ようこそ日本の危機へ!このブログでは主に最新のニュース、政治、教育問題を取り上げております。

「天皇」の呼称について ―— 「大君」から「天皇」へ / 「天皇」の名称は中華圏からの独立を意味していた

  • 2023年3月4日
  • 2023年3月4日
  • 歴史
  • 153view
女性

「前回の話の続きですが、日本も朝鮮もお互いが無礼な国だと思っていたのですね」

「半島との外交史を調べると分かるのですが、何故か論点がずれながら、対立をするという関係が多いと思います」

女性

「宗教的な原因があるのですか?」

「朝鮮は儒教体制を敷いていました。日本はそうではありません。彼らからすると、野蛮な人たちとして写ったと思います」

女性

「あと思うんですけど、彼らは何かと日本と自分たちを比較してモノを言うところがありますよね。あれは、何なんですかねぇ」

「北朝鮮も韓国も、確かにそういうところがありますよね。反日が一つのメルクマールになっています。やはり、半島を統治していたということからくるものでしょうね」

女性

「ということは、それ以前はなかったということですか?」

「いえ、江戸時代の朝鮮通信使が書いたものが遺っていますが、日本に対する侮蔑感をもっていたことが分かります」

女性

「当時の江戸は人口100万人の町として、かなり繫栄していたと思いますが、……」

「逆に、悔しい思いが募ったのでしょう。ケチをつけるような感じで書いています。中華文化圏の中にあることのプライドと不満が入り混じった複雑な感情を、自由に振舞っている日本にぶつけている感じですね」

女性

「そう考えると、日本海の存在が大きかったのですね」

「大陸や半島からのあらゆる攻撃を受けずに済みましたからね。精神的にも、大きなものがあったと思います。そして、それを利用して天皇という位を中国に知らせたのも大きかったでしょうね」

女性

「その2つですね。ここからが本論です ↓」

 「大君」から「天皇」へ

現在の天皇陛下は126代目ですが、当初から天皇という呼称ではありません。日本の古代においては、「大君」でした。君というのは敬称ですが、それに大をつけたというシンプルなものです。

天皇という呼称については、欽明天皇の頃ではないかという説もありますが、一般的には、推古天皇(在位592-628)の時代からだろうと言われています。

その時代は、大陸では隋が統一王国を築き、半島は親日的な百済が新羅に圧迫されているような状況でした。日本国内も蘇我氏と物部氏の対立もあり、国内外が揺れ動いていた時期でした。

(「産経ニュース」)

 情勢が不安定な時に「天皇」を認めさせた

当時の日本には、中国からの情報や教養がさまざまな形で入ってきていました。宇宙における最高の統治者が中国の皇帝であるという考え方は日本にも伝わっています。隋が南北朝を統一したのは589年です。統一したばかりの頃は、何かと不安定要因が残っています。それをチャンスと思ったのでしょう。

自分の国の独立性を示すために国書を送ります。その国書の内容は、『隋書』倭国伝に載っています。「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙(つつが)無きや」という手紙を送ります。お元気ですか、という挨拶文ですが、それを読んだ隋の皇帝の煬帝は「礼儀を知らない野蛮な国」というようなことを言ったとのこと。有名なエピソードです。高校の日本史教科書にも載っています。

日本側はそう思われるだろうことは充分計算済みだったのです。とにかく、中国の皇帝に国書を送って、受け取ってもらったという事実だけが欲しかったのです。中国から見れば日本はとんでもない国だと思ったでしょう。「皇」の字を使おうとしている。日本海がなければ、日本を攻め滅ぼすことを考えたと思います。しかし、それは当時は物理的に不可能だったのです。それを見越しての手紙だったのです。

(「Wikipedia」)

 「天皇」の名称は中華圏からの独立を意味していた

「天皇」という名で国書を隋に送った意味は、2つあります。1つは、中華の支配圏から日本は離脱するという意味があります。中国は衛星国に対して「王」という呼称を送っていたのですが、それを拒絶するという意味があったのです。独自の道を行くという独立宣言でもありました。

そして、「天皇」という名で国書を中国に送ったという事実だけが半島の国々に情報としてもたらされます。「何を馬鹿なことを」と思ったでしょう。そして、その一方で羨望の気持ちもあったと思います。当時の朝鮮半島情勢は、かなり複雑なものがありました。高句麗、新羅、百済、加揶(任那)といった国々が覇権を競っていました。加揶は日本の植民地域、百済は親日ですが、他は反日です。

多分、日本が畏れたのは、半島の国の日本本土への攻撃です。確率的には低いものの、用心をしていたようです。国書を出した事実は、そういった彼らにプレッシャーをかける役割を期待したのだと思います。中国の威厳を借りて、日本を守るという突飛な発想が危機的な状況下で出されたということです。

現在の日本もかなり危機的な状況が広がっています。子どもがナイフを振り回すというのは、一つのシグナルです。先人の叡智を見習って、良きアイディアを捻りだす時代なのかもしれません

(山川&二宮ICTライブラリー)

読んでいただきありがとうございました。

よろしければ「ブログ村」のクリックをお願いします。

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ
にほんブログ村

最新情報をチェックしよう!
%d人のブロガーが「いいね」をつけました。