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オキナワ人のゲノム解読が行われる ―― 明治に近代国家の一員としてスタート / 日本復帰運動の末に沖縄返還が実現

  • 2023年5月30日
  • 2023年5月30日
  • 歴史
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「前回はゲノム解読の話題から、アイヌ民族の問題に触れさせて頂きました」

女性

「今回もその続きですか?」

「高校教科書の中には変な記述の仕方をしているものがありますので、前から気になっていたのです。沖縄県ですけどね」

女性

「国会でも沖縄県の帰属のことで質問した議員がいるっておっしゃっていましたよね」

「鈴木宗男議員です。彼は琉球王国という名称を使って、いつから日本に帰属したのか、その確認を求めたいという質問書を提出しています」

女性

「いつ頃ですか?」

「2006年ですね。彼は保守系議員でありながら、考えていることは左翼議員と同じといつも思っています。最近においてはロシアを訪問したいと言って、物議を醸しだした人です」

女性

「それはともかくとして、その時の答弁はどのようなものだったのですか?」

「その時に「いつから日本国の一部であるかということにつき確定的なことを述べるのは困難であるが」と余分なことを言いながら、遅くとも明治初期には日本に編入されていたと認識しているというようなことを言っています」

女性

「その答弁の何が問題なのでしょうか?」

「ということは、江戸時代も含めて、それ以前は「独立国家」だったのかという疑問が出てきてしまいます」

女性

「そうなると、明治時代に編入したことになりますものね」

「それを言い出すと、編入に際しての手続きがあったのかどうなのかという問題になります」

女性

「話がややこしくなりそうですね」

「ただ、今回のゲノム解読によって沖縄は本州の鹿児島、島根県の人たちと遺伝的に近いというデータが得られましたので、沖縄は太古の昔から日本人が住み着き、中世の時代には王国を築いていた時代もあったと言うことができると思います」

女性

「ここからが本論です ↓ 表紙写真は「Veltra」提供です」

 ある議員の質問をきっかけに「沖縄切り離し」の動き

鈴木議員の質問の政府答弁を受けて動いたのかどうかは分かりませんが、2008年から国連の自由権規約委員会や先住民族差別撤廃委員会から日本政府に対して「沖縄の人々を先住民族と公式に認め、……」という勧告が今まで合計6回も出されています。

多分、そういった動きを見てのことだと思いますが、中国は2010年頃から沖縄を琉球と言い換えて、「琉球は古来より中国の一部」だと報道し始めたのです

そして、2010年9月に尖閣諸島沖で中国漁船が日本の海上保安庁の船に衝突する事故が起きたのです。それを境にして、中国公船の尖閣諸島の接続水域内、さらには領海侵入が頻繁に繰り返されるようになったのです (下のグラフ参照)。

(「内閣官房」)

 沖縄県となり近代国家の中に組み込まれる

琉球王国は、1609年、薩摩の島津家久の軍に征服され、薩摩藩の支配下に入った。薩摩藩は、琉球にも検地をおこなって石高制による農村支配を確立したうえ、……独立した王国として中国との朝貢貿易を継続させた」(山川日本史、181ページ)。「征服され」たのに、「独立した王国」というのは、いかにも変です。服属ということでしょう。

そして、明治時代になって琉球処分、つまり沖縄県の設置がなされ、ここで日本の国に組み込まれることになります。この処置について、沖縄学の父と言われる伊波普猷(いはふゆう)は「奴隷解放」という表現をしています。つまり、尚(しょう)氏による封建支配の沖縄が近代国家の中に組み入れられたということです。

実は、沖縄の中に当時日本派と清国派があり、対立していたことは確かです。どちらに付くかということで分裂していたのですが、日清戦争で日本が勝利したことにより、その対立は無くなっていったのです。ちなみに最後の王国の国王である尚泰(しょうたい)氏のやしゃごの尚衛(しょうまもる)氏は三重県伊勢市に在住です。

話を戻します。琉球処分の後、1909年には沖縄県議会が設置されます。本土の帝国議会は1890年ですので、19年遅れた格好となります。選挙権も付与され民主主義も保障されます。仮に、清に帰属していれば、今でも選挙権はありません。

(1909年初の県議会選挙 /「沖縄県公文書館」)

 日本復帰運動の末に沖縄返還が実現

ロシアのように屁理屈をつけて領土を取りに来る国もある位ですから、1度手放した領土を取り返すことは大変なことです沖縄は外交交渉、しかも27年という短い期間での復帰を実現できたのは、とりもなおさず沖縄の人たちの日本復帰に向けての粘り強い運動があったからです。その象徴となったのが日の丸の旗です。

当初、アメリカは沖縄占領は無期限に続くと言っていましたので、日の丸の旗は学校や役所などの公的な場所では許されませんでした。さらに、1958年には通貨を米ドルに切り替えたのです。

その措置に対して、復帰要望の象徴として日の丸掲揚運動が沖縄県教職員の主導ですすめられます1961年には、池田勇人総理は沖縄の日の丸掲揚の要望をケネディ大統領との首脳会談の中で取り上げ、その結果、日本の祝日、正月3が日、琉球の祝日には学校や役所、その他の公的機関での日の丸掲揚を許可されます

そして、1964年の東京オリンピック聖火リレーでは、沖縄が日の丸で埋め尽くされたのです。そういった県民の復帰にかける熱き思いが、アメリカを動かしたことは間違いありません教科書は本来、こういった当時の県民の思いを書き込むべきです。自動的に返還された訳ではありません。

琉球王国として独立させ、中国に編入するという動きが水面下であるようです。様々な屁理屈が出てくるかもしれませんが、沖縄は古(いにしえ)の時代から日本人が住んでいたので、それ以来沖縄は、日本なのです。

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