「ロシアの野党指導者のアレクセイ・ナワリヌイ氏が化学兵器「ノビチョク」によって毒殺されようとした事件があったのですが、知っていましたか?」
「ええ、飲み物の中に毒が盛られていて、ロシアの病院に運ぼうとしたら、ドイツがそこでは危ないのでドイツ国内の病院に搬送させたという事件ですよね」
「毒物による重篤症状が出て、ドイツ・ベルリンの病院で治療を受けていたのですが、危機を脱して、人工呼吸器を外してベッドから起き上がれるようになった、とのことです」
「あら、良かったですね」
「現在、関節の動きをよくする治療を受けていて、回復に向かっているということですが、一歩間違えると毒殺されて真相は闇の中に葬り去られることになりそうでした」
「どうして、そういうことをするのでしょうか?」
「ロシアは体制が変わっても、謀略的な人物が権力を握るという変な「伝統」があります」
「勝つためには手段を選ばないということですね」
「かつてイギリスでロシアから亡命していた人物が放射性物質の「ポロニウム」によって殺害されています。さらに2018年にはロシア人元スパイが「ノビチョク」によって殺害されています」
「言葉を失いますね」
「日本ではチャイナマネーが暗躍していますが、イギリスではロシアマネーとロシアのロビイストが問題になっています」
「お互い悩みはよく似ているということですか?」
「本当は共有したいのですが、ロシアへのヨーロッパ諸国の対応に対して、日本のロシアの対応は大変甘く感じていると思います」
「それは北方領土問題があるからでしょうか?」
「本当は、それはそれ、これはこれという思考方法が大陸の民族との外交には必要ですが、日本人は一つで考える癖があります」
「領土問題で成果を上げるために、言うべきことを言わないということですね」
「そうすると、結局見透かされて、何もかも上手くいかないとなるのです。安倍首相は、7年で11回もロシアを訪問しています。エサをぶら下げられただけで、結局目に見える成果はありませんでした」
「ここからが本論です ↓」
白日の下にさらけ出されるロシアと中国の正体
落合道夫氏の 『日本と世界を騙しに騙した中共の正体』という本が出版されました。ただ、内容的には、ロシアと中国共産党の暗躍について暴いた本だと思います。
現代において、ロシアと中国の強権政治が世界の秩序と平和を揺さぶっています。そのため、自由とか人権といった西洋社会でつくられた価値観が脅かされています。
そういった価値観を中心に据えて活動している日本の立憲民主党や日本共産党、社民党が先頭を切って、それらの国の行動や考え方に対して真っ向から対決しなければいけないのではないかと思いますが、全くそういった気配はありません。ということは、変な繋がりが水面下であるということだと思います。
ロシアと中国は、政治体制が異なっていますが、その権謀術策的な思考回路は大変よく似ています。なぜ、ロシアがそのようなゲリラ的な戦術をとるのかということに対して、「経済規模が米国の1割にも満たないロシアはまともな世界なら大国になれない。しかし、秩序なき生き残り競争なら、我々の方が手段が多く有利だ」(『日経新聞』2020.9.20日付)といった政府筋の発言を紹介したいと思います。
ソ連の「避雷針作戦」のため、日本は中国に足止めされる
そのようなソ連と中国の懐の中に、戦前の日本軍は飛び込んでいったのです。それなりの戦略、戦術的な備えをした上であれば良かったのですが、殆ど無防備で満州という地に満州国を建国(1932年)し、溥儀という皇帝を擁立し、日本の軍隊と移民を向かわせています。
どういう状況なのか。辛亥革命によって清は滅亡し、中華民国が成立します(辛亥革命/1911年)。その革命の指導者が「国民党」を率いた孫文でした。その彼が「革命未だ成らず」という言葉を遺して1925年に死去します。その後継者になったのが蒋介石でした。
