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「近代史観」の陰で忘れられた江戸という成熟社会 ―― 言語改革がもたらした文化的断絶を問い直す / 「江戸」再考の時代

  • 2026年2月14日
  • 歴史
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「ディスカバー江戸時代ということで、今日は話をしたいと思います」

女性

「急に時代が遡りましたね。どうしたのですか?」

「江戸時代を見直そうという動きが実はあるのです」

女性

「そうなんですね。NHKの2025大河ドラマの『べらぼう』がきっかけですか?」

「単純にそういうことではありません。もう少し深いところで起きてきた動きです。実は江戸ブームは今まで何回かあったそうですが、今回のブームは本質的なもののような気がすると、ある研究者は言っています」

女性

「江戸時代をあらためて見直そうということですね。確かに、私の中に、明治が近代の夜明け、江戸時代はその前の「漆黒の闇の中」みたいなイメージがありますものね」

「司馬遼太郎の『龍馬が行く』では「さあ、これからが日本の夜明けだ」みたいなセリフを龍馬に喋らせていますからね」

女性

「幕末から明治維新期を舞台に司馬さんが多くの小説を書いていますよね。その影響が結構強いと思います」

「それはあるでしょうね。彼は好意的にその時代を描いていますからね。ただ、晩年は少し考え方を変えたと見ています。そして、もっと江戸時代を世界の人は研究して欲しいですねと言っています」

女性

「そうなんですね。ここからが本論です ↓ 表紙はお馴染み葛飾北斎の絵ですが、「はたのオンライン教室」の提供です」

 近代という絶対価値と「江戸」の過小評価

明治維新以降の中央集権国家が、かたちを変えながら続いています。三権以外に教育、外交、財政といった主要権限すべてを中央に集中した国家をつくった結果、それ以前の江戸時代は「アンシャンレジーム(古き体制)」として葬るべき存在という見方が主流となりました。

確かに、「近代的」という言葉がマイナスイメージで語られることはありませんでした。「近代的な建物」と言われれば、それは褒め言葉になります。近代的という絶対的価値を基準に江戸を眺めると、江戸は非近代ということになり、“遅れた時代”“非生産的な社会”といったイメージで語られがちになります。

しかし、そのような視座は本当に妥当なのでしょうか。近世文学研究者の中野三敏氏(九州大学名誉教授)は講演の中で「僕らみたいに江戸が好きでやっていると、なんだか申し訳ないみたいな。本当にやってて良いだろうかというぐらいの気持ちを常に持たされてきた」と述べています。研究者自身も無意識のうちに、江戸は遅れた時代という観念を持っていたということです。近代史観がいかに強固であったかを物語る証言です。

(「ナゾロジー」)

 成熟した文化国家としての江戸

中野氏は「文化が成熟する一つの一番良い例が、江戸時代」と指摘します。江戸時代は17世紀から19世紀まで、約260年続きました。17世紀が元禄文化、18世紀が宝暦・天明期の文化、19世紀が化政文化と、様々な文学、芸能、学問、建築物などが次々と生み出されていきます。“文化的暗黒時代”という言葉があるように、時間が積み重なれば文化が生まれる訳ではありません。経済的・精神的余裕があり、地域の共同体が機能して、社会全体の統治が上手くいっていなければ文化は生まれません。これだけ多彩な文化を輩出できた時代だったということです。

17世紀の元禄文化の中心は関西の上方ですが、井原西鶴の小説、松尾芭蕉の俳句、近松門左衛門が歌舞伎や人形浄瑠璃の脚本家として登場します。浮世絵がすでにこの期に書かれていますが、当初は墨摺に手彩色でしたが、色刷り技術を中国から学び、18世紀半ばには錦絵(多色刷り)が確立しました。

また、江戸時代は日本の古典が保存・整理された時代と言えます。古典は大切だということで、江戸以前の文学がこの時代に1回綺麗に写し直されています。当時は写本なので、写し手によって微妙に内容が変わります。中には、勝手に文章を付け加える人がいるからです。だから、どの写本がどこにあるのかということまで管理したのです。例えば、『源氏物語』の写本が800点位あるのですが、その保存場所まで冊数も含めてきちんと記録されていたのです。『徒然草』、『古事記』といった江戸時代以前の古典が読めるのは、このような努力のお陰です。『徒然草』は中世の古典ですが、一般の庶民が読むようになったのは江戸時代からです。

出版業は17世紀に京都で始まり、全国に拡大しました。例えば1808年には江戸に貸本屋が656軒あったという記録があります。当時の貸本屋は本の販売もしていました。出版も旺盛であったと同時に、それだけの需要があったということは、識字率も高かったのでしょう。江戸社会は「停滞」ではなく、「文化的蓄積の時代」だったのです。

(「ゆみねこの教科書)

 和本リテラシーの断絶と近代教育

奈良朝の時代から江戸期までに成立した書物は150万点と推計されています。そのうちの9割が江戸時代に出来たものですが、それらはすべて、変体仮名と草書体漢字で書かれています。ただ、それを原文のまま読解できる人が限られています。2千人~4千人位ではないかと言われています。読解する能力を「和本リテラシー」と呼ぶそうですが、神田の古本屋街を歩くと、和本を扱っている店が結構ありますので、まだまだ読める方がいるのだなと思っています。

ただ、和本どころか、明治初期の文章でさえ現代人は容易に読みこなせません。例えば福沢諭吉の『学問のすすめ』の原文をスラスラ読める人は少ないと思われます。そういった教育を受けていないからですが、わずか150年前の文章が読めないというのは少し考えると変です。これは実は人為的な力が働いていると見ています。

明治維新はそれまでの日本文化をある意味、全面否定した革命的事変です。「神武創業」「王政復古」と言って合意をとりつけておきながら、結局、諸藩の武士たちを裏切って薩長の独裁体制の下、西洋の“猿真似国家”路線をひたすら歩み始めたのです。日本でない国の物語が始まった瞬間だったのです。それ以前の記録を消し去るためにはどうすれば良いのか。今まで書かれた文章を読めなくするために、「国語」という教科を創設して、“標準語”を活字で教えるプランを思いついたのです。普通は「日本語」が教科名になるべきですが、明治の為政者はそのような思惑から「国語」としたのです。その「国語」を約150年間学び続けた結果、日本人の多くは明治維新以前の書を原文で読めなくなってしまいました。つまり、先人と直接対話する術を無くしてしまったのです。

(「古本買取の古本屋/だるま書店」)

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