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藩閥政府の統治プログラム (3) ―― 大局観なき戦いの末路  / 日清戦争の結果、ロシアが極東に進出する

  • 2024年6月15日
  • 歴史
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女性

「前回のブログで朝鮮や中国への対応を問題視しているように思えましたが……」

「日本の軍事ファシズムが朝鮮や中国に高圧的になったり、攻め入ったりと捉えている方が結構多いと思いますが、実はそうではないと思っています」

女性

「結構、早い時期から威圧的だったのですね」

「朝鮮や清を見下しながら、その領土に土足で入り込んでいったのです」

女性

「ロシアの南下政策を防ぐためであり、朝鮮半島は日本の生命線であったというのが今までの日本の主張だったと思います」

「苦しい言い訳です。敢えて弁護するならば、当時において植民地経営は国際的に合法でした。そこが現代と違うところです。そして、欧米列強の圧迫を今以上に感じていた時代だったと思います」

女性

「国と国との関係が、秩序があってないような時代だったということですね」

「だからと言って何をしても良い訳ではありません」

女性

「もう少し自制心があったら良かったということですね」

「日清戦争に勝った後の条約交渉で当時の日本が何を考えていたのかが分かります。勝ったということで気が緩んだのか、過大な要求をしています」

女性

「台湾や遼東(りゃおとん)半島を要求してはいけなかった、ということですね」

「その時にそこまで要求しておいて、後になって大東亜共栄圏と言っても説得力はあまりないということです」

女性

「だけど不思議ですね。台湾が日本の植民地になったことで、今の台湾があるということですよね」

「まあ、そうですね。現在の一つの「焦点」になっていますからね。ただ、当時の清は厄介払いのような感覚で台湾を日本に割譲しています」

女性

「それはどうして分かるのですか?」

「台湾は化外の地という認識だったので、彼らは関心を持っていませんでした。そんなことから、清の李鴻章があそこは大変な処、日本は苦労するだろうと言ったそうです」

女性

「ここからが本論です ↓  表紙写真は「世界の歴史まっぷ」提供です」

 日清戦争の結果、ロシアが極東に進出する

当時の国際社会は弱肉強食時代です。相手が弱いと見ると、嵩(かさ)に懸かって攻めてきますし、何か自分たちに不都合なことがあれば威圧をしてきます。遼東半島は渤海の入り口の処に位置する要衝です。そこを抑えられると、極東地域への展開がしづらいため、ロシア、ドイツ、フランスが遼東半島を返還するように圧力をかけてきました。世に言う「三国干渉」です。

遼東半島を日本が要求したのは、旅順口の戦いによって清軍を遼東半島から放逐したからです。もともと日清戦争の目的は朝鮮独立だったはずです。朝鮮と清の国境は鴨緑江によって仕切られています。日本軍は鴨緑江を渡ってなお、清軍と戦ったのです。戦争をする場合、どこまで戦うのかという戦略が必要です。そうでなければ、限りなく戦うことになりますし、無駄な戦いをすることもあるからです。

遼東半島を清から手に入れると、間髪を入れずに三国干渉が行われ、日本は遼東半島を返還します。すぐにロシアは日本の「不当な要求」を食い止めた見返りを清に求めます。そして、満州や朝鮮半島に自国の軍隊を侵入させます。何のことはない、戦争に勝ったものの、最大の目的の朝鮮の独立が果たされず、戦わずしてロシアは漁夫の利を得たかたちになったのです。戦略なき戦いをするから、そうなってしまうのです。


(「Quizlet」)

 日英同盟が結ばれる

日清戦争、そして三国干渉が行われ、日本は軍事優先の考え方に急速に傾いていきます――「何を以ってか、列国間に立ち、その権利を主張すべき。曰く、国際における最後の雄弁は武力なり。列国としての最首の資格は武装なり。今後の日本は第一に、大いに武装して‥‥」(『国民新聞』1895、6/1日付)。武力と武装のオンパレードの文章になっています。

当時、その国を支配するための手段として、鉄道と電信が重視されました。鉄道によって兵員や物資を迅速に運ぶことが出来ますし、情報を正確、かつ大量に得るために電信網は重視されたのです。鉄道敷設距離のデータがあります。下の表です。ロシアが清国内に敷設した鉄道が群を抜いていることが分かると思います。それも含めて、清は日清戦争を境に一気に欧米列強の帝国主義の標的となり、半植民地状態になったのです。

 

 国名  鉄道敷設距離(1904年時点)
ロシア 2,795キロ
イギリス 1,052キロ
フランス 526キロ
ドイツ 433キロ
清国営鉄道 514キロ

 

ただ、これらの鉄道はやがて中国に帰属することになります。屈辱の時代があったものの、結局ただで鉄道を諸国に敷いてもらった格好になりました。

三国干渉の後、ロシアは予定通り遼東半島に進出し、大連・旅順の租借を清に要求します。そういった状況を見てイギリスが動きます。イギリスは長江流域から香港にかけての太平洋に面した一帯を抑えていたのですが、満州を狙っているロシアと朝鮮を支配する日本が同盟を結ぶことを恐れます。背に腹は代えられないということで日英同盟(1902)が結ばれます。イギリスがアジアの国と最初に結んだ同盟です。日本を信頼してというレベルの話ではなく、戦略上必要と判断して、日本と同盟を結んだだけです。

 

 大局観なき戦いの末路

肝心な朝鮮半島はどうなったのでしょうか朝鮮国内では、開国派(親日派)と攘夷派(親清派)の対立があり、日本は前者の後ろ盾になっていたのです。三国干渉を受けるような状況下では、朝鮮に日本の軍隊を大量に配備することは不可能となりました。後ろ盾が弱くなっていたのです。日本からは井上馨(かおる)が公使として派遣されていたのですが、上手くいきません。行き詰まりを感じた彼は、日本に帰ってしまいます。その代わりに公使として来たのが陸軍少将・三浦梧楼(ごろう)でした。

その三浦梧楼が朝鮮政府の軍事顧問官の楠瀬(くすのせ)中佐とともに、京城守備隊を動員して王宮に乱入をして朝鮮皇后の閔妃(みんび)を殺してしまいます。あまり日本では知られていない事件です。何故、このような行為に及んだのか。南下政策をとるロシアと日本との主導権争いに巻き込まれたのです。閔妃がロシア側に傾いていったという判断による狼藉です。皇帝は暗殺に加担した朝鮮人3人を処刑にします。軍人は軍法会議にかけられますが無罪となり、それに加担した民間人48人は日本で裁判に懸けられますが、全員証拠不十分のため無罪となります。

そして、その事件の3か月後に朝鮮国王の勅命ということでロシア海軍が王宮に乗り込んできます。前総理の金弘集と農商工大臣の2人が殺されます。ロシアが狙った者は、日本軍と親交があった者だったのです。日本人と親交があった者は悉く排除されていくことになります。

教科書には日清戦争に勝利をして素晴らしき日本という色調で文章が書かれていますが、戦略的には失敗です「戦争とはただ勝てばよいというものではない。一見傍観者と見える帝国主義諸国が、戦争の結果によりどう動くかを計算して戦争するというのが、帝国主義戦争の大きな特徴である」(星野芳郎、前掲書)。表面的な勝ちにこだわり、結局多くのものを無くすことになったのです。目先の駒にだけ気を取られ、大局観に基づいて駒を動かすことが出来なかったのです。実は、その弱点はその後も引きずることになり、ついには究極の敗戦を迎えることになるのです。

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