この蒋介石と日本の関東軍、さらには毛沢東の運命的な衝突があったのです。実は、その裏でソ連が巧妙に動いていたということを落合道夫氏が『中共の正体』(ハート出版)の中で「支那事変の真犯人はソ連の独裁者スターリンである」と語っています。ロシアという国は、もともと謀略を得意とするお国柄ですが、ドイツと日本とによる挟撃作戦を阻止するために、日本を中国内戦に引きずりこもうという作戦をとります。なぜなのか、内戦によって日本の武力と国力を消耗させれば、ロシアにとって有益だからです。
引きずり込み作戦という位置付けだったのです。「盧溝橋事件」(1937年)は、一発の銃声によって始まったとされています。その銃声は中国側とされていますが、意外にもソ連なのかもしれません。「現代のロシアの歴史家は支那事変をソ連の『避雷針作戦』と呼んでいる、言い得て妙である」と言っています。
支那事変というのは、日本史の教科書では「盧溝橋事件」(1937年)ということで説明されています。支那という名称は、中国共産党が差別用語だと言っているため、一般的には使われなくなりました。それはともかくとして、この事件を契機として、日本の関東軍と中国の国民党・共産党との対立が各地で起きます。これを日中戦争と日本の教科書は説明していますが、すでに満州国は建国されていますし、南京には汪兆銘の南京政権が成立しています。それらの政権を守るために日本が、いわゆる野武士軍団の国民党・共産党連合軍と戦ったのです。ただ、「中共はこの間、毛沢東の戦略に従いゲリラ戦をするだけで、意図的に戦わなかった。従ってこの戦争の歴史的名称は支那事変、内容的には日・蒋戦争が正しい」(落合道夫 前掲書)と言います。
共産軍が意図的に戦わなかったのは、日本軍が撤退した後のことを考えていたからです。つまり、国民党と覇をかけた戦いがやがて待っているはず。そのための力を今は温存すべき、ということです。だから、国民党と日本軍が対決する場面を多くして、共産軍は日本軍とはまともにぶつからないという戦略をとったのです。抗日とか言っていますが、戦いを避けていたのです。
満州国の建国
中国は日本の侵略行為と言いますが、日本は満州国の開発に全力を注ぎます。中国本土を舞台にして戦争をするつもりは、毛頭なかったのです。実際に現地で近代化をはかります。「日本は華北経済圏の開発と管理のために莫大な投資をして国策会社を作った。それは交通、鉄道、水道、自動車輸送網、港湾建設などで中国の近代国家づくりであった。電気通信では1938年に華北電電が設立され、石炭事業も復興し1942年には記録的な生産量を上げた」のです。
中国の国民党と共産党の合作が1937年に行われます。蒋介石の国民党は日本軍とまともに戦うことを避けたのです。毛沢東率いる共産党軍は、さらにその背後にいてゲリラ戦を行いました。まともにぶつかるでもなし、講和に応ずるでもなし、日本軍は中国本土に張り付けになった状態だったのです。「避雷針作戦」の面目躍如だったのです。
日本の戦い方を見ると、太平洋と中国大陸に分かれて戦っています。ただでさえ、アメリカと比較して軍事力が弱いのに、どうして分散させてしまったのかという素朴な疑問を抱きますが、要するに中国本土に足止めをされていたということなのです。
満州国については、アメリカが認めなかったこともあり、まともな評価がなされていませんが、「満州国が大陸で初めて法治を確立した近代国家であり、日本の統治が住民や外国人から喜ばれたことである」(落合道夫 前掲書)。そして、この試みが上手くいかなかったのは、武力で抑えなかったからではないかと落合氏は言います。
つまり、「歴史上清朝もロシアも強力な武力で押さえ込んだ。それなのに日本は寛大な政策をとった。このため弱いと見なされ、中国人を増長させ紛争を起こさせることになった。中国人には対等という観念は稀薄である。だから日本人が反省したり謝罪すると、事態は一層こじれることになる。これが戦前から現代にいたる日本外交の失敗の原因である」(落合道夫 前掲書)
確かに、ヘリ下ればへり下るほど、増長慢になっていくところがあります。もしかしたら、今の共産党による強権的な統治が、中国の人たちに合っているのかもしれません。そのように考えること自体が危険なのでしょうか。
読んでいただきありがとうございました。
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