ようこそ日本の危機へ!このブログでは主に最新のニュース、政治、教育問題を取り上げております。

官僚主導の戦後の移民政策 (その1) ―― 敗戦直後の「人口過剰」観念と政策形成 / 1980年頃まで続いた移民政策

  • 2025年8月21日
  • 歴史
  • 6view

「少子化・人口減で苦しむ時代となりましたが、戦前から戦後まで移民政策を採っていたことを知っていますか?」

女性

「ブラジルやカナダに日本人街がありますので、そんなんだろうなとは思っていました。戦後の移民政策の理由は何ですか?」

「戦争が終わり、何もかも焼き尽くされて、食料さえ満足になかったような状況で移民政策がGHQから提起されます」

女性

「戦後すぐの時期には、餓死者が出たことを聞きました」

「復員兵が帰ってきても住むところや仕事がないといった問題、そして人口は増える兆しを示していました」

女性

「すぐにベビーブームがありましたものね」

「GHQによって海外移民の方向性が打ち出され、海外移住が戦後日本の政策として打ち出されます」

女性

「受け入れ体制は大丈夫だったのですか? 戦前の移民は随分現地で問題になったみたいですよね」

「戦前の移民と戦後の移民は数的にも、相手国の協力体制も全然違います。戦後の移民はトータルで26万人ですか、戦前はその約10倍です」

女性

「そんなに多かったのですか! それは知りませんでした」

「だから、私は戦前は移民ではなく、国外逃亡民だと思っています。兵隊に徴収されるのがイヤで逃げた人もいます」

女性

「息苦しい社会だったのかもしれませんね。ここからが本論です ↓ 表紙写真は「ameblo.jp」提供です」

 敗戦直後の「人口過剰」観念と政策形成

戦後日本における海外移住政策は、終戦直後の混乱期に芽生えた「人口過剰」意識から出発しました。食糧不足や住宅難、そして失業の増大は、国民生活を圧迫する深刻な問題でした。そこに加えて、連合国軍総司令部(GHQ)が日本の食糧需給を厳しく査定し、「余剰人口を海外に移すべきだ」との方向性を示したことが大きく作用しました。こうして人口を外に出すことが「国の課題」とみなされ、国の政策として浮上するのです

政府は1948年に外務省内に海外移住課を設置し、1952年には海外移住振興法を制定しました。これは、移住政策を一時的な措置ではなく、国の制度として確立するものでした。しかし、この時すでに日本の出生率は急速に低下傾向を示していました。1957年には人口置換水準である2.07を割り込み、統計上はすでに将来人口減少の兆候が明確に現れていました。そして、1960年には「高度経済成長政策」が出されています。食糧問題も解決しているので、移民として外に送り出す時代ではなくなっていたのです。

それでも当時の政策担当者の目には「人口爆発」が依然として切迫した問題として映っていたのです。こうして、実際の人口動態の変化よりも、戦後直後に形成された「人口過剰」というイメージが優先され、政策が方向づけられていきました。下の折れ線グラフを見て欲しいのですが、1950年から60年にかけて急速に出生率を下げています。政策担当者はこれを見て、移民政策をやめる決断を下すべきだったのです。1980年頃まで移民政策が継続していくことになります。

 

 農村の余剰人口問題と農業移民政策

海外移住政策を強く後押ししたのは、日本農村に根強く残っていた余剰人口問題でした。農地改革で自作農が増えたとはいえ、農地の細分化は避けられず、農業で生活ということを考えると、農家を継げるのは長男に限られ、次男や三男は働き口を探さざるを得ませんでした。工業化が進んでいたとはいえ、農村部では雇用の吸収力が限られており、若年層の「余剰人口」問題はなお深刻でした。

そこで政府は「農業移民」という解決策を打ち出しました。外務省と農林省は中南米諸国と協定を結び、未開拓地の農業開発に日本人移民を送り出す計画を立てました。ボリビアやパラグアイでは移住地が造成され、ブラジルでは日本人移住者が新たな農業開発に従事しました。これは国内の人口圧力を和らげると同時に、移住者本人に「新天地での自立」の機会を与えるという二重の効果を期待されたのです。

しかし、こうした施策は本質的に「余剰人口対策」の一環であり、人口減少が近い将来に到来する可能性は考慮されていませんでした。政策担当者にとっては、「統計上の少子化」よりも「農村であふれる若者」の姿の方が切実に映っていたからです。結果として農村人口の排出が海外移住によって制度化され、移住政策は国内社会の構造問題を外部へ転嫁する手段として存続したのです。

(「www.amazon.co.jp」)

 外交資源としての海外移住

海外移住はまた、日本外交の有効な資源ともなりました戦後日本は国際社会への復帰を模索し、中南米諸国との関係強化を重視しました。ブラジル、ボリビア、パラグアイなどは移民受け入れによって自国の農業開発や地域開発を推進しようとしており、日本人移民は彼らにとって歓迎すべき存在でした

日本政府にとっても、海外移住は「人口問題の解決」にとどまらず、「友好国との協力関係を深める外交カード」として機能しました。特にブラジルは戦前から日本人移住者が多く、戦後も移民受け入れを継続した数少ない国であったため、両国関係を強化する手段として活用されました。こうして海外移住は、国内の人口・労働力調整策であると同時に、国際的な関係を構築する手段ともなったのです。

この外交的要素は、移住政策を単なる「余剰人口処理策」から「国際協力」へと位置づけ直し、存続させる大きな要因になりました。すなわち移住政策は、すでに人口減少の兆候がある中でも「外交のために維持すべき政策」と見なされ、延命されたのです。その判断は、基本的に間違いです。まずは国内というか、日本の国そのものの問題を優先的に考えるべきです。そして、国会がこの問題について、殆んど関与していません。その辺りについては、次回のブログの中で触れることにします。

(ジャーナル|ディスカバー・ニッケイ)

読んでいただきありがとうございました。

よろしければ「ブログ村」のクリックをお願いします。

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ
にほんブログ村

最新情報をチェックしよう!