「ウチの会社で女性が1人取締役に選ばれたそうです。会社の歴史が始まって以来と言っていました」
「最近の流れですよね。1部上場会社は女性取締役を1人は入れないといけないような雰囲気が作られつつありますよね。これであなたも取締役への道が開かれましたね」
「私には合わないと思っていますので、関係のない話かなって思っています」
「本当は、そういう無欲で全体を見渡せる人が経営幹部に入ると良いのではと思っています」
「女性はどちらかというと、目先のことを気にするので、男性がやれば良いと思っているタイプですね」
「日本人女性の典型的な考え方ですね。若いのに、珍しいですね」
「ただ、ここ10年位ですよね。多分、ジェンダー平等という言葉とともに女性活躍社会とか言われるようになったと思います」
「1999年に男女共同参画社会基本法が成立しています。その辺りからでしょうね」
「言っていることは分かりますが、女性には子どもを産み育てるという仕事がありますからね」
「そうですね。それを男性にも分担してもらおうということで男性が育休を取れるようになりましたよね」
「かつての時代を考えれば、驚きですよね。出来れば、もう少し早くそういう流れが来ると良かったですよね。もう小学校の高学年ですからね」
「私の息子も今現在育休を取っているのですが、6割支給と言っていますね」
「結構、それは恵まれている方だと思いますよ。ここからが本論です ↓ 表紙写真は「スマカン」の提供です」
日本と大陸では、男女の役割分担の考え方が違う
形式的平等イデオロギーとも言うべき状況が広がっています。農耕民族としての歴史がある日本は、男性と女性について性別役割分担の考え方で国をつくってきました。農耕や漁業をする上で定住をし、家をその近くに構え、家事を男女で役割分担するのが合理的です。
一方、大陸の狩猟民族は獲物を取るために移動生活が基本となります。集団で移動し、集団で協力して獲物を取ります。獲物を取る人は、能力によって選ばれます。女性でも男性顔負けに獲物を取ることができた人もいたと思います。当然、そういう人とは行動部隊に入ることになります。
日本では自然性による役割分担となり、大陸では能力別の役割分担となったので、ジェンダーという概念が自然に受け止められていったのだと思います。
(左が形式的平等、右が実質的平等「Twitter」)
女性の割合比率を上げたからと言って、パフォーマンスが上がる訳ではない
今日の『日経』(8/26日付)で「女性議員、46都道府県で増」という見出しで1面トップで報じています。2019年末と比べて一番上昇した県が香川県と静岡県の4.9ポイントということです。
市町村議会の中には、過半数が女性議員というところもあるそうです。その一方で、200を超す地方議会で女性がゼロというのが現状だそうです。
会社の取締役もそうですが、議会の女性議員のパーセンテージを上げようとしていますが、割合を上げたからと言ってパフォーマンスが上がる訳ではありません。それぞれの企業、そして自治体の状況があり、それを見て様々な動きがあり、その結果を受け止めるしかないと思います。ヨーロッパの国と数字を比べて論評しても意味がありません。もともと、国づくりの考え方が違うからです。出発点が違うので、パーセンテージを比べれば低いのは当たり前のことです。問題なのは、その数字をこれからも追及するのかということです。
(「信濃毎日新聞」)
パーセンテージの追究圧力は、企業の自治権に対する一種の侵害
パーセンテージを追究する発想は、形式的平等の考えです。左翼の人たちが好む考えでもあります。
平等には実質的平等と形式的平等があり、状況によって両者を使い分けることによって平等社会を建設する必要があるのですが、そのように考えることを嫌います。企業でも製造業、鉱工業、サービス業と様々な業種があります。その会社の創業理念もあるはずです。
会社の今までの歴史や経緯もあると思います。そういうことを全て判断した上で男女の取締役の人数を論じなくてはいけないと思いますが、数字をぶら下げて、それを達成することが正義であるかのような風潮には危険な臭いを感じます。企業には自治権があります。パーセンテージの追究圧力は、企業の自治権への一種の侵害であり攻撃だと思います。
(「産経ニュース」)
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