「女性活躍社会というテーマの2回目で今回は行きたいと思います」
「私は「女性活躍社会」というネーミング自体に違和感をもっています」
「それは、どういうことですか?」
「その言葉が出てきたということは、要するに、今までは女性が活躍していなかったという認識があると思うのです」
「成るほど。日本の歴史を女性にとって能力を発揮できず、活躍することが適わなかった時代の集積という捉え方なのかもしれませんね」
「日本女性の立場からすると、決してそういうことではないと思うのです。裏から支えるのが日本女性の本来の生き方みたいな感覚を私はもっていますので、そういうあり方を否定するようなところが、ここ最近はあるかなと思っています」
「今、話をして、意外に古風な考え方をもっていることが分かって、驚いていますというか、少し安心しました」
「何気に「古風」とおっしゃいましたよね。無意識のうちに、女性はどんどん社会進出すべきという価値観に染まってしまっていたのではないでしょうか?」
「あらら、今日は攻められっぱなしですね。無意識の思いが、言葉の使い方一つで分かってしまいますからね」
「あと、活躍と言うからには、どういった場面での活躍なのかという、ある程度のイメージが必要だと思います」
「イメージが湧かないものは、現実化しませんからね」
「その辺りについて何か提案がありますか?」
「もともと日本人は故郷意識が強いじゃあないですか。地方創生というスローガンはまだ捨てていないので、女性の視線を意識的に地方に向かせる取り組みを地道に行うしかないと思います。」
「言葉では簡単ですが、具体的にどうやって振り向けるのですか?」
「そうですね。その辺りは、本論に回しましょうか ↓」
日本の独特の統治形態が、地方の伝統や文化を生んだ
日本の統治の歴史を振り返って分かることは、欧米のように巨大な権力のもと一つの統一国家として歩んできた歴史が殆どありません。古代から奈良の時代にかけて、そういった動きがあったことは確かです。例えば、大仏造営期の聖武天皇ですが、その際の詔に「聖武皇帝」という中国の天子の称号を使っています。
ただ、平安以降は天皇は権力を重臣に預け、自らは政治にタッチしないという日本独自のシステムを採用して、現在に至っています。そういうこともあり、独裁権力が生まれにくかったのだと思います。
一番分かりやすいのが、武士階級が政権を執った時代です。今、ちょうどNHK大河ドラマで「鎌倉殿の13人」を放映していますが、頼朝が鎌倉に幕府を開いてから大政奉還までが武士の時代です。約670年間続きます。鎌倉、室町、そして戦国時代をはさんで江戸時代ですが、それぞれ武士の棟梁として将軍はいましたが、日本全体を各地の有力武士や大名が治めるという群雄割拠の時代でした。
各地の大名は、石高が増えれば有力大名にのし上がることができますので、領地経営に邁進したのです。その際に、その地方の特色を生かした農作物が作られ、海辺や川辺ではその地方で獲れる魚介類が市場に流通するようになっていきます。地場産業が興り、地方の伝統や文化が形成されていきます。
(「電撃オンライン」)
地域が衰退すれば、人口減はさらに進む
邦人という言葉が遺っています。「お前は、どこの生まれか」「おらの邦(くに)は茨城だっぺ」と使ったところから来ていると思います。この邦人意識が、まだ日本人の意識の片隅に残っています。例えば、相撲や野球などの応援の時に、そういった意識が頭をもたげます。
そして、地域に遺っている様々な伝統行事、若干残っている方言。多分、これらは、特に封建の時代に各地に定住した人たちが編み出したものです。これらが日本の地域の特色を色付け、総体として日本という国の伝統と文化をかたち作っているのです。
地方創生と掛け声をかければ、地域文化が遺るわけではありません。それを守る担い手を具体的に養成する仕組みが必要です。実は、この課題は日本独特のものです。大陸の国は大平原が広がり、狩猟民族は獲物を求めて多くの距離を移動しました。彼らは地域の土地や自然に西洋の猿真似をしていると、地方文化の担い手が無くなり、それが地域の衰退となり、人口減がさらに進むことになります。
(「株式会社BCC」)
女性も男性と同じように活躍させようという発想自体が誤り
何故、誤りなのか。それは、そういう時代的な経験がないからです。そして、日本の地理的な特徴が大陸とは違っています。山あり谷あり、半島も島もあります。有人島だけで約400あります。その自然的な特徴を生かして農林業、漁業や多彩な地場産業が興りました。
まず、これらの自然と産業、地方の暮らし、それらを大事な地方文化という理解のもと、何とか守る手立てを考える必要があります。
殆ど消えかかっている地方もありますので、小学校と中学校の教育カリキュラムの中に週1~2時間くらいをそういった地方の産業を学ぶ時間に充てます。総合学習の時間(小学1、2年生は「生活」)を使えば可能です。そして、中学校では選択教科を学校裁量で設定することができます。今は、コミュニティー・スクールを文科省が進めていますので、地域の大人たちが子供たちに直接教えることもできるようになりました。そういった条件を最大限利用して、自分たちの郷土や地場産業、それに携わっている人の思いを含めて伝える努力をする必要があります。
地道な努力を重ねていけば、生まれ故郷に残って、その発展のために頑張りたいという人材も輩出できるかもしれません。
「女性活躍社会」とスローガンだけ立てて、何のゴール設定もなく、日本は世界で何位とか、数字だけを追いかけています。数字を追いかけても、未来は見えてきません。学年で1番になれば、自分の人生の方向が定まると錯覚するようなものです。仮に、日本が世界一位になれば、その瞬間に女性活躍社会と認定されるのでしょうか。人生も社会も、そんな単純なものではありません。
(「sourire-heart.com」)
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