「政治家が自分の意見をツイッターで発信するのを、どう思いますか?」
「その先駆けは、トランプ大統領ですよね。最初は、えっと思いましたけど、最近はそれはそれで良いことかなと思っています」
「一昔前では考えられないようなことですよね」
「そう言われれば、そうですよね。大統領のメッセージが国民に直接届けられるのですから」
「ただ、物事はプラスもあればマイナスもあります」
「上手く使えば武器になるけれど、下手に使えば、批判殺到で炎上させてしまうということですね」
「自身がブレない政治姿勢を貫く自信があればいいのですが、そうでない場合は言質をとられるだけです」
「要するに、この前はこう言っていたけど、今は違うこと言っていますよ、となるということですね」
「その位長いスパンで注目してくれるならば、それはそれで良いのですが、何回か読んで見捨てられるということもあります」
「黙りバカと喋りバカの諺ですね」
「それは、何?」
「黙りバカは3年間分からないけれど、喋りバカはすぐ分かるという諺です」
「自信がなければ、修業期間ということで何も言わないということですね」
「口は禍の元と先人は言っていましたよね」
「政治家が失敗するのは、大体それですね」
「だから、政治家は余分なことを殆ど何も言わないのですね」
「まあ、そういうことですが、もう少し自分の言葉で様々な問題を語るようにして欲しいと思います」
「ここからが本論です ↓」
目次
立憲民主党 石垣のり子議員のツイッターの文章
立憲民主党 石垣のり子議員のツイッター(8/28日付)の文章を紹介します
が、「大事な時に体を壊す癖がある危機管理能力のない人物」を総理総裁に担ぎ続けてきた自民党の「選任責任」は厳しく問われるべきです。政治空白を生じさせないためにも早期の国会開会を求めます
国会議員としてはレベルが低い文章
この程度の文章に1.8万人もの人が「いいね」をしているので愕然となります。国会は「国権の最高機関」であり、その構成員の一人ひとりのレベルを上げることが、この国の立法レベル、ひいては国力を上げることに繋がります。その願いを込め、さらに当人には精進努力をしていただきたいという思いで僭越ですが、文章を解説ならびに添削させて頂きます。
※(本人の文章 → このように直した方が良いという文章) ということでお読み下さい。
1行目→ 総理大臣を労働者と勘違いしているのでは?
1行目→ 総理といえども「働く人」→ 総理といえども、生身の人間。
健康を理由とした辞職は当然の権利 → 健康を理由とした辞職は、当たり前に許されることだと思います
総理を「働く人」と表現し、「当然の権利」という言葉で受けているので、この方は総理大臣を労働者のようなものと捉えているフシがあります。権利というのは、権力の対抗概念として使う言葉なので、権力の中枢にある総理に対して「権利」という言葉を使うのはおかしいし、使うことは出来ないと思います。
だから、素直に「健康を理由とした辞職は、当たり前に許されることだと思います」と相手の無念な気持ちを推し量って、柔らかい表現にします。
回復をお祈り致します。→ 回復をお祈り申し上げます。
2行目→ レッドカードの言葉、さらには総理と総裁の違いが分からず
2行目→ が、→ しかしながら
「大事な時に体を壊す癖がある危機管理能力のない人物」
→ これは完全な個人攻撃になっています。レッドカードです。病気をすべて本人の責任にするのは、余りにもひどい考え方です。
そもそも、大事な時に病気になる「癖」というものが、実際にはないだろうと思います。
危機管理能力のない、とありますが、安倍首相の病気は難病なので、本人の努力とは関係ないところで罹った病気です。飲みすぎて肝臓を壊したという類の病気と同じように言わないようにした方がいいと思います。
総理総裁に担ぎ続けてきた自民党の「選任責任」 → これも訳の分からない文章です。
まず、総理と総裁は違います。総裁というのは自民党総裁なので、自民党の中で選ばれる、党のトップのことです。そして、総裁が必ずしも総理になる訳ではありません。選出のシステムが違うからです。総理は首相のことですので、これは国会の中で指名されて決まります。
だから、「総裁に担ぎ続けてきた自民党」ならば良いのですが、「総理」を入れているので、この方は多分よく分かっていないということがこれでバレてしまいます。「総理」を決めたのは国会です。つまり、この文章を書いた石垣氏が属する国会が、安部総理を担ぎ続けてきたのです。
「いや、私は安部指名に反対した」と、もしかしたら言われるかもしれませんが、多数決によって国会が全体として安倍首相を選出したと考えるのが民主主義のルールです。
3行目 → 物事には順番があることも、政治空白の意味も分かっていない
さらに訳の分からない言葉が「自民党の『選任責任』」です。任命責任という言葉はありますが、「選任責任」という言葉はありませんし、法的にも成り立たない言葉です。
そもそも、政党には自己決定権があります。その権限を行使して、総裁を選ぶのは全く問題がありませんので、結果を見て、他党が追及することはできません。「選任責任」は厳しく問われるべきです、と言っていますが、厳しく問うことは出来ないと思います。
選ばれた人に、どの程度関わることができるかということに対して、法的には、選んで終わりという場合と罷免権まで担保される場合の2つしかありません。選挙というのは、前者の典型的なものです。我々が選んだ市長が汚職で捕まったとしても、投票した人が責任をとることはありません。
国会は内閣総理大臣を指名するのですが、この「指名」というのも選挙と同じで、選んで終わりという法的効力しかありません。
3行目 →「政治空白を生じさせないためにも早期の国会開会を求めます」
これもよく分からない文章です。
まず物事の順番として、辞任を表明した安倍首相の後任として、自民党の中から総裁を選ばなければいけません。どのように選ぶかということをこれから決めて、様々な手続きの中で総裁が選出されると思います。国会の開会はその後です。そして、その国会の冒頭で新しい総理を選ぶ指名選挙を行い、そこから国会での政策を巡る論戦が始まります。
早期の国会開会といいますが、立憲民主党も政党合流で新党を立ち上げるということでスケジュール調整がいろいろあると思います。何の準備がないまま、「早期の国会開会」をされてもお互いに困るのではないかと思います。
国会議員は、国会に出て法案審議に参加するだけが仕事ではない
国会議員の仕事は、国会に出て法案審議に参加するだけではなく、国民の意見を国政に反映させることも大事な仕事です。鷲尾英一郎衆議院議員が月刊『Hanada』に「野党にいて分かった売国野党の内幕」(10月号)の中で「声なき声」ということをしきりに言っています。
代議員として、国民の声を国政に反映させるべく、日々地元に入っているとのことで――「声なき声を聞く地道な活動がなければ、政治はおかしくなってしまいます。生活の苦しい人たちにどう政治の光を届けるか。僭越ながら、私は声なき声を聞く先頭に立ちたい。多様な民意を掴む努力をしていきたいと考えています」
国会が開かれないから、政治空白が生まれる訳ではありません。また、国会議員は国会閉会中は地元に帰って、地元の状況を把握するという仕事があるはずだと思います。
政治空白が生まれないようにするために、政府だけではなく、国会議員一人ひとりの努力が求められています。
読んでいただき、ありがとうございました。
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