
「参議院選挙の広報を見ましたが、本当にいろんな政党や団体があるのですね」

「ここに来て、急に増えましたね。議席を持っていない政党を入れれば20くらいあると思います」

「これは、どうしてですか?」

「中央集権国家で、民主主義のシステムを導入すると意見が分散する傾向となります」

「日本は中央集権国家なんですか?」

「立法、行政、司法、外交、教育、財政と、すべて国に権限が集中しています。立派な中央集権国家です」

「なるほど、それは分かりましたが、中央集権国家で意見が分散する傾向になるのは、何故ですか?」

「中央集権国家というのは、上命下達を原則とする社会です。権力者は力で一つにまとめようとするので、様々な分野で多くの反発がどうしても出てしまいます」

「戦前であれば、それを権力によって抑え込んだけれど、民主主義の現代ではそれができないということですね」

「SNSの普及も大きいと思います。同じような考えを持っている人たちが簡単にグループを作ることが出来るようになりました」

「そんなこともあって、政党が急に増えたのですね。今回の参議院選挙では、多くの政党が問題としているものとして、消費税と外国人の受け入れの問題があります」

「今日は外国人の受け入れの問題について話をしたいと思います」

「ここからが本論です ↓表紙写真は「Yahoo!ニュース-Yahoo! JAPAN」提供です」
難民と共生社会──理念と現実のはざまで
「外国人受け入れ」について『産経』(7/5日付)は「自維国は慎重 立共は拡大」と報じています。立憲民主党と共産党だけが、外国人との共生を謳っていますが「言うは易し、行うは難し」です。彼らは一緒に住めば、共生社会が誕生すると思っている節がありますが、現実はそんなに簡単なものではありません。共生社会の実現には段階的な手順が不可欠です。日本人社会が成立しているところに、育ちや慣習、果ては宗教までも異なる外国人が入ってくる場合、お互い、何の準備もなければ混乱が生じます。そうならないためには、相互の努力と準備が必要です。それがマッチして初めて「共生社会」に向けた第1歩となるのです。
外国人といっても、難民と就労目的の移民、在留外国人と様々な属性があります。中でも難民は、戦争や迫害により自国で平穏な生活を送ることが不可能になった人々を言います。日本の難民認定率は、他の先進国と比べて非常に低い水準にあり、2023年の難民認定申請者数は13,823人で、認定されたのは303人でした。率にすると約2.2%ですが、先進国の中でもかなり低い数字です。難民申請者が多い出身国を調べてみると、トルコ、ミャンマー、ネパール、カンボジア、スリランカといった政情不安な国が目立ちます。
立憲民主党と共産党は、難民認定の条件の緩和を求めていますが、日本の難民政策は「天国or地獄政策」です。要するに、極端なのです。仮に、難民として認定されると、中長期的に滞在できる在留資格「定住者」が付与され、日本国民と同様の福祉サービスや社会保障を受ける資格が得られます。具体的には、国民健康保険への加入、国民年金や児童扶養手当などの受給資格、必要に応じて市町村による福祉支援を受けることができます。難民として認定されなければ、強制送還の対象となります。この二極化が制度の硬直性を表しています
(「シアエール」)
特定技能制度と「移民」忌避の構図
戦前から戦後にかけて、日本はカナダ、アメリカ、ブラジルといった国々に多くの移民を送り出した国です。そういう後ろめたさがあるのか、「移民」という言葉を避け、特定技能を持っている外国人を条件付きで受け入れるという政策をとっています。
特定技能制度は2019年に創設されたもので、人手不足が深刻な分野に限定して外国人材を受け入れる制度です。制度上は、特定技能1号、2号、3号といったものが用意されています。在留資格は、特定技能1号が最長5年、特定技能2号は在留期間に制限がなく、家族の呼び寄せも可能です。
この制度は「国内の人材不足を解消し、特定の産業分野で活躍する外国人を受け入れること」を目的としています。要するに、人手不足を補うための在留資格ということになります。しかし、実際には、外国人の中には、定住や家族帯同を希望する人も出てきています。こうした事態を見越して、行政は制度設計と地域支援の準備を進める必要があるのです。
(「外国人採用サポネット」)
文化摩擦と教育の役割──実質的な移民政策への備え
現在の日本政府の外国人政策は、難民に対しては厳しく審査をし、人手不足の分野の「移民」に対しては、「技能」を持っているという理屈をつけて条件付きで受け入れるという二重構造の対応をしています。中央集権国家は、建前と本音を使い分けるところに特徴がありますが、この問題でも見事に使い分けています。
本音は人手不足解消のために外国人労働者という名の移民受け入れに舵を切ったのですが、政府はそれを認めていません。ただ、在留外国人は今や300万人を超えています。動かぬ証拠がその人数として示されています。
今後も在留外国人は増えることが予想されます。共生社会の実現には、ハード面とソフト面の手当てが必要です。単に同じ空間に一緒に住んでいれば、共生社会が実現する訳ではありません。AIの進化もあり、言葉の壁は将来において以外に簡単に乗り越えられると思っています。問題なのは、宗教も含めた文化や慣習の違いをどのように埋めるかです。日本には「郷に入れば郷に従え」という格言がありますが、彼ら外国人は自分たちの文化や慣習をそのまま持ち込もうとする傾向が強いです。例えば、イスラム教は火葬や豚肉食を認めていません。そういった民族の文化に関わる問題は、教育の中で長年かかって融和していく問題です。政府は事実上の移民政策に舵を切ったという認識のもと、学校教育や社会教育を通じて共に学び合う態勢を早急につくる、そして、地域コミュニティを通じた相互理解の醸成こそが、文化的融和への唯一の道なのです。
(「ウィルオブ・ワーク」)
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