ようこそ日本の危機へ!このブログでは主に最新のニュース、政治、教育問題を取り上げております。

「教育勅語」の何が問題なのか ―― 内容ではなく使われ方 / 洗脳の手段として勅語が使われた 

「今年は教育勅語が発布されて135年になります」

女性

「夫婦仲良く、兄弟は助け合い、そして親孝行を薦める内容なので問題がないのでは、とよく父が言っていました」

「内容的に間違っている訳ではないので、教育現場で史料的に使うのは全く問題がないと思っています」

女性

「それでは、何が問題だと思っていらっしゃるのですか?」

「使われ方です。そして、文部省通達ではなく、勅語にして各学校で義務的に取り扱わせました」

女性

「良い内容なので、周知徹底させるということでしょう。特に悪いことではないと思います」

「良いことは強制しなくても、自然発生的に広がるものです。帝国大学、師範学校、そして小学校と、上と下からほぼ一斉に当時の若者たちを対象に教育勅語の内容がインプットされたのです」

女性

「価値観の押し付けということで問題視しているのですね」

「教育勅語の発想は山県有朋です。彼は軍人勅諭の発布に深く関わった人物です。価値観というより、戦争遂行という目的を見据えて教育勅語を作成したと思われます」

女性

「国民に純粋に日本古来の道徳心を身に付けて欲しいという気持ちから発した訳ではないということですね」

「動機が不純だと思っています。GHQはそこを問題視して、失効を求めたのだと思います」

女性

「ここからが本論です ↓ 表紙写真は「Tokyo Museum Collection」提供です」

 教育勅語の問題――内容ではなく使われ方が問題

1890年に発布された教育勅語は、今年で135年の節目を迎えます。天皇が臣民に道徳を説くという体裁をとり、戦前の日本において教育の基本方針として強い影響力を持ちました。勅語には、親孝行や夫婦の和といった儒教的な徳目だけでなく、順法精神や公益奉仕といった西洋的な価値観も盛り込まれており、内容自体は当時としては国際的な視野も持っていたとも言えます。

しかし、最も注目すべきは「一旦緩急あれば義勇公に奉じ」という文言に象徴される、国家への絶対的忠誠を求める精神です。これが戦時体制と結びついたとき、国民の命さえ国家に捧げるべきという思想に転化されました。

戦後、教育勅語は国会で失効決議がなされましたが、今日に至るまでその徳目の普遍性を再評価する声も少なくありません。問題は、内容そのものではなく、教育現場での使い方でした。子どもたちに考えを植え付け、批判的思考を奪うような方法で強制的に教え込まれたことが、最大の問題だったのです。

(「HUNTER(ハンター)」)

 教育勅語奉読式が執り行われるようになる

教育勅語は、1890年10月30日に発布されたわずか4日後、11月3日に帝国大学で奉読式が行われました。この迅速な対応からも、発布と同時に全国の教育機関でどのように活用するかという方針が事前に整えられていたことがうかがえます。

この勅語の起草には、法制局長官・井上毅を中心に、枢密顧問官・元田永孚、総理大臣・山県有朋、文部大臣・芳川顕正らが関与しました。山県は軍人勅諭の発布にも深く関わっており、国家に対する忠誠心の育成を意図していたことは明白です。

勅語はとりわけ小学校と師範学校で重点的に扱われました尋常小学校では修身の授業が週三時間、高等小学校では二時間に増加され、道徳教育が教育の根幹に据えられました。師範学校では、「教育に関する勅語の趣旨に基づき人倫道徳の要領を授く」と明記された教授要旨が示され、将来の教員に徹底的な思想教育が行われました。政府は、勅語の精神を日本の将来を担う教師たちに注入することで、全国津々浦々にまでその思想を浸透させようとしたのです。

(「探検コム」)

 洗脳の手段として勅語が使われた

教育勅語は単なる道徳訓ではなく、国家に忠誠を誓わせる「儀式」の中心として用いられました紀元節、天長節、明治節、元旦という「四大節」には学校で式典が行われ、校長が奉安殿から勅語を恭しく取り出し、全校生徒の前で朗読しました。生徒たちは暗唱を強いられ、覚えられなければ体罰もあったと伝えられています。

これは、自由な思考力を育てるどころか、棒暗記による忠誠心の植え付けを狙ったものでした空間を厳かに演出し、「お言葉」を神聖視することで、まだ思考力の発展途上にある子どもたちは、内容の是非を判断する余地もなく、全てを「絶対」として受け入れざるを得なかったのです。

教育勅語の徳目そのものに特段の問題はないという見方もできます。しかし、それを用いた為政者たちは、戦争末期に特攻を命じ、若者たちの命を無謀な作戦に投じました。国家は本来、国民の命を守るべきであるにもかかわらず、逆に犠牲を拡大させたのです。特攻で命を落とした人が4,000~6,000人もいます。その人たちが、戦後復興に携わってくれたら良かったのにと思うと同時に、どうしてそのような無謀な作戦を命令したのかと思わざるを得ません。教育勅語は政治の道具として使われた結果、失効という結末を迎えました。おそらく天皇陛下ご自身も、そのような使われ方を本意とはされていなかったことでしょう。問題は、「使い方」にあったのです。

(「読売新聞オンライン」)

読んでいただきありがとうございました。

よろしければ「ブログ村」のクリックをお願いします。

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ
にほんブログ村

最新情報をチェックしよう!