「前回のブログでロシアに対する国外の反応・対応は分かりましたが、国内世論の形成に独特なものを感じるというか、違和感を感じます」
「近々、大統領選挙があるけれど、圧勝と言われています」
「あっ、しょう(苦笑)。だって、対立候補になるような人を選挙に立候補できないように仕向けているだけでしょ。そういうことに対して、国民は寛容だなと思います」
「長年の圧政に対する一つの諦観みたいなものが、ロシア国内に形成されているのだと思います」
「諦観というと、あきらめの境地ということですか? ヨーロッパの人たちは抵抗する中で自由や権利を勝ち取りましたよね」
「そういうふうにロシアの歴史は動いていません」
「それは、どうしてですか?」
「一つは君主の力が強く、諸侯は命ぜられるままに行動するしかなかったという事情があります」
「抵抗が命掛けだったということですね」
「命掛けというか、命がなくなると思った方が良いと思います」
「なるほど、今のロシアと何となくダブって、妙に納得してしまいました」
「民族は過去から引き継いだDNAを各自の体内に持っています。時代は変わっても、実は同じような歴史を繰り広げていくというのは、そのためだと思っています」
「あと、ロシア関連で疑問に思うことは、ロシアの文学や音楽は世界的に有名ですよね。あの流れは一体どこへ行ってしまったのかと思っています」
「『戦争と平和』のトルストイ、『罪と罰』のドストエフスキーなど、ロシア文学は体制批判的な性格があったと思っています。ただ、それゆえにソ連のスターリニズムの中で消滅したと思っています」
「私は映画を観て、読んだつもりになっています。あの長編文学に挑むには、かなりの覚悟が必要です」
「ゴーゴリは短編が多いですよ。内容は悲喜劇ですが、社会風刺が入っていて面白いのでお勧めです。音楽はチャイコフスキーが有名ですが、教会の保護もあり、それらは伝統を繋いでいると思っています」
「ここからが本論です ↓ 表紙写真は「読売新聞オンライン」提供です」
「ロシア」が初めて登場するのは14世紀
語源を探るとルーシです。そのギリシア語形の「ロシア」が教会関係者の間で使われ始めたのが最初です。ですから、ロシアそのものの歴史は、そんなに古い訳ではありません。
「ルーシ国家」が現在のロシア、ウクライナ、ベラルーシの源であり、その中心がキエフ(キーウ)です。キエフは「諸都市の母」と言われていました。現在のウクライナの首都です。途中「タタールのくびき」、つまりモンゴルによる支配の期間をはさんで、10世紀から15世紀の間、キエフ(キーウ)が中心都市だったのです。ここを統治することはルーシ全土に権威を示すことでもあったのです。
キーウが聖地エルサレムのようなものなのかもしれません。プーチン大統領は、ウクライナというより、キーウを奪還したいという思いが強いのではないかと思っています。ただ、そうであれば、東部4州だけでは満足しないということになります。そして、核を使うか使わないかという物騒な話になっていますが、聖地と思っていれば使うはずがないでしょう。あくまでも欧米に対する脅しだと思っています。
(「NHKニュース」)
中興の祖のイヴァン3世がロシアの原型をつくる
その国の歴史を紐解くと、指導者の考えや心理が分かる場合があります。プーチン大統領は、ロシアの歴史をよく研究していますし、自らも論文を書いています。日本の首相や国会議員には、その点は見習って欲しいと言いたいところです。
「ルーシ国家」からロシア統一国家になるにあたって、大きく貢献したのがイヴァン3世です。彼の統治の間に、ロシアは領土を3倍に拡大しています。そして、彼の時に戦闘の仕方や統治のあり方を変えています。それまでは軍事指導は君主(大将)自らが馬上から直接行っていたのですが、それを止めて、全体的な戦略を立てることに徹するようになります。現場の軍事指揮は司令官に行わせるようになったのです。
司令官の指令は君主の指令として、絶対的な服従が求められました。軍隊は一人の司令官の下、統率がとれた組織的な動きができるようになったのです。軍隊は君主に仕えることによって領地を与えられ、生活が出来ていたので、命令に従わないということは生活できなくなることとイコールでした。
イヴァン3世の統治の後半において、君主の権限が強くなります。明確な理由がなくても、臣下に対して官職を取り上げたり、所領を没収したり、場合によっては処刑にすることもできるようになったのです。そして、そういった君主権力を教会が支えます。後のロシア正教会です。君主と教会による協力のもと、ロシアの発展を目指したのです。今のロシアの統治の原型がこうしてつくられたと思われます。
(「FC2」)
ソ連邦の歴史はロシアにとって余分な歴史
そのように書くと、ロシア革命を含めてソ連邦の歴史はどうなったのかと思う方がいると思います。プーチン大統領にしてみれば、余分な歴史であり、ロシアを弱体化させた一つの元凶であったと捉えるでしょう。
ロシア革命が起きたのが1917年です。世界で最初の社会主義革命です。その時の指導者がレーニンです。権力を一つに集めすぎると、そこを狙われ、あっという間に体制がひっくり返る危険性があることを示した事例です。
レーニンが死亡して今年が100年目となります。特に何か式典を開く予定はないとのこと。むしろ、モスクワの赤の広場からレーニン廟が撤去されるのではないかという噂まで出ています。ソ連邦も1991年に崩壊し、ロシア共産党を支持する国内世論も1ケタ台です。ロシア正教会のミトロファン主教はその著書の中でレーニンらの共産主義勢力を「テロリズムの草分け」と批判しています。共産党が創設した市民監視団体がKGBであり、プーチンはそのエージェントでした。そういう意味では、皮肉なめぐり合わせと言えるのかもしれません。
(「ニューズウィーク」)
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