体」という観点から見ていきましょうか? そもそも「国体」とは何ですか?」

「国体とは、「国家体制」の意味ですから、天皇をシラス者として立てながら、ウシハク者が国を治める体制のことを言います。「国体」=天皇制ではありません。また、皇統が確立していることと国体が護持されていることは別です」

「シラス者というのは、シンボルとは違いますよね」

「字が違うということは、意味が違うということです。国政にどの程度関わるかが一つの試金石になります」

「全く関わらないのか、重要な事柄について関わるのかといった理解でよろしいですか?」

「概ねそれで合っています。「シラスーウシハク」態勢というのは、権威と権力の分離体制ですが、それをシステムに落とし込んだのが律令制の「神祇官―太政官」の二官八省体制です」

「大宝律令の時代ですか?」

「そうですね、8世紀から始まり江戸の幕末まで、約千百年間存続しています」

「神祇官、太政官自体は明治時代まで存続しますよね?」

「その精神・考えが引き継がれたかどうかは、帝国憲法を分析すれば分かりますが、結論から言いますと、引き継がれていません」

「ということは、国体はその時点で瓦解したということですか?」

「そうですね。その見方で良いと思います。ここからが本論です ↓」
イギリス憲法か、ドイツ憲法か――論争自体が間違い
新しい憲法を策定するにあたり、イギリス流の憲法なのか、ドイツ流の憲法なのか、どちらを模範とすべきなのかをめぐって論争が行われます。「明治14年の政変」と呼ばれていますが、結果的にドイツ派がイギリス派を追い落として決着となりますが、そもそも論争自体が間違っています。日本の憲法を考えるならば、十七条憲法やそれまでの律令制度、法令を中心に考えるべきです。明治の為政者たちは、頭の中も含めて全身西洋にかぶれてしまっていたため、思考力が無くなっていたのではないかと思っています。
ドイツ派の中心人物が伊藤博文ですが、彼は当時要職の身でありながら、伊藤巳代治と共にドイツに渡ります。そこで師のシュタインから日本の古典から学ばなければいけないというアドバイスを受けます。盲点を突かれたと思った彼は、帰国後に『古事記』や『日本書紀』などの古典を調べ、「シラス」という日本独特の概念を知るに至ります。そのため帝国憲法の当初の条文は「万世一系の天皇は之を治(しら)す」(第一条)だったのです。
ところが、当時の法顧問のロエスレルから「シラス」は法的概念ではないと言って反対されます。結局、「統治」という言葉が採用されます。字としてそれを使うが、「意味はシラスだということを語れば良いではないか」と説得されます。反論するバックボーンがないという悲しさ故に、そのまま押し切られてしまいます。

(「まなれきドットコム」)
「シラスーウシハク」は権力と権威を分離する意味
「シラス」は天皇が鏡のように天下を安らかに見守る、祭祀に基づいた「権威」の行使です。一方、「ウシハク」は豪族や民を統治するための「権力」行使を意味します。律令制において、祭祀を司る神祇官を、行政を司る太政官の上に(あるいは並列に)置いた「二官」体制は、まさに「シラス」という祭祀的権威が、世俗的な「ウシハク」政治権力よりも上位にあることを構造化したものと言えます。
神祇官が司る祭祀こそが、天皇が「シラス」ための正統性の源泉でした。太政官が実務的な統治(権力)を担い、神祇官がその根源にある神意や伝統(権威)を担保するという分離構造は、他国には見られない日本独特の知恵の結晶とも言うべきものです。
この「権威と権力の分離」があったからこそ、後の武家政権(鎌倉・江戸幕府など)が実権を握っても、天皇という「シラス」権威が否定されずに存続し続けました。明治期に『国体の本義』が編纂された際も、この「シラス」という言葉が、西欧の統治概念とは異なる日本独自の主権のあり方として再定義されました。まさに、二官八省制は「シラス(神聖な権威)」によって「ウシハク(世俗の権力)」を包摂・正当化する、日本の国体(ナショナル・アイデンティティ)のOSのような役割を果たしていたと言えるのではないでしょうか。

(「絆すてーしょん」)
国体は明治憲法制定時に瓦解していた
伊藤博文による解説書『憲法義解』では、第1条の「統治」について「シラス」の語を用いて説明しており、精神面では意識されていました。しかし、実務(ウシハク的権力)を担う内閣や議会の位置づけが「天皇を輔弼(サポート)する」という曖昧な表現に留まったため、結果として「権力(実務)」の所在と責任が不明確なシステムになってしまいました。憲法で重要なことは、代表者と責任者を決めることです。代表者が天皇であることは分かります。肝心の責任者についての規定がありません。内閣の規定も総理大臣の規定もないのです。
要するに、明治憲法第4条で「天皇ハ統治権ヲ総攬シ」と規定し、シラス者である天皇にウシハク(統治権)まで直接持たせてしまったのです 。これにより、両者の境界線が消滅してしまいました。伝統的な国体の「実質的な終焉(または変質)」、つまり瓦解があったのです。
明治の為政者は、国体という言葉を使いながらも、中身を西欧の「主権(Sovereignty)」に置き換えました。シラスという「状態」を、ウシハク的な「支配権」として法制化したことで、伝統的な国体は近代国家の「OS」に強引に書き換えられ、原型を留めなくなった(=瓦解した)と言えます。
その後、1937年に『国体の本義』が発行されますが、「憲法制定によって失われた(瓦解した)国体」を、精神論やイデオロギーで無理やり再構築しようとした「後付けの接ぎ木」だったことが分かります。「接ぎ木」をして上手く根付かなかったのです。そのため、ここに来て世界的に見ても異常な「少子化」が進行しているのです。

(「www.amazon.co.jp」)
読んでいただきありがとうございました。
よろしければ「ブログ村」のクリックをお願いします。
↓