「何でもグローバリズム、みたいな雰囲気がありましたが、それが転機を迎えようとしています」
「天気が悪いからですか?」
「余りつまらないことを言わないように」
「すいません。何かで使って下さい」
「使えないと思います。それより、大きく時代が動こうとしているその根底にあるものを摑まえるようにして下さい」
「冷戦の終結とグローバリズムは、ほぼ軌を一にしていますよね」
「そうですね、言い換えると、平成年間はグローバリズムの時代だったということです」
「平成は明治以来、この150年間で初めて戦争がなかった時代ですよね」
「明治、大正、昭和と、それぞれ戦争を体験していますからね」
「令和の時代も、平和が続いて欲しいですよね」
「戦争をしたいと思う人はいません。ただ、リーダーシップをとっているアメリカの力が相対的に弱くなったので、勢力を拡大しようとしている動きが出てきます」
「最近は何と言っても中国ですよね」
「少し、暴走気味だと思っています」
「ただ、それに対して日本の国会や政党の反応が全体的に鈍い感じがします」
「多分、何らかの圧力を中国からかけられているのでしょう」
「ここからが本論です ↓」
「グローバリズム」の風は止んだ
「グローバリズム」「グローバリゼーション」「グローバル化」といろいろ表現されてきたのですが、その流れが変わりそうです。一般に広まったのは80年代半ば以降90年代に入ってからです。日本では、近年とみに流行語のように使われていましたが、いよいよ終焉の時期を迎えたようです。
1989年の冷戦終結、91年のソ連崩壊があり、これからはすべての国々が一つの共同体としてまとまろうという意味がそこにこめられていたのです。そして、「グローバリゼーションというのは、『世界のアメリカ化』」(イグナシオ・ラモネ、ラモン・チャオ、ヤセク・ヴァズニアク『グローバリゼーション・新自由主義批判事典』(作品社、2006年)115ページ)だったのです。つまり、冷戦の勝者のアメリカを中心に、世界がまとまろうというメッセージがそこに含まれていたのです。
同盟国の日本は、その流れに乗ろうとします。文部科学省も「グローバリズム」の黒船に乗ろうとします。「『英語が使える日本人』の育成のための行動計画」(2003年3月:文部科学省)によると、「経済、社会の様々な面でグローバル化が急速に進展し」「国際的な経済競争が激化し」ているが、「これに対する果敢な挑戦が求められて」いるので、「子どもたちが21世紀を生き抜くためには、国際共通語としての英語のコミュニケーション能力を身に付けることが不可欠」と言っています。この方針がその後、現場の小学校に降ろされていくことになります
2011年度から公立小学校の5、6年生で年間35単位の「外国語活動」が必修化されました。「国民総バイリンガル計画」ですが、ネィティブを含めて人材を確保できない段階でのスタートだったのですが、とにかく導入ありきで舵を切りましたが、この動きは「グローバリズム」の流れに沿った動きだったのです。
『教育論』の著者ラッセルは幼少の頃から英語と同時にドイツ語やフランス語を学び、3か国語を話すことが出来たとのことです。ただ、ヨーロッパの人たちにとって外国語を学ぶのは、生活防衛という側面があったと思います。
ヨーロッパ地方は紛争と戦争が絶えずあり、その度に国境線が変わるということは日常茶飯事でした。国の体制が変わることもあります。香港で起きたようなこともあり得ます。国を離れる決意をすることも起こり得るのです。そういう中で生きていくためには、母国語だけでは心細いということだと思います。我々日本人が英語を学ぶ感覚とは違ったものが、そこにはあります。
時代の流れが大きく加速している
米中対立の時代が本格的に始まりました。「大分水嶺の時代」の到来です。時代の流れが非常に早くなっているのに加えて、途中で大きく2つに枝分かれしています。舵取りを一歩間違えると、致命傷を負うかもしれないという難しい状況かもしれません。
アメリカの大統領選の行方が気になるところですが、誰が大統領になっても、対中国強行姿勢はかわらないだろうと予想されます。従って、対日政策も大きく変わらないでしょう。しかし、もともとアメリカはプラグマティズムの国。「昨日の友は今日の敵」あるいは「昨日の敵は今日の友」ということもあります。その時の情勢次第で、いろいろな可能性があることを心の片隅に置いておく必要があります。
激動の時代だからこそ原点に戻る必要あり
こんな時だからこそ、長期的視点・展望に立った国づくり、人づくりに関する教育の改革や施策を打ち出すことが重要です。国づくり、というのは日本の世界の中での座標軸を定めることに他なりません。日本のアイデンティティを確立して、世界に向けて発信することです。
かつて、「日本丸」が揺れた時が何度かありました。そのうちの1つが、明治維新の動乱期です。西欧諸国による日本植民地化の危機が迫る中、明治維新をリードしたのは、無私の志をもった下級武士の若者たちでした。
「明治維新の世界的評価は高い。特に、極東の小国と見られていた日本が、日清、日露戦争に勝利して世界を驚嘆させてからは、各国がこれを研究し、模倣しようとしてきた」(黄文雄『日本が尊敬される理由は明治維新にあった』徳間書店.2017年/32ページ)のです。明治維新の英訳は「Meiji Restoration」だそうです。「Restoration」というのは、復古や復元という意味です。
日本という国は、一つの王朝が連綿と続いている国です。確かに、王政復古によって明治時代以降戦前は、かつての時代よりは天皇が前面に出ていたように見えますが、本質的なものは実は何も変わっていません。明治憲法も、従来からの日本システムである「権威(天皇)と権力の分離制度」による統治体制を踏襲しています。
ところが、明治憲法を西洋の猿真似憲法と早合点をして、多くの憲法学者が西洋の権利概念で明治憲法を論じていますが、正確に解釈できていません。その最たるものが「天皇主権」なる言葉です。明治憲法のどこを探してもないような言葉を使って説明をしていますが、日本の歴史について無知なるが故の過ちだと思います。
明治政府は明治5(1872)年に「学制」、さらに「教育令」(明治12)、「学校令」(明治18)を発布して近代教育制度をスタートさせますが、それらは明治憲法発布前に行っています。そこには人材育成こそ国の発展の力と見抜いた慧眼がなせる施策でもあったのです。
さらに、明治天皇の教育に対する強い問題意識もあり、日本で最初の議会政治が始まる1890年に教育勅語が発布されることとなります。日本の国民を育てる際の精神的支柱になるように、教育勅語は侍講である儒学者の元田永孚(もとだながざね) が中心となって起草されることになりますが、日本の国の由来と日本人としての心構えや生き方などが格調高く書かれていたのです。
中国に「十年樹木、百年樹人」という成句があります。これが多分「国家百年の計は教育にあり」の言葉の元になったのだと思われますが、百年後を見据えた上でたてた教育の施策は太平洋戦争を挟んでなお、人々の心を育み、高度経済成長などを推し進める力となっていったと思われます。
敗戦、占領さらにはGHQによる教育勅語失効の措置ということもありました。ここに来て、精神をコア(核)にした制度の構築を考えなければいけない時期に来ているのです。
「賢者は歴史に学ぶ」という格言があります。現代のこのような時だからこそ、明治の草創期に学んで、21世紀の世界を展望した人材育成のプランを打ち立て、凛とした日本人の育成に再度足を踏み出す必要があると思います。
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