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公立中の部活動「地域移行」に向けてアリバイ的会議が繰り返される ―― 有識者会議という幻想 / 教育政策決定の形式主義

「「小学体育教員の参画推進」(『産経』10.28)、「中学部活 小学校教員も」(『日経』10.28)という見出しの記事が出たので驚きました」

女性

「小学校の先生を駆り出してまで部活動を「外部」に任せるというのですか?小学校は教員が足りないと言っていますよ」

「記事には、その内容が書いていないので何とも判断できないのですが、中学部活の地域移行が着実に進められていることは確かです」

女性

「移行するのは、いつからですか?」

「5~7年度が改革推進機関、8年度からの6年間を改革実行期間としていますので、来年度から出来る地域から徐々に移行するということだと思います」

女性

「もう、それは待ったなしということですか?」

「今回、指針を出したのが「調査研究協力者会議」です。新聞はざっくり「有識者会議」と書いていますが、実は並行して「部活動改革に関する実行会議」というのも開催されているのです」

女性

「同じような会議が2つもあるのですか?」

「2つの会議は、一言で言えば権威付けと文科省のキャリア官僚にとっての人脈づくりの場になっています」

女性

「権威付けというのは、これだけ偉い先生方が集まって決めた事だというのを示したいということでしょうか?」

「文科省からすれば、外堀を埋める作業の意味合いがあるということです」

女性

「ここからが本論です ↓表紙は「senyou.the-issues.jp」提供です」

 外見を繕うために2つの会議を仕掛ける

近年の教育政策は、しばしば「有識者会議」という名のもとに決定されます。多様な専門家を集め、現場の声を反映するかのように見えるこの仕組みは、一見、民主的で開かれた政策形成のように映ります。しかし実際には、その多くが結論を事前に用意した官庁主導の形式的儀式にすぎません。

長年、部活動を教育活動と捉え、教員が主体として担ってきた活動です。負担軽減という理由から部活動の地域移行を進めようとしていますが、本来は教員の人員を増やせばすべて解決する問題です。教育に金をかけたくないので、それはできない。そこで出てきたのが地域移行というプランです。そもそも、私学で出来ていることが、なぜ公立で出来ないのか。そこが大いなる問題です。

それを押し通すために立てた文科省の「作戦」が2つの会議を並行的に開いて真面目に審議したという体裁を整えることでした。1つは、「地域スポーツ・文化芸術創造と部活動改革に関する実行会議」(以下「実行会議」)、もう1つが「部活動の地域展開・地域クラブ活動の推進等に関する調査研究協力者会議」です。今回の新聞報道は、後者の「協力者会議」の第8回目の会合(10月27日)の内容です。


(「科学新聞」)

 アリバイ作りのためだけの会議設定

これらの会議はアリバイ作りと官僚の天下りのための人脈づくりの場になっています。例えば、「実行会議」ですが、20名ほどの委員が集められ、年に数回、4カ月ごとに1回、そして1回あたりわずか1~2時間の会合を重ねただけで最終とりまとめ案が作られています。議事録を見る限り、議論というよりは、事務局――すなわちスポーツ庁が用意した原案を座長が紹介し、数名の委員が形式的に賛意や補足を述べて終わるといった流れが多いのです。

完全な儀式化した会合になっています。会議の座長にはアサヒホールディングスの会長を据え、地方自治体の長や各種団体の長など20名くらいの規模の構成になっています。会議とは名ばかりで、実態は官庁が既に作成した政策文書に対して、意見を言う程度です。強く持論を展開したり、反対意見を滔々(とうとう)と述べたりする方はいないでしょう。そのような方は呼ばれていませんし、もしいたとしたら、次の委員の任命はありません。そのことを知っているため、意見らしい意見が出ず、出てきた原案を「追認」するための場になります。相互討論もほとんど行われません。

結果として、政策は「議論を経て決まった」という形式だけを残し、実質的な検証や異論の調整は行われないまま進められます。このような会議運営は、官僚の責任回避の構造とも言えます。仮に政策が失敗しても、「有識者の意見を踏まえた」と説明できるため、行政側は政治的リスクを負わずに済みます。しかも、委員の顔ぶれを見ると、教育現場を知る人よりも、学識者や団体代表、企業経営者といった“安全な人選”が多く、現場の痛みや矛盾が議論に持ち込まれにくい構造になっています。

(「朝日新聞」)

 机上の空論を繰り返すことになる

かつて文科省は「ゆとり教育」を推進したことがあります。学力低下が目に見えて進んだため、こっそりと路線変更しましたが、なぜあのような馬鹿げたプランが通ってしまったのか。現場のリアリティが分からないキャリア官僚が立てたプランを、現場の実態を知らない人たちが委員となって集まって議論したからです。

今回もその危うさを感じます。例えば、「小学体育専科教員の参画推進」といった文言がその典型です小学校では体育専科がほとんど存在しません。専科教員を採用できる人数は限られており、採用する場合は図工、美術、家庭科といった週当たりのコマ数が少なく、専門性が高い教科の専科教員を採用しようとします。小学校の体育は週3コマ位ありますので、担任が行うのが通常です。私が調べた限り、都内で体育専科教員はゼロでした。沖縄県に1人いるようですが、いたとしてもごく限られたモデル校レベルです。こうした事実がありながらも、「体育専科教員の参画推進」といった提案が平然と出てきて、それを新聞がそのまま報道する。現場を知らない人々によって制度が設計され、それをマスコミが問題意識を持たずに報道しています。

教育政策に必要なのは、形式ではなく実質的な議論とその実行です。会議の開催回数や委員の肩書きよりも、現場の課題を掘り下げる時間と対話こそが重要です。2つの会議の構成員を合計すると40名を超えています。彼らに対して会議のたびに謝礼が出ているはずです。見せかけの合意形成をするために、余分なお金をかける。そういうことをやめて、真に教育を担う現場と地域の声を中心に据えた政策決定に転換しなければ、教育行政はいつまでも机上の空論を繰り返すだけでしょう。次回は、部活動の地域移行について、その法的問題について述べたいと思っています。

(「シアターテイメントNEWS」)

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